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内親王などについて。

はじめまして。 内親王など平安時代の後宮の制度について、 詳しい方いらっしゃいましたら、教えてください。 ・「○宮×子内親王」という人がいるとします。 ○の部分(「和宮」など)はどうやって決められるのでしょうか。 ・また「○宮」の部分は兄弟でもそれぞれ違うでしょうか? (A子内親王はQ宮で、その実姉のB美内親王はG宮など) ・親王に「○宮」はつくのでしょうか? ・兵部卿宮、式部卿宮、中務卿宮など、「宮」と名がつく 人は 太政大臣や左大臣よりも身分が上なんでしょうか? 以上です。 よろしくお願いします。

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回答No.1

平安時代の場合 ○宮はだいたい産まれた順番になります 「女一宮」・・・その天皇の第一皇女 「女三宮」・・・その天皇の第三皇女 あと、品位(一品、二品などの親王、内親王の位)を賜るとそれがつきます 「一品宮」 ここまでは公式のもの。 たまにあだながつきます。 「火宮」・・・冷泉天皇の皇女尊子内親王        円融天皇の女御として入内したときに        たまたま内裏が火事になった 「釣殿宮」・・・宇多天皇皇女綏子内親王         「釣殿」に住んでいた あだなは公式のものではありません。 もちろん親王にもつきます。高貴な方の名前を直接言うのは不敬にあたりますので、「××宮」とおよびします。 ちなみに「和宮」は幕末の皇女ですが、江戸時代以降はすべての親王、内親王、王、女王に「○宮」がつきます。幼名で、臣下でいうお七夜に父宮から賜ります。 「兵部卿宮・・・」 は、官職です。兵部卿になった親王は「兵部卿宮」とよばれます。「藤(原)大納言」とよばれるのといっしょです。ですから、同じ人物が年によって「兵部卿宮」だったり、「式部卿宮」だったりします。大鏡などを原文で読むときは、気をつけたほうがいいです。 身分は、臣下の身分とは別口になります。臣下とは超越しているので、身分が上、下ということはありません。ただ、親王が官位につくときは名誉職なので、実質は大輔などがかわりに仕事をします。

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