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悟りとは主観と客観の一致である。
never-nessの回答
- never-ness
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( ´・ω・ )はぁ。みなさん、おつむのよろしいことで。 「悟り」が直叙形で述べられる。こりゃ理性信仰? で、こちとらは変化球に見える直球でいきましょう。 ズバリ、「悟りとは犬のウンチを踏むことである」とな。 通りを歩いていたとき、足にいやな感触が! 私:ありゃ、犬のウンチを踏んづけてもうた。 傍にいた通行人A:あいつ犬のウンチを踏んでらwww 傍にいた通行人B:わーい、犬のウンチ踏んでるよ。 傍にいた通行人C:犬のウンチ踏んづけて、ウンの悪い奴っちゃ! おお、これで「主観と客観が一致した」! よって、 >悟りとは主観と客観の一致である となっ! とある求道者の話し: 厳寒の深夜、山中にある湖のほとり。一人の修行者が湖に向かって座禅を組んでおりました。考えに考えて頭はくたくた、もう空っぽになって端坐しておりました。 「悟り」を開こうと日夜修行に励んでいても一向に「悟る」気配もない。 どれくらい時間がたったろう。 湖畔の木々の枝に積もった雪が、音もなく湖に落ちた。 その刹那、湖に一面氷が張った。 世界がその修行僧の心の中に侵入してきた、音もなく轟音を立てて。 修行僧の心に中から満ちてくるものがあった。 涙が溢れた。理由の分からない歓喜。世界との一体感がそこにあった。 さて、ここに語られなかった「意図」があります。 質問者様にお分かり頂ければ、質問への解答も自ずとそこにあることあることがお分かり頂けるものと愚考しちょります。 おまけ:黙像親方のウィキぺのコピペは曲がなくてつまんないよ。期待してるんだから、もっとしっかりやってよね。
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回答ありがとうございます。 確かに「悟り」は言葉で語りがたい物だと思います。 しかし、こういうスレッドの形式上言葉を通さないといけないのも仕方が無いと思います。 意見、参考にさせて頂きます。