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信仰の継続の価値を偽装する詭弁

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

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回答No.4

 こんにちは。  ★ 信者  ☆ という規定と  ★ 信仰の継続の価値  ☆ というときの《信仰》とは 同じ概念でつながっていると まづ哲学の議論としては 考えられますが こと《組織宗教》の話になると それは 定かではありません。  つまり信仰者が集団を成す場合 これが組織という形態を採ると そこでは《信仰》は二の次にされると見なければならない。  個人の信仰という動態が 信仰において個人がヒラメキをとおして得られた命題から集団にとっての教義がつくられこれを教団における規範としたときから 死にます。  信仰によってあゆむのではなく そうではなく 規範に従おうとして・またそれの違反を罰するかたちにおいて進もうとするからです。  あとは 何をやろうと すべてが  ★ 偽装  ☆ であり  ★ 詭弁  ☆ です。

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

本来的な信仰は自己目的的に行なわれていく故に、其の本質が共有され難いのでしょうか?

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 自由な信仰による対立を制御する為に、「建て前」上の規範の遵守を信仰と混同させているのですね。

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