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鉄道と電力

こんばんは。 多摩地方を走っていた鉄道などについて調べています。 鉄道はさまざまな目的で作られています。 ・川での船舶輸送からのシフトチェンジ ・砂利、生産物などの輸送手段 ・遠征開発など、旅客への利便性向上 までわかったのですが、西武鉄道の歴史を見ていると、武蔵水電や帝国電灯など、 電力会社?などとのかかわりが出てきました。 これにはどういった経緯があるのでしょうか? また、川と鉄道とのかかわりに関係があったりするのでしょうか?

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  • w-h-o
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回答No.4

川と鉄道とのかかわりについて。 背景: 多摩方面とのことですので、江戸から現在の東京西部、埼玉県川越方面に触れます。基本的な事項を述べますので、関連事項はご自分でお調べ下さい。 江戸時代には大消費地江戸市中への物資の輸送は舟運が大動脈でした。江戸の西北方面については、荒川がありますが、その内側に並走する新河岸川が舟運の主要路でした(注1)。川越の新河岸~浅草まで、川筋は幕府により舟運の便宜のため整備されていました。この川筋からの分岐を利用して、現中央線一帯までが物流対象地域でした。国分寺で産する炭や武蔵野一帯の農産物も新河岸川経由で江戸へ運んでいました。例えば国分寺あたりは野川経由で多摩川水系の方が便利ですが、江戸の終着浅草及びその先の網の目の水路を含め、市中の商流・物流の仕組みができていたので、何がしかの陸運の手間をかけても新河岸川利用が有利だったと私は考えます。 物流の殆どは江戸へ向かいましたが、逆流したものの一つが糞尿です。農村の畑作の肥料として、江戸で発生する大量の人糞尿を買受け(現金よりも農産物の現物が一般的らしい)て運んだものです。荷車による陸運もありましたが、大量遠隔地へは舟運でした(注2)。 かつての糞尿の価値については、金肥(きんぴ、かねごえ)でお調べ下さい。 明治終期になっても都心から出された大量の糞尿を農耕地帯へと肥料として送り出しており、最盛期には3,800隻近くの運搬船が行き交っていたとの記事もあります(注3)。 注1:新河岸川の歴史-舟運 https://sites.google.com/site/toraneko280/mitomi-nitta-shiseki/kawa-no-hanashi 注2:繁栄期の武蔵(江戸時代) http://blogs.yahoo.co.jp/yatagawa1000/archive/2011/4/8 注3:花畑運河 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%95%91%E9%81%8B%E6%B2%B3 なお、東京南部から西方へ走る多摩川は、勾配が急な暴れ川、江戸防衛の為橋はなく渡しのみ。あゆの名産地で江戸にも供給されていたようです。むしろ上流で取水した玉川上水の源流としての価値。明治以降は砂利の供給地として鉄道敷設。 さて鉄道です: 鉄道が開設された当時、人の移動よりも貨物の運搬が収入の重点でした。一定の量と通年の需要がある人糞尿運送は当然目玉です。舟運よりも鉄道輸送が有利な地域、例えば現在の東武線、西武線一帯は格好の対象です。これらの鉄道には糞尿が大変貢献したわけです(注4)。 閑話休題:「西武線の車体が黄色い訳は?」「そりゃ肥担桶(こえたご)の色だろう」・・・などという冗談バカ話があったくらいです。西武線特に池袋線は肥担桶(こえたご)列車といわれました。ちなみに昭和30年代後半まで残っていた話です、その時期は既に肥担桶運送はしていませんでしたが。 締めです: 終戦後進駐軍の政策で、肥料は化学肥料に転換し、急速に糞尿の利用が減少しました。同時に鉄道は貨客輸送に特化してきました。歴史的に人も物資も川筋沿いに展開し、舟運に頼ってきましたが、鉄道がそれに置き換わったこと言うまでもありません。都市に人工が集中し居住面積が拡大し経済的に余裕ができて、移動の必要と欲求が高まると共に、鉄道の需要が増しました。 ・舟運のあったところには、川筋に連続ないし間欠的につながる繁華地の鉄道需要があった。結果的に舟運に置き換わった。 ・川筋のないところの鉄道需要は点と点の接続で、中間地需要が相対的に期待できない、よって住宅地開発などで需要の開拓をした。 というのが現実です。 ・「水運から鉄道 ・・・」をkeywordで検索すると江戸に限らず材料があります。 (注4)鉄道による糞尿輸送 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%B3%9E%E5%B0%BF%E8%BC%B8%E9%80%81

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  • mekuriya
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回答No.3

日本初の電力会社は明治20年(1887年)に送電を開始した東京電燈でしたが、東京電燈の成功を見て取った資本家は相次いで雨後の竹の子のように電力業界に参入してきます。ところが戦前は電力行政が全く無かった。電力会社を管轄する官庁もないし、電力会社を統制する法律も何も無い完全自由放任主義であったのです。弱小電力会社が設立されては、経営不振になって大手に吸収合併されたり、地域割りも何も無く激烈なダンピング競争で大口ユーザーの奪い合いが展開されました。まさに弱肉強食のバトルロイヤルが展開され熾烈な生き残り合戦でした。1937年時点で電力会社の数は470社もあったのです。しかし戦前の家庭の電化製品は電燈、アイロン、ラジオぐらいなもので電力需要は微々たるものです。明らかに過当競争であって、電力会社を設立したものの需要者を勝ち取れずに経営不振に陥る電力会社も多かった。そこで生き残り戦略として目をつけたのが電気鉄道であったというわけです。需要者を勝ち取れないなら、自前で需要を作れば良い。自分で発電して自分で使えば、電力会社のダンピング合戦に巻き込まれずに済むという発想。一方、電気鉄道業界も同様に弱小資本家が雨後の竹の子のように参入してきます。めぼしい路線に何社もが競合出願を出してくる。鉄道は完全自由放任主義でなくて、路線を敷設するには事前に当局から免許を取得する必要があったのです。 ここで電力会社と電気鉄道会社の利害が一致します。電力会社の方は安定した需要者が欲しい。電気鉄道会社も安定した電力供給先が欲しい。その方が競合他社との免許取得合戦にも有利だからです。そうしてお互いの生き残り戦略のために電力会社と電気鉄道会社の合併が行われました。 これはいろんなパターンがありました。 電力会社が自分で電気鉄道の路線を敷設して電気鉄道業界に参入した例。(鬼怒川水力電気) 電気鉄道会社が路線敷設の前にとりあえず電力事業を起した例。(京王電気軌道) 馬車鉄道が動力転換の為に電力会社と合併した例。(川越馬車鉄道と川越電灯) 川越馬車鉄道と川越電灯は一応別会社であったけど、どちらも出資者は川越商人であって資本系列は元々同じでした。多摩地方の鉄道はだいたいそんなパターンで地元の弱小資本家が地元の発展の為に会社を起した例が多いのです。 で、川の話。川は水運です。川越は江戸時代から新河岸川の水運で産品を大消費地である江戸に運びこむことで発展した商業都市でありました。江戸時代の大量輸送機関は海運か水運しかありません。他に交通機関などない。舟で荷物を運ぶ。となれば海か川・運河しかないわけです。 それが明治になって文明開化・殖産興業・富国強兵の流れで水運を鉄道に転換して、効率よく物資を輸送しましょうという話。当初は旅客輸送はおまけです。まだ通勤ラッシュという時代ではない。物資輸送が主な目的だったのです。 もう一つの川の話は砂利の取得です。東京の都市化が進むとコンクリートの需要が伸びました。セメントに砂と砂利を混ぜて水でこねるとコンクリートになります。ビルを建設する為にはコンクリートが必要である。そこで多摩川の砂利を運搬するという目的が生まれて、南武鉄道、多摩鉄道、玉川電気鉄道、京王電気軌道、東京砂利鉄道が砂利を輸送しました。東京砂利鉄道は、その後競馬客輸送に目的を変更して、国鉄下河原線になって、その後武蔵野線に代替されて廃線となりました。京王電気軌道が砂利輸送の為に敷設したのが調布~京王多摩川の多摩川支線でありましたが、その後多摩ニュータウンと結ぶ京王相模原線に路線延長して生まれ変わりました。現在では南武線が貨物輸送を兼業しているほかはどの路線も純然たる通勤・通学路線になっています。 多摩地方は江戸時代は農村部でしたが、明治以降の日本の資本主義の歩みと東京の都市化に合わせて時代の要請に応える形で鉄道も発展していきました。

  • mukaiyama
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回答No.2

>電力会社?などとのかかわりが出てきました… 調べ物とのことなので手がかりだけです。 電力会社が発電した電気を消費するために、副業として自ら鉄道を経営したのです。 現在でも JR東日本は信濃川に水力発電所、川崎に火力発電所を持っており、この自前の電力で山手線などを走らせ、余った電気は東京電力に売っています。 もちろん、JR東日本の本業は鉄道で発電は副業に過ぎないのですが、鉄道草創期には本業が発電、副業に鉄道という会社は全国に数多くありました。 地方鉄道の半数ぐらいはその例ですよ。 >また、川と鉄道とのかかわりに関係があったりするの… 川、すなわち水力発電ですね。

  • ultraCS
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回答No.1

昔は電気の使い道が電球くらいしかありませんでした。最初の頃は配電費用も電球も高価でなかなが需要が伸びませんでした。ですから、発電した電気の利用方法の一つとして、電気軌道を発電会社が運営していたのです。当時は、鉄道は蒸汽、軌道は電気という棲み分けでした。 なお、武蔵水電は現在の西武の路線網とは関わっていません。大宮と川越を結ぶ軌道でした。 他にも、同様の事業を行った例として、利根水電(東電と東武の前身の一つだった群馬地区の軌道網、現在は廃止)、宇治川電気(京阪電鉄と関電の前身)、京都電燈(京福電鉄と関電の前身)などがあります。 小田急なども鬼怒川水電の資本で作られています(給電は行っていない)。電力事業と電気鉄道事業は斯様に親和性がある物なのです。 奈緒、出辺力会社が副業として鉄道を遣っていたと言うより、収入の確実(日銭が入る)な鉄道事業を展開しながら出来を売っていたという状況だったようです。

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