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無理なのか・・・残留孤児や外地遺骨収集
- 戦争や敗戦による無政府状態とその後の戦後復興の影で未解決の問題が多くあります。
- 中国残留孤児も高年齢と関係者の生存や記憶がネックになり、帰国が叶わず、身元判明・家族対面も稀有になっている。
- 戦場や収容所での犠牲者の遺骨も未だ放置されており、人道的・国家の責任として解決が望まれています。
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質問者様が仰る通り、先の大戦が引き起こした悲劇の多く(中国残留孤児・北方領土問題他)が未解決のまま現在風化の危機に晒されております。 「歴史として語られるには100年の時間を有する」、故司馬良太郎氏はこう定義付けられましたが、逆説意的に言えば、あと30数年で太平洋戦争は歴史というカテゴリーに移行してしまう、私個人としては少なくともその語り部が御存命中に、何等かの決着を付ける事を切に願いたい。 祖国の為に戦死した英霊の多くは10代後半から20代・30代、家族の事を思い後ろ髪を引かれながら若い命を散らした事実、そして戦後の奇跡的な復興・現在の豊かな暮らし、そのかなりの部分が彼らの尊い犠牲の上に成り立っているという事を我々は決して忘れてはならない。 今年もあと3ヶ月で終戦記念日がやってきますが、民主党政権そして内閣が現状の布陣では誰1人として靖国公式参拝には赴かないでしょう。 取るに足らない隣国の圧力に屈したこの政治姿勢、送り出した国家としての責任そして政治家として日本人としての良心は一体全体どこに行ったのでしょうか? 個人的に政治家の靖国問題に対する姿勢をモニタリングして、甚だ無力ではあるが糾弾したい思いです。 尚私事で恐縮ですが、我が家は明治維新以降3代にわたって大日本帝国の軍人を務めて参り、南方戦線(レイテ沖海戦で2名、バターンで1名、インパールで1名)で一家の大黒柱とも言える4人の叔父を亡くし、その上戦後の農地解放で田畑の多くを取られて、乳母日傘で育った祖母が荷物を担いで闇物資を調達し、まだ幼かった私の父親他残された子供を育てて参りました。 その祖母は87歳で亡くなるまで、南方戦線で散っていった4人の我が子の形見一片でもよいから見つからないかと自費で民間の遺骨収集団に7回も参加致しましたが、南方の島々には無念にも祖国に帰れず死んでいった無数の日本兵の骨がいまだに放置されているそうです。 4人もの戦死者を出ししかも多くの土地を取られた我が家のみならず、太平洋戦争で祖国の為に死んでいった戦士の遺族は、在日韓国・朝鮮人が浴する恩恵の半分も、日本政府から報われてきませんでした。 >◇国・関係機関・私たちは、どうすれば良いのでしょうか? 今更補償云々に就いて言及される御遺族は少ないと思います、私個人としては志半ばで死んで行った方々に対する尊敬の念、その歴史的事実を語り継ぐ事、そして何より外国からの不当な内政干渉は断固撥ね付け靖国神社を本来あるべき姿に戻す事こそ、英霊・そして残された御家族に対する最大の支援であると考えます。
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日本国は震災などで足りない財政に中から苦心して補償などをやろうとしている現在、過去の事は後回しでよいのです。貴方が自身で率先して遺骨収集や残留孤児救済をなされば如何でしょうか。国が貴方に何をしてくれるかではなく、貴方が国に何をするかが問題なのですよ。
お礼
それも一つの考え方でしょうね・・・ だけど、私には自らのルーツや自己形成に見守り励まして下さった方達への感謝と報恩の心が・・・ 先人の労苦によって今日があり、その培い育まれた基盤(ファンダメンタルズ)の中で、私たちの暮らしがあるのでは・・・ との思いが強いのです。 それは、今日の大震災や低迷経済・政治の機能停止状態とは別次元であり、選択する問題ではないと思います。 さりながら、残念にも影響し、優先順位や取り組みのプライオリティは止む得ないが、今日までの宿題を課題を忘却・放置されてよい事では決してありません。 更に、今回の東日本大震災の被災者の救難や復旧復興の原点も、昭和の時代の未解決の問題の解決も、その道のりを切り拓くのは、予件を高め進める原動力は、何れもが私たち日本人の底力と英知の結集だと思います。 一人一人の力は、ひ弱で微々たるも・のでしょうが、助け合い・励まし合い・過去~現在~未来に繋ぐ家族愛・郷土愛・同胞愛の絆(連帯感・問題共有・深い関心と取り組みへの参画)が苦しみを分かち合い喜びを高め合うのでは、問題解決への唯一の工程表では・・・ すいません! ご回答に触発され、感謝とお礼の積りが、いつしか演説・所信表明調に成りまして恐縮です。 ご回答を賜りまして、大変、参考に成り、色々とお教え願い、誠にありがとうございました。
申し訳ないのなら、手弁当ででも活動してください。 聞くだけでなく。
お礼
アドバイスとして受け止めておきます。
- HAL2(@HALTWO)
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さすがに戦後 66 年ともなると「国・関係機関・私たち」になす術はないでしょう。 家族の面影を僅かにとどめる年齢の最少年齢を 4 歳としても今や 70 歳、中国の平均寿命 (2005 年資料で 72.5 歳) から推測するに日本への渡航に耐えられる健常者も数少ないと思います。 故国に骨を埋めたいという願いならば叶える術もあるかと思いますが、故国に帰りたいという願いは受け入れ先の問題のみならず御本人の健康を鑑みても極めて難しいだろうと思います。 私の母も満州から娘 (長姉) を連れて引き上げてきた経験者ですので、中国残留孤児の来日報道を観て姉が涙していたのを記憶しています。 「昭和で解決して欲しかった」とは私も同感ですね。 しかし、平成もいまや 23 年・・・運良く姉の家族となれた私としても家族であった筈の人を失った人々に同情の念は絶えないものの、申し訳ないのですが、もはやなす術を考えられません。 ちなみに姉は母と叔父 (父の兄で、南方戦線で亡くなりました) との娘なのですが、去年、自費で叔父が戦死したとされる南方戦線跡 (詳しくは知りません) に行ってきました。 勿論、骨など見つかる筈もないのですが (遺骨として骨を売りつけようとする現地ガイドの言は信用するなと言い含められていたそうです) 記憶に殆どない実父最後の地に見に行くという悲願を果たしたと聞いています。
お礼
ご回答を賜りまして、ありがとうございます。 本当に詮無き事ですが・・・ ご本人のお気持ちや願いを叶えて上げたいと思います。 無力感を持ちながら、年月の経過と国の非情さ(今の目の前の選挙や支持を追うだけ)を感じます。 その存立や経緯を振り返り、誤りや未実施の過去の負の遺産も目配せと修復をしなければ、過去~現在=将来に責任を持ち、真に国民の信託・信任を得る為の国益・国威・国際信頼に資する政治ではないと思います。 ご親族の体験や境遇をご紹介して頂き、率直なご意見や考察をお教え願い、大変、参考になりまして、心より感謝とお礼を申し上げます。 誠にありがとうございました。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 ご体験や思いを詳しくお教え願いまして、共感すると共に、問題の風化&無関心さを改めて痛感・慨嘆しております。 個人としては、言うだけ・書くだけ・投稿するだけであり、自らの無力感と社会の冷たさに歯痒さを、ぶっつける先の無い悲しみと悔しさを持っております。 願うは歴史と事実の伝承、感謝と慰霊の心⇒それが、先人達の辛苦と犠牲に、今日の社会や私たちが報いる道であり、願いに少しでも応え助成する事ではないでしょうか・・・ 「靖国神社・千鳥が淵無名戦士の墓・未だ帰国帰郷出来ぬ英霊の遺骨と御霊」 先の大戦で亡くなった330万余の犠牲者、甚大な被害の戦傷者や被害に遭われた多くの方々・・・ 今、尚、未開の灼熱ジャングルに極寒の荒れ地に南海の海の底に望郷の願いを抱いたままの遺骨が放置されている。 この御霊は、国と国策によって動員され苦難の中、国に一身を捧げ盾となり命を犠牲にされた方々である。 今日の平和と繁栄は、その尊い犠牲を礎に成り立っているのだと思います。 国として国民として子孫として、宗派や思想を超えて、感謝と慰霊の心を不戦の誓いを家族の近況報告を申し上げ示したいものです。 それは参拝するも参拝しないのも自由であり、遺骨収集に直接参加は出来なくとも、墓前に仏壇や遺品に手を合わせ心で念じ祈るだけでも・・・ 志半ばで死んで行った方々に対する尊敬の念、その歴史的事実を語り継ぐ事、そして何より外国からの不当な内政干渉は断固撥ね付け靖国神社を本来あるべき姿に戻す事こそ、英霊・そして残された御家族・関係者・そして子孫である私たちの矜持や祖国愛に対する最大の支援・発露であると考えます。 ~ご参考~ ◇私の靖国神社への思い「従前の投稿文より」 http://qa.mapion.co.jp/qa6110662.html