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自由社会における情報管理の未来像

現在の状況から推測される情報管理の未来像とは? また、求められてゆく情報管理のあり方とは?

みんなの回答

  • try50
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回答No.6

テクノロジーも精神性も 善悪いずれにせよ速く進みたい ちんたら滞るのは退屈で嫌だ。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 いかにも現代的な感覚ですね。 早さに慣れてしまえば、ちっとも早く感じられない。 さらに、より早い変化が求められてゆくのでしょう。 回答者様の車の窓から見える風景は、どのようなものなのでしょう。 それは単なる情報なのでしょうか? 情報とはあくまで部分的なものに過ぎないかもしれないのです。 必要な範囲外のことは情報的判断だけでも十分かもしれませんが 必要な範囲の決定のためにも、情報の多角的な確認が必要です。 一度、車を降りて、まわりの風景を眺められたらいかがでしょう。

回答No.5

#3の者です。 >お金は労働の代価であると思っている人にはやはり無理です 「自己の生存システムの自覚化(他我化)が可能になり、自律的 に社会行動がとれるようになれば」と書いてある通りです。 私の以前の回答をご参照いただければ分かるように、 上記のようにならなければ、社会情報システムは、個人の意識に “真の自己の生命の実体”である社会全体を自覚化させるための 感覚網としてではなく、自己チューな意識のまま他律的に社会 行動を強制される歯車を操る神経網として発達するでしょう。

noname#156094
質問者

お礼

幾度もありがとうございます。 ありがたいのですが・・・ >自己の生存システムの自覚化(他我化)が可能になり・・・ 残念ながら、私は知能が低いので先生の仰ることが理解できません。 低レベルの簡潔な表現でお願いできませんか。 SF映画の叙述詩のようです・・・

回答No.4

psytex先生の理想は実現化しないと思いますよ。 情報の管理と共有の理想は、情報の所有・管理に関して格差が生じない限りにおいて成り立つ理想論にすぎず、貨幣がその共有と管理を通じて築くはずだった効率的社会が現実には格差社会になっているのと同様の運命をたどります。 これに対しては二つの選択肢しかなく、 1.情報を格差的・差別的に所有し利用して、情報化社会の勝者になる。 2.情報をできるだけ発信せず、集積させずに、情報の集中化・寡占化を阻止・鈍化させることで、動物農場化を遅延させる。 上記2.は消極的抵抗ですが、積極的抵抗というのもあって、申込書に記入する年齢や住所など、空欄で残すのではなく、毎回違う数字や番地を記入することで、システムに情報汚染をさせることも可能です。つまり、氏名で名寄せした際に複数の年齢が集まるために、システムは年齢を特定できないばかりか、データの信頼性評価で低い評価にならざるを得ず、システムへの依存を多少なりとも無力化できるからです。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 >情報の管理と共有の理想は、情報の所有・管理に関して格差が生じない限りにおいて成り立つ理想論にすぎず、貨幣がその共有と管理を通じて築くはずだった効率的社会が現実には格差社会になっているのと同様の運命をたどります。 この辺のところが、現在進行中のアフリカ諸国におけるインターネット革命と呼ばれる社会変革の源のようです。 情報の所有・管理の格差と、貨幣経済の格差の比例崩壊現象といったものでしょう。 これらの情勢の流れは留まることはないと思います。 さてさて、社会体制をも変えてしまう原動力を持つようになった情報システムが、これからどう変貌してゆくのか注目したいと思います。 また、高度な情報システムが、社会体制にどのような影響を与えてゆくのか、といった点も注目です。 どちらも、まだ完成されてはいないのです。 将来において、量子CPなるものが登場した場合の予測を立てておいてもいいのではないでしょうか。 でないと 年金記録が何万件も不明になって、それでも仕方が無いなどという愚行が繰り返さないとも限らないでしょう。 原発問題も同様で、想定外という言い訳が許されない事態が起こらないとも限らないのです。 情報機器の進歩の一人歩きの危険性をふまえた、情報管理のあり方が益々問われてくるように思います。 それは個人にとって有益である事を前提として進められるべきだと思います。 その辺の推測の整理がつけられるでしょうか? できなければ、本当の意味での進歩ではないように思います。 危険で愚かな火遊びのようにも思えるのです。

回答No.3

情報を隠蔽する必要があるのは、利害が対立する場合です。 ところが、利害が対立するからといって情報を隠蔽すると、よけいに 独占的利益のために情報の隠蔽を促すことになります(泥棒や横領、 裏金etc.)。 その一因は、現代社会は、本来、社会生命化して助け合うために 集まっているはずなのに、意識だけは自己チューなままで、お金や 出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”によって、非自覚的に 社会行動をとらしめる社会システムである事により、個々の意識と しては奪い合い、競い合う弱肉強食の擬似ジャングルになっている 事によります。 認識の発達により、そうした社会生命としての、社会的に拡張された 自己の生存システムの自覚化(他我化)が可能になり、自律的に 社会行動がとれるようになれば、「利害の対立」はなくなり、情報の 共有は利益のみにつながる。 そこにおいて、需給情報の潜在化(物質への転嫁)である貨幣制を ネットマネー化し、徴税や福祉といった物質的に固定的だった貨幣 の補正を一本化(個別の生活状況や物品の用途により物価が変動) する事により、お金は消滅する。 (需給情報の物質化たる貨幣の再情報化により、生産者と消費者が 直結し、消費者の感謝と生産者の作る喜びを結ぶ、顔の見える経済 =助け合いとしての労働を可能にする) 個人IDを兼ねた携帯端末により、商品タグのICチップを読み取れば 値段が表示され、交通機関もコンサートなどもチケットレスになる。 そうして貨幣がなくなり、個人の消費行動がオンラインで記録される ようになれば、泥棒も詐欺も汚職も不可能となります。 その中央コンピュータは、その中に日本経済そのものの帳簿となる ・・・・どころか、携帯端末のGPS情報も合せれば、どこに誰がいて 何を(経済的に)しているか、コンピュータの中に日本という国家が 再現される事になる。 (などと言うと、「管理社会へのアレルギー反応」があると思われま すが、それは主に、移行途中の不完全な段階でのリスクを感じて いるのであり、また独裁的コントロールや情報犯罪のリスクも指摘 されるでしょうが、それもテクニカルな問題に過ぎません)

noname#156094
質問者

お礼

ネットマネーにより貨幣は消滅する・・・ う~ん、ですかね~ お金は手に持つもの、手に持って使うもの、という感覚が無くならない限りは無理なのでは お金を情報と同様に扱う事には無理があると思います。 お金は労働の代価であると思っている人にはやはり無理です。 マネーゲームの世界の住人には理想かもしれませんが・・・ 試論としては面白いと思います。 ありがとうございました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

このような情報社会での鉄則は、出来る限り、新聞、雑誌、テレビなど見ず、古典的な歴史書や歴史的な書物を読み、最も新しい情報を積極的には手に入れないようにすることです。また、世間の最近の情報を手に入れたかったら、ラジオなど音を通してだけで手に入れて、視覚を通して入って来る情報は無視する。 そうすると、貴方は人の意見で左右されたり、人の考えていることの受け売りをする人間ではなくて、自分で物を考えることが出来る人間になれます。 私は、アメリカで物理のある分野を研究している学者ですが、私の研究室に来た学生には、最新の論文を読ませることは、原則としてしません。その代わりその分野の歴史的に重要な論文を幾つか読ませることにしています。そのような論文は10年、20年、あるいは4、50年前に書かれた論文で、その数も分野を限れば10編もありません。その数少ない論文を歴史的な順序で読ませて、その分野での系統発生を、その学生の中での個体発生の時に経験させるのです。 だから、私の研究室では、今流行りの問題を研究テーマには選びません。しかし、そうは言っても、自分たちのマイペースで研究をしていると、ひょんなところで今流行りの問題に繋がることもしばしばあります。そんなときにも、今現在何で皆がそのような問題を話題にしているのか、裏の事情が解るようになります。更に、皆の流行りの思考法で問題を考えているわけではないので、そんな流行りの問題にも、皆さんが見ているのとは全く違った視点を持ち込むことが出来て、いくらでもオリジナルな論文が書けます。 また、その歴史的な経緯を理解した学生は、既に先生と同じ認識に立っているので、先生が何故そんなアイデアを出して来るのか、その学生にもその裏がすぐ判ってくれます。 ところが、他の先生方の学生の指導法を見ていると、新しく来た学生達にいきなり最新の論文を読ませて、流行の問題をやらせようとしている方が殆どです。私はそんな学生さんにいつも同情しています。良く考えると、その指導法を取り入れている先生は、自分では20年30年その問題に関わって来ているので、その分野の歴史的な流れは知らず知らずのうちに理解しており、その知的財産の上で物を言っているのです。しかし、そこの学生達は歴史抜きでいきなり最先端ですから、そんな最先端ばかりの論文しか読まない学生は、その先生に絶対に追いつけません。 だから、情報を適切に処理するには、溢れるように次々とやって来る情報を一々こなすのではなく、そんな情報を一先ず無視して、その学生の個体発生の過程で歴史的な系統発生を短期間のうちに繰り返すことが必然です。その結果、運が良かったら、流行りの仕事に寄与をすることが出来るかもしれませ。また、運が悪くて自分のやっていることが今流行りの仕事に繋がらなかった場合でも、自分のやっていることに人事を尽くして、あとは天命を待っていれば良いだけです。そうすれば、場合によっては、貴方が流行を追うのではなくて、貴方が流行を作れることができるかもしれないからです。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 学問の教育課程における情報管理の一例と拝察させていただきました。 情報入力の範囲をあえて狭める事によって、個人の思考能力を高める、といった事もあるのでしょう。 学問とは単なる情報収集ではなく、教育も単なる情報入力ではない、またそうであってはならないのでしょう。 そこには体系的な学問の究明の姿勢が読み取れます。 不必要な情報や知識を捨て去る事によって、確定した情報分析のレベルアップを図るということになるのでしょう。 ここにおいて問題となってくるのが、情報の捨て方(処理)だと思われます。 適切な捨て方・処理の方法の基準を定めるという事が求められてくるのでしょう。 時には、限界ぎりぎりにまで捨ててゆく、といった判断が必要だとも思われます。 学問の世界に限らず、自由意志にもとずく情報処理操作を行えるのは人間だけです。 正確な情報であっても、必要に応じてさらに処理を加えなければならないという操作を行えるのも人間だけです。 そこには、情報を扱う人間の倫理観や思想の影響といったものがあるように思います。 人間が扱っている以上は、情報の裏側にある、そうした倫理観や思想に注意を払ってゆくべきかもしれません。 学生さん達をよろしくお願いします。 育てる楽しみもありますでしょう。 よい話を聞かせていただき、ありがとうございました。

回答No.1

クレジットカードは使わず、いつも現金払い。 銀行引き落としもつかわずに、集金人払いかコンビニ払い。 NHKのBSデジタル受信者登録はしない。(ポップアップで催促されても、無視する) 電話帳には名前を載せない。 E-Mailのアカウントは複数持って使い分ける。 ETCは使わず、料金所で車を停止して料金を支払う。 車は日本で一番売れている”白いカローラ”かホンダフィットに乗る。 地下鉄は、ICカードを使わずに回数券を買って乗る。 携帯電話の電話帳を見ながら公衆電話から電話をする。 これくらい注意して生活するのが、情報管理の罠にかからないためには必要ですね。 嗚呼、でも、OKwaveに投稿しているとProfilingされてしまうかぁ~。駄目だこりゃ(笑)

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#156094
質問者

補足

昔と比べて、個人が入手できる情報量が大変な量になってきました。 情報伝達手段の発達がこれからも続いていくのでしょうけれども 便利になった反面、注意しなければならない事も多くなってきたようです。 あまり進みすぎると 人が情報を管理するのではなく、情報に人が管理されてしまう、といった感じになってくるのかもしれませんね。 知らず知らずのうちに、そうなってくるのだとしたら怖いですね。 情報分析の必要性といった点についてもご意見がありましたらお願いします。

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