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満州の残留孤児についての本を探しています。

終戦直後、満州からの引き上げ時に、様々な理由で孤児になり、中国に残留してしまった子どもたち(当時)が大勢います。その子どもたちが、なぜ孤児になり、その後どんな運命をたどったか、詳しく書かれた本があれば教えて下さい。特に、何年か孤児として中国で生活し、その後、ラジオ放送などによる日本からの人探し活動で見つけられ、帰国した方々について詳しく知りたいと思っています。

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  • 回答No.1
  • mu-po-
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Amazon.co.jp などで「中国 残留孤児」などで検索すれば いくらでも出てきますよ。 内容や著者についても出てきます。 図書館で探してみるのも経済的です。 http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%92%86%8D%91%81@%8Ec%97%AF%8C%C7%8E%99 特にこのあたりの内容の本でしょうか http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%97%85%E2%80%95%E3%80%8C%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%AE%8B%E7%95%99%E5%AD%A4%E5%85%90%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E7%8F%BE%E5%9C%A8-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BA%95%E5%87%BA-%E5%AD%AB%E5%85%AD/dp/4006030959/ref=pd_sim_b_1 内容が近い本も挙がってくるので、参考にしてください。 もし残留孤児についてほぼ初めて書籍などを読んでみるという方なら 山崎豊子氏の「大地の子」もお薦めします。 フィクションで感情移入する類のものですから 正確なレポートを書くには使えないものですが、 かなりの取材をもとに書かれ(作者はもと新聞社勤め) 訴えるものの強い本です。打ちのめされます。 主人公は残留孤児としてはかなり恵まれた所もあり、 最終的には中国に残る事を決ます。 調べたい事とは違うかも知れません。 NHKでドラマ化されているものもレンタルがあると思います。 国交が正常化され連絡を取り合い行き来しはじめる様子も 一部描かれています。

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