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親鸞と日蓮の違い

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.11

 まず、人の道においては >>まー簡単にゆーと親鸞の教えは常人の教え、日蓮の教えは畜生の教えに近いゆーことや。 というのが全知全能のアルケーが出した答えということですね。  また、回答No.2さんのお返事の中で人の道は >>>法華誹謗の者は無間地獄に堕ちると言うてはるさかい、・・・・ >>さよーか、法華誹謗する者はみな無間地獄に堕ちるとゆーておるんか、 >>やっぱ、法華経ゆーのは畜生の教えに等しいゆーのがこれではっきり判った。 >>あ~、すっきりした。 とおっしゃっております。つまり、人の道においては「日蓮聖人の教えは謗法の者は無間地獄の堕ちると説かれているかれているから、畜生の教えであることが断定された」わけです。  そして、親鸞聖人の教えは常人の教えとされています。しかし、親鸞聖人の『正像末和讃』のなかには 念仏誹謗の有情は 阿鼻地獄に堕在して 八万劫中大苦悩 ひまなく受くぞと説きたまう と説いておられます。ここに記されている「阿鼻地獄」の阿鼻は梵語アヴィーチ(avīci)の音写語で、漢訳すると「無間」となります。ですから、阿鼻地獄は無間地獄のことです。つまり、親鸞聖人も日蓮聖人同様「謗法の者は無間地獄の堕ちる」と説いておられます。  おかしいですね。人の道においては「謗法の者は無間地獄に堕ちる」と説かれている教えは、畜生の教えのはずです。しかし、「謗法の者は無間地獄に落ちる」という親鸞聖人の教えは常人の教えとされています。  さて、こういった親鸞聖人や日蓮聖人についてすべて知っているはずのアルケーは、なぜ同じ「謗法の者は無間地獄に堕ちる」と説いた二人を、常人の教えと畜生の教えと分けたのでしょうか?  人の道へのなぞは深まるばかり。 合掌 南無阿弥陀佛

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