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故人への気持ちの整理方法|苦しい思いを耐える30代女性の結婚1年目
- 結婚1年目の30代女性の悩みは、主人方の親族の急逝による故人への気持ちの整理です。マンションの問題や精神的なトラブルが重なり、苦しい思いをしています。どのように気持ちを整理し、弔いに向き合えば良いのでしょうか?
- 結婚前から故人との関係に悩みを抱えていた30代女性。マンションの問題や故人の攻撃により困惑し、故人の死に対してなかなか素直な感情を抱くことができません。一人暮らしやビジネスホテル暮らしを経験し、主人との関係も揺れ動く中、どうすれば気持ちを鎮めて弔いに向き合えるでしょうか?
- 結婚1年目の30代女性が故人への気持ちの整理に苦しんでいます。マンションの問題や主人の兄弟とのトラブルにより、故人の死が彼女にとっては解放感を与えるものとなってしまいました。しかし、彼女自身の考え方に戸惑いを感じています。どのように考え方を変えて行けば良いのか、アドバイスをお願いします。
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1年間気の休まる間も無いくらい迷惑をかけられた相手がご主人の親戚の人でイヤな思い出しか無い、とおっしゃるご相談者。一方、ご主人始め親族の方は、長い年数を通して亡くなられた方の良い点もよく無いところも見てこられています。 1年間その方の良くない言動に付き合ってこられたご相談者と、長年お付き合いされてきた方々の見方を同じ様に考えることは出来ないのでは無いでしょうか。 ご相談者は、亡くなられた方に対して妄想的な言動を取る人物という認識しかお持ちになれないのはよく分かります。一方で、亡くなられた方について、ご主人を始め親族の方は、立派に活躍されて人望のある人柄を観てこられたのです。そして、年を重ねられて不可解な言動を取るようになっても、昔の正常な人物像を重ね合わせてご覧になっていますので、異常な言動はどうすれば回復するだろうか、という思いを持ち続けていらっしゃる中で突然亡くなられたのでした。 『最悪な人間ですが、主人や主人の家族が言うように「どんなに迷惑をかけられてもいいから、生きていて欲しかった」と思えないのです。』と、ありますが当然なお考えです。人間のものの考え方は、まず、五感覚で認知します。そして、認識、理解のレベルまで高めます。 ご相談者は亡くなった人を、ご主人の親戚の人で家族の重要な位置にある人だと当初認識されていたのではないでしょうか。しかし、実際に見た、その人の言動から、人物像を正しく理解出来ないまま亡くなったのです。妄想に操られるような人間を「生きていて欲しいかった。」なんて思えないのです。それはそれで正常なのです。 ご主人始め親族の方は、妄想に操られて「分裂症状」を現すようになった人を、妄想に操られているのは、一時的な問題では。何か気に入らない事があるので、そういう言動を取っている。いずれは回復するのでは無いだろうか。と、いう思いが強かったように思います。 この問題は、対象をどの様に認識するかによって、亡くなられた人への思いが違ってくるのは当然のことです。妄想に基づいた言動を取る時の人物をその人の本当の人格だと認識するのか、妄想に基づいた言動を取っているのは分かる。しかし、その人はそんな言動を取る人では無かった。今少し様子を見てみよう。と、考えるのかの差です。この考えを一緒にして妥協点を見いだしたり、こう考えるべきだと思うのは無茶な考えです。 ご相談者は、ご主人始め親族の方の思いと一緒になるような方法は無いだろうか、とか、自分を責めて「最低の人間では?」と、いう思いは中止した方が良いでしょう。なぜなら、ご相談者が受けたイヤな思いは、本当はそうで無かったのだ。それは、自分の思い違いだったのだ。と、いうような錯誤の考え・思いを正当化することになります。今回の件でご自分を悪く思い続けると、分裂思考を手に入れることになりますのでそういう考えは中止すべきです。 ではどの様に考えるべきか、です。 ご相談者が見聞きされた、亡くなられた人の人物の評価も事実に基づいたものであったでしょう。また、長年その人物と交流のあった親族の方が語る、亡くなった方の人物像も、事実でしょう。その二つの違いのある事実を認めることは大変大切です。 人間誰にでも言えることですが、ある時期は苦難の時期であったが、現在は平和で安心できる生活をしている。或いは逆の場合もあるでしょう。いわば人生は社会という自分以外の他者が支配する波に乗りながら生きている訳ですので仲々浪静かな入り江に行き着かないものです。亡くなった方は、浪静かな入り江に入ったものの本体を始めそれをコントロールする「脳力」が失われていたのではないでしょうか。それをご相談者は目の当たりにされたのでは。 もの事を分けて考えましょう。そして、ご自分を責めないことです。ご自分をご自分が責めると慰めてくれる人はありません。そして、責めている事柄の内容が本当の事実のように思ってしまうこともあります。立場が違えばものの見方も考え方も違うのだ。私はこう考えるがあなたは違った考えをするのですね。そして、違った考え方になる原因を分かることです。 以上思いつくままに書きましたので分かりにくい点があるのは承知していますが、ご了解下さいませ。
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- kinkan98
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終わった事についてどうこう考えても仕方ないでしょう。 故人に対する最低限の弔いをしておけば、あなたを責める人はいないでしょう。 考えるのは事後処理が終わってでいいと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 責める人はいないと思うのですが、今後も故人を弔っていかなければいけなく、行事のたびに「まだ迷惑をかけられている」という思いを拭いきれません。 事後処理はほぼ終わりかけており、やるべきことがなくなってきた今、ふとした瞬間に憤りが戻ってくるのです。 主人たちには気取られてはいけないと思うのですが、いつか態度や言葉に出してしまいそうで、どうにか気持ちを切り替えたいと、切に切に願っています。
- borg121
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あなたの立場だったら、「どんなに迷惑をかけられてもいいから、生きていて欲しかった」とは思えないのは当たり前で、「自分という人間の最低さに嫌気がさします。」などと考える必要は全くありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 考える必要は全くないとのことですが、主人が墓守の立場になったため、今後も法事やら、お墓のお世話などをやらなければなりません。 (故人の出身地は日本海側なのですが、亡くなった後のお世話も非常に手厚く行います。) そのたびにモヤモヤと憤った気持ちがぶり返してしまい、本当に苦しいです。 素直に弔う気持ちになれたら、こんな苦しい状態から脱せるのではないかと思ってしまいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 非常に冷静なアドバイスをいただきまして、目が覚めた思いです。 悲しみに包まれる主人方の家族・親戚に囲まれ、その気持ちに共感できないことが非常に苦しかったです。 ただ、故人にも「愛される人柄」だった過去があり、その最期の苦しんでいる時期だけ出会ってしまったと、考えることで、主人たちの悲しみも、自分の中の故人の認識も否定することなく、気持ちが整理できそうです。 ありがとうございます。