飴と鞭の教義。
飴と鞭の教義。
飴と鞭は正しくは、鞭と飴である。決して飴と鞭ではない法を説くとしよう。
人は飴では働かず、鞭で働く生き物である。よって、褒美をチラつかせるのではなく、罰を先にチラつかせるのが正しい。
日本の偉人と言われる儒学の細井平洲先生も、民の庭に木を植えさせる藩の植樹事業の際にこの妙を使った。
最初に人民に新しい過料を追加すると言って、人民を不安がらせて、木を植えた者は助成金を出して追加の過料を免除すると言った。
実際のところ、相手の庭に木を植えるので藩がお金を払わないといけない立場でありながら、追加過料と助成金という鞭と飴を使って藩の財政拠出を1円も出さずに植樹事業を実現させた。これ巧妙である。
もともと過料は存在しなかったが、罰金を先にチラつかせた後に助成金を出すと言うと、人民は喜んで木を自分の庭先に植えたのである。
先に飴を提示して、助成金を出すから庭に木を植えてくれと頼めば、藩の貯蓄は減るわ、自分の家に木を植えるのは嫌だという人民も現れただろう。
飴と鞭と鞭と飴は似ているようで全く異なるものなのである。
相手が困っているとすぐに助けると感謝の念が薄いが、相手が途方を暮れて困り果てた時に登場すると感謝の念は深くなる。
相手が困っていることに気付いても、少し時間を置くのが正しいヒーローと呼ばれる者の助け方なのである。