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嵐が丘について

ghostbusterの回答

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回答No.3

おもしろい点に気づかれましたね。 実は『嵐が丘』というのは、これまでに何百という論文と研究書が書かれ、時代が変わり、さまざまな文学理論が登場するたびに、さまざまな解釈が示されてきたのですが、それでもなお決定的な解釈がない小説なんです。 「偉大な文学作品」というのは数多くありますが、この作品ほど次々と新たな解釈が生まれてくるものもない。精神分析批評、構造主義批評、フェミニズム批評、マルクス主義批評、ポスト構造主義批評、さまざまな文学理論の立場から、それぞれに解釈され、そうでありながらいまだに確定的な《読み》が登場していない。掘り尽くせない宝がまだまだ埋まっている。そうした意味で希有な小説です。 仮に『嵐が丘』を「愛と情念の物語」としてとらえたとしましょう。 ところがキャサリンは全体のほぼ半分のあたりで死んでしまいます。残り半分は、「愛と情念」の当該人物不在のまま、第二世代の物語が続いていく。 多くの人の記憶にある『嵐が丘』は― 映画化されたものもそうなのですが ―、後半を無視したものです。エドガーとキャサリンの子、二代目キャサリンはいったいどのような役割を果たしているのか。なぜ「キャサリン」という名が反復されているのか。さらに、リントン-キャサリン-ヘアトンの関係を軸とする後半部というのは、前半部とどのような整合性を保っているのか。「キャサリンとヒースクリフによる愛と憎しみの物語」と読んでしまうと、後半はまったくの蛇足となってしまいます(それゆえに映画はごっそりこの後半部を落としているのです)。けれど、後半部も含めて三代にわたるリントン家とアーンショー家の物語として読もうとすれば、『嵐が丘』はとうてい「愛と情念の物語」の枠内に収まるものではありません。 登場人物にしてもそうです。 ヒースクリフは英雄なのか悪魔なのか、キャサリンは悲劇のヒロインなのか、それとも単なるわがまま娘なのか。なぜキャサリンはエドガー・リントンを選び、同時に選ばないのか。そうして質問者さん同様、ネリー・ディーンは純朴な「見たまま」を語る信頼できる語り手なのか、それとも何らかの意図を持った老獪な人物なのか。これらをめぐって、さまざまな解釈がなされてきました。 ご質問にあるように、語り手ネリー・ディーンに関して、従来から指摘されるのが、たとえば15章に見られるこういった言葉です(テキストの引用はhttp://www.gutenberg.org/files/768/768-h/768-h.htm)。 > The two, to a cool spectator, made a strange and fearful picture. この「冷静な傍観者」とは、ネリーが自分のことを言っているのですが、その「冷静な傍観者」が死の床にあるキャサリンとヒースクリフの様子を「異様で身の毛もよだつよう」と描写するのです。ところがこの「異様」も「身の毛もよだつ」もネリーの解釈です。 ネリーのものの見方こそが、当時の常識的なものの見方であり、だからこそ第三者的な立場からの場面の正確な再現がなされている、と解釈することもできます。 けれどもここまで小説を読み進めて、激しいふたりのぶつかりあいに慣れている読者の目には、決して「異様」でも「身の毛もよだつ」場面でもないかもしれません。果たしてネリーは「冷静な傍観者」なのでしょうか。 もうひとつ、キャサリンはこんなことを言っています。熱に浮かされ、譫妄状態に陥る直前のキャサリンのせりふです(12章)。 > 'I see in you, Nelly,' she continued dreamily, 'an aged woman: you have grey hair and bent shoulders. This bed is the fairy cave under Penistone crags, and you are gathering elf-bolts to hurt our heifers; pretending, while I am near, that they are only locks of wool. That's what you'll come to fifty years hence: I know you are not so now. 「…おまえはうちの若い雌牛を傷つけようと、石鏃を集めてるんだけど、わたしがそばにいるもんだから、羊の毛のかたまりを拾ってるようなふりをしてる。それがおまえの五十年先の姿だよ」 いったいこのせりふは、何のために口にされたものなのでしょうか。ネリーが傷つけようとしている「若い雌牛」は何を意味しているのでしょうか。事実、ネリーを「おとぎ話」での「魔女」の役割を果たすものである、という解釈もあるのです。 もちろんこんな細部に意味はない、エミリー・ブロンテが筆の赴くまま、若さに任せて書きとばした、という見方をする人がいるかもしれません(たとえばモームのように)。けれども、作品内部にちりばめられたさまざまな情報は、きわめて綿密な整合性(季節や日付、地理的背景、当時の土地所有や財産相続に関する法的知識など)を保っていることが先行研究によって明らかにされていて、今日ではこの作品は綿密な計算のもとに作られていることが明らかになっています。 この作品は、ひとつの解釈によって『嵐が丘』を説明しようとしても、かならずそれとはちがう意味作用が立ち上がってくる。何とかすべてを矛盾なく説明できるような解釈があるのではないか、と、これまで多くの人が頭を悩ませてきた、という経緯があります。つまり、質問者さんもその一翼に加わったわけですね。 ネリーの語りを聞いたロックウッドは14章の最後にこんなことを言っています。 > Dree, and dreary! I reflected as the good woman descended to receive the doctor: and not exactly of the kind which I should have chosen to amuse me. But never mind! I'll extract wholesome medicines from Mrs. Dean's bitter herbs; 「……気にすることはない! ミセス・ディーンの苦い薬草の中から、わたしが有益な薬を取り出せばよいのだから」 このようにロックウッドは相反する要素があふれているこの物語を、勝手に理解可能なものに読み替えてしまいます。 とすれば、物語の末尾でロックウッドがもらす感慨 > I lingered round them, under that benign sky: watched the moths fluttering among the heath and harebells, listened to the soft wind breathing through the grass, and wondered how any one could ever imagine unquiet slumbers for the sleepers in that quiet earth. 「おだやかな空の下、わたしは墓のまわりをゆっくりと歩いた。ヒースと釣鐘草のあいだを蛾が飛び交うのをながめながら、草を吹き抜けるかすかな風の音に耳を傾け、思いを巡らしたのである。このような静かな大地の下で眠る人びとに、いったい誰が不安な眠りなどあろうと想像するだろうか、と」 これは「苦い薬草の中から取りだした」上での感想でしょう。つまり、荒野をさまよう亡霊を「静かな大地」の下に閉じこめようとするロックウッドの意図がここに働いているということです。けれどもほんとうにそうなのでしょうか。亡霊を見たという証言など、「安らかな眠り」に反するいくつかの傍証を無視してまで、こう結論づけようとするロックウッドとは、いったい何者なのか。 語り手であるロックウッドは、ネリーの話の聞き手であるだけでなく、ヒースクリフの話の聞き手でもあり、キャサリンの日記の読者でもあります。つまり、この作品内の「読者」である彼の解釈を通して、ロックウッドが〈どのような人物であるか〉が浮かび上がってくるのです。 同じことが、その外側にいるわたしたちにも言えるわけです。ロックウッドの語り、ネリーの語り、さまざまに引用される書かれたものや証言から、わたしたちが何を引き出し、どのような「物語」として、この『嵐が丘』を読むのか。登場人物をどう解釈し、「どのような人」と考えるのか。わたしたちが引き出す「物語」は、同時に、この〈わたし〉が何者であるかを引き出すものとなっていきます。 まあ、この作品はそういう読み方「も」できる小説であるということです。 以上、「答え」のない「回答」となりましたが、何らかの参考になれば。 なお、『嵐が丘』が従来どのように読まれてきたか、興味がおありでしたら、川口喬一『小説の解釈戦略(ゲーム)―『嵐が丘』を読む』(福武書店)がコンパクトにまとまっています。ご一読をおすすめします。

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