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愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか

社会(規模は何でも可。個人間のものから国、世界まで)に対する憎悪、嫌悪を抱きながら、それでもその社会にある側面では愛着や希望を持ちつつその中で(もちろん、社会を逃避しても可ではある)生きなければいけないと言う場合には皆さんはどのようにしていきますか。 とりあえず私が思い浮かんだもの(各項目「→」以下は具体例。読み飛ばし可) ・その社会から逃避する →古来より桃源郷やユートピアに表される様に人間は実際に行動は起こさなくてもその理想郷を想像しあこがれた事は間違いない。それは自分が所属する社会に対する絶望を裏付ける強力な証拠である。しかし、実際に行動した人物はそう多くない。やはり、ゴーガンや竹林の七賢よろしく所属社会に対して事実上の絶縁状を叩きつけ、その社会から抜け出すと言う事は難しいようである。特に私のような人間には難しい。 ・その社会自体を改革する →ゴルバチョフは書記長就任の遥か前から当時のソ連に対して違和感を持っていたらしい。しかし、彼はその事をあまり口には出さなかったようである。そしてついに彼が書記長に就任した時、彼は所属社会に対し反旗をひるがえしたそうだ。しかし、私は彼が書記長に就任するまでの苦労や心の葛藤を考えるとこれが果たして凡庸である私に出来る事とは到底思えない。 ・社会との接点を最小限にする →引きこもりがこの様な感情を抱いているかは個々人の問題であるので分らないが、彼らの様に(?)最低限度の付き合い(つまり所属しているだけ)で済ますと言う方法もある。我々は好むと好まざると生まれいずる時より定められた社会に居るのであるから、これは強制的だと言っても過言ではない。ならば、社会との接点をなるべく小さくする事は当然認められるはずである。この行為は前述の社会からの逃避に近く、なおかつよりライトな方法だと思われる。故に愛憎入り混じる対象として社会を見ている私はこれも難しい。 ・都合の良い部分だけを見る →現実逃避に他ならない。しかし、愚者は愚者でこれが一番の解決方法かもしれない。ただし、自ら愚者となりきれる人間に限る。 ・自分にミートする社会を見つけ出す →しかし、対象がもし全てを包括する「人間」や「生命」と言う規模であったならこれは不可能な事である。 以上が、とりあえず思いついたことです。皆さんはこう言う問題にぶつかったらどうされますか? 以下蛇足 この質問はhttp://okwave.jp/qa/q6543513.htmlの続きであります。物好きな方の為に何故こうなったのかをここに。 私は上記質問時にA氏、B氏と形容し彼らの争いにより全くもってどうにもならなくなったとしていますが、これはどうやら間違いではないようです。ただし、その時との大きな違いとして私はA氏が「表層的なもの」、B氏が「抑圧された深いもの」と見ていたようですが、実際には真逆でした。私はこの社会と言う嫌悪対象に対する自己防衛策としてB氏(社会の価値観の代弁者)を創出したようです。つまり、B氏はあらゆる意味で「社会的な」存在であり社会を生き抜く為の防衛システムとして生み出されたものでした。だからこそB氏の登場により私の社会的地位の上昇の為に成績が上がったのでしょう。社会と言うものを制する為にその中にあえて入っていく、毒を持って毒を、の考えでしょう。しかし、そのB氏はあくまで防衛対策。これに対して私に元来からあるA氏(自分の価値観の代弁者)が激しく反発をした、そしてもうどうにもならなくなった。事の顛末はこう言う事だったようです。

みんなの回答

noname#134608
noname#134608
回答No.10

>お礼 >以下、今までの私の質問内容に答えていただきましたら、こちらも対応させていただきます。 『愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか』について、 『質問者は貴方様』、そして回答者が私です。 ですから、『回答者に対応するのは“おしゃべりカテ”』ですね。 そして“おしゃべり”ですから、 >私の質問内容に答えていただきましたら 以上のような条件も必要ないでしょうね。 >愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか 『社会は自らを映し出す鏡である。』 ジドゥ・クリシュナムルティ(Krishnamurti, Jiddu 1895-1986)師の講演の中の言葉です。 ジドゥ・クリシュナムルティ…彼ほど『言葉と言うツール』を使いこなす方は居ないでしょうね。 マザーテレサなどと共に『近代の五大聖者』と呼ばれる方です。 『賢者』と『聖者』…??? 後はご自身でお調べするなり、何なりご自由にどうぞ…。 以上 『愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか』について、 thank2012のfinal answer でした。

noname#134608
noname#134608
回答No.9

こんばんは。 >何故そうなるのか具体例を出してください 『不愉快』であるから、回答しない、評価も無い、そして仲裁の投稿も無いのです。 そして『愛憎うずまく社会』と思っていない方は、【えっ?この社会って愛憎うずまいてるの?】と『混乱』するでしょうね。 ましてや、その中でどう生きるか等は思いも付きません。 そして質問者様は重大な間違いを犯しています。 このサイト運営管理者は以下ように警告しています。 違反のポイント 回答に対する感謝の気持ちを述べる意図がない投稿です。回答が原因となってこのような投稿をされる場合があります。 このような場合には「お礼は不適切」または「質問・回答は不適切」を選択してください。 <違反のチェックポイント> 感謝の気持ちを述べる意図がない 主に回答を批判し自分の意見を主張することが目的 > 配慮のない補足・お礼 -回答の批判- OKBizTM Copyright © 2002-2011 OKWave つまり『閲覧者の方はそれをご存知』なのです。 事実『お礼欄の何処にも』に感謝の気持ちを述べておりません。 何方が『通報する』とこれらの書き込みは全て消去されます。 そしてもう一つの誤りがカテ違いです。 ここは『カテゴリ ライフ > 恋愛・人生相談 > その他(恋愛・人生相談)』です。 『社会問題カテ』ではありません。 >自分の都合の良いように解釈する場合もあるのだから、水魚の交わりでもない限り使う事はおかしいでしょうね。 水魚の交わりには『愛憎はうずまく事は無い』ですね。 >私は辞典の解説はあなたの主観的でどうとでも解釈できる内容に比べたら遥かに親切だと思いますけどね。 それでは、『私に語句の回答を求めず』、親切な辞書をご利用すればよいだけです。 >愛、感動が存在すると言う事をまず証明しなければいけないでしょう。 私は愛を感じた事があります。感動した事も何回もあります。 質問者様は今までに『愛を感じた事も無ければ』、『感動した事も無い』のでしょうか? その体験があれば、『体験=証明』ですし、無ければ『愛、感動が存在すると言う事をまず証明していただけませんか?』と質問すれば善意の回答者の方がお答えなさいますよ。 >私は(今のところ)そうは思いませんが。 質問者様のお父様お母様は結婚前、結婚後に『どのような生活を送ろうか…?』と言う話し合い(議論)をされ、合意に至ったから、質問者様が創造(誕生した)されたのでは有りませんか? >主観でしか捉えられないような内容を書く人の言葉ではありませんね それも私の【+α】の部分ですね。 >主観で言葉を吐かれるそうなので、一応この「真実」とはどういうことなのかを聞いておかなければなりませんね。 『舌の根も乾いてないですよ。(私は辞典の解説はあなたの主観的でどうとでも解釈できる内容に比べたら遥かに親切だと思いますけどね。)』 どうぞ、はるかに親切な辞書をお使いくださいな。 >それから、別に文字数に合わせなくても結構ですよ。 このサイトは『投稿、お礼、補足』全て、『2000文字制限』がある事をご存じないのですか? >ぜひ、全ての部分に対して反応していただきたいですね。 それでしたら『補足欄』を使って、『補足要求』をされればよい事です。 ここは『お礼欄』です。 >端折るだ何て、こざかしい言い訳をされるのはあなたにとって不名誉でしょうから こざかしい…以下辞書引用です。 こ‐ざかし・い【小▽賢しい】 1 利口ぶっていて差し出がましい。生意気である。「―・い口をきくな」 2 何かにつけて要領よく振る舞っている。悪賢くて抜け目がない。「―・く立ち回る」 以上のような『判断が出来る質問者様』は、 1 利口ぶっておらず差し出がましくない。生意気でない。 2 何かにつけても決して要領よく振る舞わない。悪賢くない。 …となりますね。 そうすると本文質問には、『皆さんはこう言う問題にぶつかったらどうされますか?』ではなく、 『賢者諸兄殿はこう言う問題にぶつかったらどうされますか?』とされなかった事が、 『私のような小賢しい、愚者を自認する者』の回答をもらう原因を御作りになったではないでしょうか? 『皆さん』とは辞書によれば、 “みな【皆】 そこにいる人すべて。全員。また、あるもの全部。多くの人々に呼びかける語としても用いられる。みんな。” となっています。 私は“皆”には含まれないのでしょうか? (以上 ご回答です。)

noname#134608
noname#134608
回答No.8

おはようございます。 徒然なるままに…書き込ませていただきますよ…。 誰の言葉かは忘れましたが、 『詩人とは 真実を知る 嘘つきである。』 次は以前このカテで、私が投げかけた質問。 『全てが明らかになった時 ひとはどのような言動を取るのでしょうか…?』 (補説) この『全て』とは、自己、他者、社会、自然、肉体、DNA、…等々。      そして、『明らかになった時』と言う表現は、自身が脳機能を余すこと活動させ、      また、『感性をFULLが発揮出来た状態』で、『森羅万象、摂理、真理』を      “完全無欠、完璧に知った状態”を差しています。 そして以下は“アンケート カテ”にたてた質問。      『あなたが、日本の“一日大統領”になったら、何がしたいですか…?』 (補説) 大統領…政治、経済、あらゆる国政に対して、      『全ての実権と責任を担い、民に対して自らの言動を起こす者』です。      これは、まだ『アンケート』は締め切らずに放置してあります。 また、質問履歴を参照していただけると、このカテに、二つ“作り話”を投稿しています。 お暇なときに『お目通し』頂けたらナァ…と、思います。 …わたしもあなたも、ほかの方々も、(←“不適切な表現ですので言い換えます”) “わたしも わたしたちも わたしたちすべて”が 望むモノ そうありたいと思うものは、 『たったひとつ 共通のモノ』です。 それは、『心豊かに 日々を過ごし 平安 安穏とした 生涯を全うする』事。 次に…わたしの“偽らざる本音”を。 『ひとは 限りない可能性に満ちています。 そしてまた、その本源・核は“真・美・善”であり、 それら3つは“相対無き、完全な絶対”である。』…と。 今回の『愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか』の “社会”とは、実は“個人であり、個人はまた社会でもある”のです。 個人は例え寿命と言う限られた“時間の概念の内”にあっても、 その“一瞬一瞬が成長、進化の過程、途中である”はずです。 そこには必ず“試行錯誤、過ち”が起こるのは自然です。 (一度も転ばずに、直立歩行した“ひと”は存在しないのです。) つまり、『愛憎』とは、試行錯誤、過ちの一側面であり、 それの生み出すエネルギーは『葛藤、混乱』という、 成長の過程の副産物である為、 それが社会に転じた場合…『混乱の歴史・現在』があるのです。 …一個人(生存している人類全ての個々)が『完成』された時、 社会もまた『完成されている』と思います。 そしてまた、個々は『独立、自尊、他尊』、唯一無二であり 尚且つ『一即多 多即一』である。 よって、『自他に如何なる境界も存在させてはならない…』というより、 『如何なる境界も存在しない』のです。 …徒然なるままに連ねましたが、 『大方の諸氏は一個人の限られた時間の概念内』で物事を判断し、 そこに価値観を求め、自己満足を優先させる為、 わたしの書いている内容について、 『それは理想、実現なんて出来るわけ無い戯言』と取るでしょう。 しかし、そうではないのです。 肉体、万物、森羅万象… それぞれに『自然淘汰、発生と終焉の終わること無きサイクル』があります。 現世、現存する『一個人』は、視点を変えれば、 “そのサイクル内の細胞のひとつ”であり、 また、自虐的な言い方をすれば“歴史の犠牲者である”とも言えるのではないでしょうか。 “完全、完璧、絶対、真理”は存在すると実感しています。 しかし、『それらを“そこに至る過程で”無理だ、不可能だ、ある訳ない』と論ずる方は、 『自身の無限のエネルギーと可能性』を自ら放棄してしまっているのです。 それを、細胞に例えるなら、 『他の細胞とネットワーク機能するシステム内で、 自らの存在を破壊し自滅に至り、 周囲にも感化転移する“がん細胞”』と言えると思います。 自己の成長進化の為に “与えられ、全てを有する、わたしたち全ての存在するフィールド”は 共有、共栄、共存のフィールド(←時空と解釈して下さい。)です。 しかし、わたしたちは『文明、文化』と言う綺麗な単語表現によって、 進化は愚か、『退化している』のが実相です。 利便性、合理性という『もっともらしい大義名分』の中で進めている行為は、 『ひと自らの“本性・本質”を日々刻々失わせている…』それが現実だと感じます。 …またまた『文字制限』です。ヽ(≧Д≦)ノ ウワァァン!! (○´ω`○)ノ**SeeYouNext**(○´ω`○)ノ ☆ァディォス☆(`・ω・´)ノ        

rokkasen2
質問者

お礼

以下、今までの私の質問内容に答えていただきましたら、こちらも対応させていただきます。

noname#134608
noname#134608
回答No.7

こんばんは。 >まず、自分勝手にまとめられても困りますよと言う事を伝えておきます。 それって“嘘つき”ですね^^。別に“困ることは無い”と思いますよ。 『自分本位の愚者の戯言』など、『漫談レベル』でしょ・・・(←冗談含みの本音ですよ。) …本来は、『直接お会いしてお話しするべき話題』なのですよ。 rokkasen2さんの今回提示されたこの質問は…。 なぜなら、『此処のフィールドはどんな方でも閲覧自由』ですよね。 私たち二人のやり取りを、『字面だけ読まれた方』の中には、 おそらく、『混乱をきたしたり、不愉快な思いをされてる方が要るはず』ですよ。 ですから…『もう返信はしない』と言う手段に出たのです。 現代人の特に『学歴、学業優秀な方』程、 小学校当時から辞書を使い、学校で真面目に学んでいたからこそ、 『単語、語彙、表現』に対する、『意味づけ』が、柔軟性に欠けているのです。 rokkasen2さんと『二人だけで会話』しているのなら、 『表情、身振り、手振り、さらには図解や“気心通わせて”』 いつまでも語っている内容なのです。 >これは、いただけない。まず一つは自らの意図を表現できない事を言語の責任にするのはいかがなものか。 >次に、その様に言語を見なすのであれば何故ここのように「言語」でしか表現できない所で活動するのか。 その理由は『私と言う存在の行為(回答)から、何かを“感じ取っていただければ”…という想い』ですよ。 広辞苑やら、大辞泉などの“通称、国語辞典”と呼ばれるモノ…。 誠に“不十分な解説”だと思いますよ。 例えば、『愛』、『感動』…など、表記表現でそれを伝えることは無理ですよ。 宗教染みていてあまり使いたくは無い単語なのですが、 私がしている事は、【言葉の持つ、“言霊”によって、何かを感じて頂けたら】と、言うことなのです。 >私は議論と言うものはただ争う事だとは思えない。 御意に御座います。 >議論は相手を負かす為に存在する訳に非ず。また、妥協する為のツールにも非ず。 同じく、“御意にございます”です。 議論は…“創造を生み出す力”です。 しかし、そう解釈していただける方は、ごく少数でした(体験談より) なぜなら、『創造の前段階である“破壊”の時点』で、“争い、争論”とされてしまうのです。 以下、少し“端折ります”よ。 >私の「率直な」感想を 最初にNO.1「達観」している様な印象を持った。 NO.2で詳細に返答していただいた時は自分とあなたとの確かな「乖離」を感じた。 NO.3辺りであなたの話が、さらによく分からなくなる。 この辺で「です、ます」口調を使う余裕がなくなったのは どうもあなたの話が要領を得ないので理解するのに苦労し始めたからだ。 NO.4-5の回答で私はあなたと分かりあう事は相当難しいと悟った。 この人は随分と遠い場所に居るのだと思った。 NO.6では純粋に「失望」した。私の質問に殆ど答えてもらえなかった上に、その理由を言語のせいにしている様を見た。 その上よく分からない自分語りを始める様を見て、この人は大変独りよがりな方だと思った。 …以上の全てが“私のとった行為(回答)に対するrokkasen2さんの感想”…、 それはそれとして『大切なこと』だと思いますよ。 そこに、誤解があろうが、主観があろうが、『それはそれで“良い”』のです。 そして、『それがrokkasen2さんがみた、感じた、“私という存在のある側面、ある断片”であり』、 その『いくつかの側面+いくつかの断面=“自称愚者の私”』と言う“式”は成立しないのです。 自称愚者の私=rokkasen2さんがみたいくつかのある側面+いくつかの断片+【α】 これが【☆】真実【☆】ですよね。(←『お互い様で、私から見た、感じた“rokkasen2さん”も同様』) これのような『真実 対 個人の主観による現実』が 『人類の至る所で“対立として”起こっている』から、 結果的に『愛憎渦巻く社会』になってしまっているのでしょうね・・・。 話を続けるなら…とりあえず、『年代別おしゃべり広場』にでも、『移動』しませんか…? 『はじめのrokkasen2さんの“ご質問”』は、このフィールド全体の方に発信していた訳ですが、 私の発言は全てが、“対 rokkasen2さん向け限定” ですもの・・・^^;。 如何ですか・・・? (文字数2000字制限って“不便極まりない”デスネ・・・仕方なく途中は端折りましたことお詫びいたします。) それでは。

rokkasen2
質問者

お礼

>それって“嘘つき”ですね^^。別に“困ることは無い”と思いますよ そうですね。どちらかと言うとあなたの身勝手さを責めた内容だったのですが、表現上私が困るみたいになってしまいましたね。 >私たち二人のやり取りを、『字面だけ読まれた方』の中には、おそらく、『混乱をきたしたり、不愉快な思いをされてる方が要るはず』 何故そうなるのか具体例を出してください >『単語、語彙、表現』に対する、『意味づけ』が、柔軟性に欠けているのです。 柔軟性って言ってもね。自分の都合の良いように解釈する場合もあるのだから、水魚の交わりでもない限り使う事はおかしいでしょうね。 >その理由は『私と言う存在の行為(回答(ry そうでしょうかね。私は辞典の解説はあなたの主観的でどうとでも解釈できる内容に比べたら遥かに親切だと思いますけどね。 >例えば、『愛』、『感動』…など、表記表現でそれを伝えることは無理ですよ。 そんなのを語るなら、愛、感動が存在すると言う事をまず証明しなければいけないでしょう。 >議論は…“創造を生み出す力”です。 私は(今のところ)そうは思いませんが。 >誤解があろうが、主観があろうが 主観でしか捉えられないような内容を書く人の言葉ではありませんね >真実 主観で言葉を吐かれるそうなので、一応この「真実」とはどういうことなのかを聞いておかなければなりませんね。 それから、別に文字数に合わせなくても結構ですよ。ぜひ、全ての部分に対して反応していただきたいですね。 端折るだ何て、こざかしい言い訳をされるのはあなたにとって不名誉でしょうから

noname#134608
noname#134608
回答No.6

ご不満もおありかと思いますが、『まとめます』よ。 まず言語(単語、表現を含む)と議論…その存在について。 言語はあくまでも言語であって、『実態を表すものではない』事。 ステーキ、焼肉、しゃぶしゃぶ、大トロ、毛蟹…いくら並べても、叫んでも、書いても、 『五感に訴えることは決してない』。…空腹は満たされない、味も香りも食感も、感じることは無い。 そのような特性を持ったものが、『言語(単語、表現を含む)』何ですよ。 しかし人間の感覚はそれだけではない、『シックスセンス』というものがある。 それを『知る過程、知った時』また、コントロール出来るとき、実体なき実体が現前する。 ヨガ、セルフコントロール、知己がそれを可能にする。 そして議論…議論を続ける間は『絶対に平穏平和は訪れない』、 何故なら、『議論は自己主張同士の対立』であるから、 『歩み寄りがあったにしろ』…ストレスがそこには生まれてしまうから。 それは、休火山のマグマのように、やがては爆発する…思想論争、宗教問題。 人道支援と銘打った国家戦略…にんな同じ次元だよ。 以下、決定的な表現…、 >擁護する訳ではないが、彼等は彼らで社会に対してうまく付き合っていると思う。 >私のように社会に対して変革の希望を持ったり、逃避の夢を見る訳でもなく >ひたすらに社会を「飯を食う所」とだけ認識していると言うのであれば、それはそれで素晴らしい境地だと思う。 >「・都合の良い部分だけを見る」につながるものがある。 『うまく付き合ってる、』って笑えるね。 『陰中陽あり、陽中陰あり、陰気極まれば陽となり、陽極まれば陰となる』… では何故『造反者が出る?』、何故、竹馬の友が生涯の友とならないのか? …簡単なこと『思いやりの欠如、我良ければ全てよし』それは、かなりあっさりと終焉を迎える。 そして孤独孤立と敗北に身を振り返っても過去は戻る事は二度とない。 それは『共有、共感、尊重、真の思いやりの慈悲の欠如』…その場だけよければ良いと言う…行き当たりばったりのいき方。 >それはそれで素晴らしい境地だと思う。 それなら、そうすれば良いんじゃない?『所詮は猿真似で終わるよ。』 そこに『愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか 』等と 『甘えて人の様子を探る』なんて事をもう絶対にせずにね。 『一人で生きられるなら、生きてごらん。』 酸素も、水も、食料も、太陽の恵みも、大自然の恩恵も『一切頼らず、感謝せず』、 生かされるのではなく、『生き抜いてみてごらんよ』…自ずと結果は出るから…。 それで満たされるなら…それでも良いと思うよ。 エネルギッシュなんだし…やってごらん。 誰にも聞かず、誰からも学ばず、何者も尊敬せず…『ただつかの間の幸せを感じる人生』…。 やってみる価値はあるんじゃないかな…私はそれはもう“終わった”そして自らが愚者である事を気づいた。 その気付きは『何にもも変えられない大きな財産。』 高々数億の豪邸、銀座のクラブのママとの愛人生活、そして、ロリンザ、アルピナ、ベントレーの世界で数台の限定の車、 そんなものはもう2度といらない…下らないよ。 国内で最初の○○というステータス…何もいらん、“今は”芳しい梅の香り、ほころびそうな桃の花、 花目を付け出した桜の木…散歩の途中で、『何よりの平安を与えてくれてるよ…愚者の私にね。』 『愛』という単語は『愛ではない』…それを感じた時、そこに確かに愛は実在する。 意味不明でもなんでもない。 It' s that it is. それだけ十分、I am that I am. それだけで慈愛の実在が確証できる日が来るよ。 最後の最後だけど、rokkasen2さんの事、『私は大好き』だよ。 限りない可能性に満ちたエネルギッシュなヤツとしてね。 嘘も隠しも無い“本音”だよ。 最後の蛇足…。 あるモノがあるモノを『完全に受け入れ一体となる瞬間がこの世にたった一つの現象としてある。』 それは『受精』。 暇があったら計算してみると良いよ、rokkasen2さんの親父さんが 『生涯にわたって生産した精子の数』*『お袋さんが生涯で排卵した卵子の数』=そのたった一つの『完全な一体化』が、 rokkasen2さんだってことをね。 それは、ジャンボ宝くじを『何回連続一等当選をした確率に等しいか』…それじゃ。 数年前の自分を見ている感じのrokkasen2さんへ…おやすみ。 そして・・・昔を思い出させてくれてアリガトウ^^。 もう返信はしないからね。あとは『自力で遣り抜きな…力尽きるまで。』 天文学的確立で授かったrokkasen2さんの生命、人生…『甘えないでガンバれよ』…なっ!!

rokkasen2
質問者

お礼

まず、自分勝手にまとめられても困りますよと言う事を伝えておきます。 >言語はあくまでも言語であって、『実態を表すものではない(ry これは、いただけない。まず一つは自らの意図を表現できない事を言語の責任にするのはいかがなものか。 次に、その様に言語を見なすのであれば何故ここのように「言語」でしか表現できない所で活動するのか。 >『議論は自己主張同士の対立』 議論は自己主張のみで形成される訳にあらず。辞書的意味ならば議論は争う事であろうが、私は議論と言うものはただ争う事だとは思えない。 議論は相手を負かす為に存在する訳に非ず。また、妥協する為のツールにも非ず。 >簡単なこと『思いやりの欠如、我良ければ全てよし』それは、かなりあっさりと終焉を迎える。 何故、「うまく付き合っている」からこう言う結論が導き出されるのか >それなら、そうすれば良いんじゃない?『所詮は猿真似で終わるよ。』 そうすると言う発言をした憶えはない。また、何故しないのかも前述済み。 >そこに『愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか 』等と『甘えて人の様子を探る』なんて事をもう絶対にせずにね(ry 以下意味不明。そもそも何故そう言う話になるのか。さらに、何故その様に展開されるのか。 以下、もう返信されないとおっしゃられたので、とりあえずあなたに対する私の「率直な」感想を 最初にNO.1の回答を頂いた時は何か「達観」している様な印象を持った。NO.2で詳細に返答していただいた時は自分とあなたとの確かな「乖離」を感じた。 NO.3辺りであなたの話が、さらによく分からなくなる。この辺で「です、ます」口調を使う余裕がなくなったのはどうもあなたの話が要領を得ないので理解するのに苦労し始めたからだ。 NO.4-5の回答で私はあなたと分かりあう事は相当難しいと悟った。この人は随分と遠い場所に居るのだと思った。 NO.6では純粋に「失望」した。私の質問に殆ど答えてもらえなかった上に、その理由を言語のせいにしている様を見た。その上よく分からない自分語りを始める様を見て、この人は大変独りよがりな方だと思った。

noname#134608
noname#134608
回答No.5

(連投、続きです。) >一細胞は“全体のネットワーク”を知りえない存在 何故そういいきれるか 二つほど例えます。 一つは『地球の生態系』、 北米の一植物が太陽と豊かな自然環境の中で光合成をして酸素を放出しました。 その酸素は偏西風に運ばれ、欧州上空の渡り鳥が消費しました。 その渡り鳥がインド洋で糞をしました。その糞は海中に落ちプランクトンの養分になり、 プランクトンは海流に乗り東シナ海で、小魚に食べられました。 その小魚は…(限が無いからこの辺でやめますね。) もう一つは簡単に、髪の毛は毛根毛母細胞から生えます。 それはホルモン、脳が作用しています。 その髪の毛は『頭部を守る保護の役割』もしています。 人間も生態系の一部です。地球の住人、宇宙の一細胞です。 現在の中東の『発展途上国の民衆の“一揆”』も、 世界の株価、経済にに計り知れない影響を与えています。 先進国?発展途上国?生存問題?国際平和?…?…?…? …人の関するものもやはり、 『個』と『総体』の間にはネット(繋がり)があると思いませんか? それが機能しているのですからネットワークと呼んでも宜しいのでは…? さて最後に『愛憎うずまく社会の中で“どう”生きていくか』ですが、 『愛憎があろうと無かろうと』、社会で“どう”いきていくか…? その“どう(どのようにして)”、それは、『誰かが誰かに問う問題ではない』と思いますよ。 (原質問文中の『以上が、とりあえず思いついたことです。 皆さんはこう言う問題にぶつかったら“どう”されますか?』・・・これもタブーだと感じます。) 、 『(現存している人類の)誰かが、全人類を納得させられる答え』を 考え付くことも無ければ、見出すこともできないと思いますよ。 それがもし出来るとすれば、『遠の昔に人類は平和、各人の豊かな心』を 達していたのではないでしょうか? 全ての人類の其々の個人が、『生かされていく中』で、 自ら試行錯誤し、七転び八起きで“どう”を掴む事が、 人が人である由縁のような気がします。 最後になりましたが、rokkasen2さんのような方が“居る”と言うことは、 私のような隠居には、“頼もしく、そして嬉しく”思います。 批評評論は誰でも容易く出来ます。 マスコミ、政治“屋”、評論“屋”…と勝手なこと言って“飯の種”にはしても、 何事あれば“責任転嫁”で、『ハイ、さようなら』ですものね。 しっかり私腹は肥やしておいて…。“腹切りのDNAは何処へ…?” しかし、『あらゆる事に疑問を呈し、その真実を探り、問題点を改善してゆく…』 そんな『過渡期のステージが現在(現代)』だと思います。 それを超えた時また、新たなステージが始まるでしょうね。 返信送れて本当に失礼しました…そしてお付き合いありがとうございます。 では。

rokkasen2
質問者

お礼

>その髪の毛は『頭部を守る保護の役割』もしています。 文中「も」の用法は何か >二つほど例えます。(ry 私が聞いているのは、何故一細胞が全体のネットワークを知りえないと言い切れるのか、と言う事である。 >『愛憎があろうと無かろうと』、社会で“どう”いきていくか…? 何故、この一文を付けたのか? >その“どう(どのようにして)”、それは、『誰かが誰かに問う問題ではない』と思いますよ(ry それがそのまま結果に結びつく等と言う浅薄な考えでもちろんない。と言うかそうであるのであれば、あなたにここまで食い下がらない。 >マスコミ、政治“屋”、評論“屋”…と勝手なこと言って“飯の種”にはしても、 擁護する訳ではないが、彼等は彼らで社会に対してうまく付き合っていると思う。私のように社会に対して変革の希望を持ったり、逃避の夢を見る訳でもなく ひたすらに社会を「飯を食う所」とだけ認識していると言うのであれば、それはそれで素晴らしい境地だと思う。「・都合の良い部分だけを見る」につながるものがある。

noname#134608
noname#134608
回答No.4

返信遅くなりまして申し訳ありません。(PCのHDが不具合となっておりました。) さて、今回はrokkasen2さんの“愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか・・・”について、 最後に締めくくりたいと思います。 その前に、各項目についてお返事差し上げたいと思います。 >ただし、何を得る為に傍観するのか。 “何を…”そのお答えは、『未知、そして真実』ですね。 補足しますと、『私たちは“日々刻々、未知との遭遇”をしている。』とは思いませんか? 『過去(これまで)と現在』は“何かが必ず変化している”と言うのが、ご理解頂けると思います。 しかし、『その変化に気づかなければ…』、その瞬間は『既知』であり、 何も進歩も退化も無く、ただ単なる『昨日と同じ今日』と言う時間を、 無駄に費やしていると言うことです。 そしてまた『真実…』、単語で言うは易し、されど『全的な真実』を知るは難しです。 大半の方々が、『現実の一段面、一側面のみを知ったことで、それを“真実”と思い込んでいる』 そのように感じます。 また蛇足ですが、何を得る“為”にの、“為”と言う目的意識は、 やはり『我欲が含有されているため、“正見”には至らない』ようですね。 >傍観と言う行為自体にある種の「中立性」がある。 また、この点では一元性について問題にしていない。 中立では『傍観は決してできない』と思いますよ。 中立とは『ある境界線にバランスを保って居る状態』ですね。 それでは『傍観→観察→洞察→気づき』と言う無為の発展性を欠いてしまいます。 ここを読まれるほかの皆さんに、不愉快な思いをさせる表現になるかもしれませんが、 『二次元の平面の真ん中の線上に位置するのではなく、 二次元の平面を三次元の、しかも“その二次元平面のあらゆる点から、 等距離の三次元の位置”から』、全てを“注意して傍観”するのです。 (私が始めに“傍観”と言う単語を使ったことに、誤解の根源がありそうですね。 一般的に“傍観”と言うと、『我、関せず、無関心』と言う概念で捕らえられてしまいますものね。 『無為夢想でありながら、“注意を全体に向けている”』と言う状態…それが私の“傍観”です。) >「その」が指すものは何か 日本語ではニュアンスがうまく伝わらないようですね。 “It is that it is.”のItです。 >驕りも誤解も無く…『思想』等(ry 思想は自由なものである事は認めうる。 えっ!認めるのですか…? 本当は『思想は不自由だ…』とツッコミを予想していたのですけどね。 何故なら、『思想』などと言うもの、『本人の勝手』と言う意味で“自由”と表現しましたが、 その実は、『個人の過去の(断片的な)体験』の、 “単なる反応のひとつに過ぎない”窮屈なものだと言うのが、私の本音です…。 >ただし、自らを愚者とした上で自分自身の思想を自分で決めるなどと言う行為自体が意味不明。 私が自らを“愚者”と称する上で、『他者との比較は皆無』です。 “今日の私が昨日の私を傍観した時、今日の私にとって昨日の私は間違いなく愚者”です。 同様に明日居るであろう私が、今現在の私を観察すれば、やはり愚者なのです。 つまり、私は“発展途上人、成長過程にいつもその身を置いている”訳ですから、 “いつまでも愚者”なのです。 >また、思想が自我を有するのであれば傍観など事実上不可能であるはず。 この件に関しては10行前にご説明しましたね…ツッコミがを期待していたと。 >この”完全”の指標は何でしょうか? まず、あなたの傍観と言う行為があなたのNO.1での回答にある「個人、自身の主観、思考に頼る事はしません。」と言う条件から来ている。その上でそれを可能にする為にはある種の「全てを排除した完全性」が必要である。つまり、個人の主観、思考を排除できた完全性である。 ええ、まったく仰るとおり…仏教的になりますが、完全性の指標は『空(くう)』でしょうね。 それを今回の本文中では『心のあり方』としての、“無為夢想”という単語にも同義ですね。 >自我由来のものに完全性を求めた憶えはない “I am that I am.”は『完全』だと思いますよ。 我思う、故に我あり。 その我は『自我』、『小我』、『没我』の“我”では無く、“大我”ですね。 >文中「が」の文法的意味は何か 『不束者です“が”、よろしくお願いいたします』のような感じですね。 (国語の『~~助詞やら、~~副詞』と言う分野は苦手です…) (文字数オーバーです、連投しますね。)

rokkasen2
質問者

お礼

>未知、そして真実 社会を「かんさつ」する事により真実を発見できるとは何故言い切れるのか。また、真実を見つけることが社会で行きぬく上でどの様に役に立つのか。 >何を得る“為”にの、“為”と言う目的意識は、やはり『我欲が含有されているため、“正見”には至らない』ようですね。 我欲が含有されていなければそもそも「社会を生き抜く」の様な質問は成立しない。我欲があらざれば、生き抜く必要すらない。 >中立とは『ある境界線にバランスを保って居る状態』ですね。 中立とは、どの対象にも寄っていない事であって、そこにバランス云々の意味はない。ただし、あなたがその様な意味で中立と言う言葉を使うのであればそれは認める。 あなたの言う傍観とは、傍観と言うよりは「観察」と言う表現の方が適切か? >“It is that it is.”のItです。 意味不明 >何故なら、『思想』などと言うもの(ry 自由と言うのは「自分の意のままにできる」事であって、全てを選択できうると言うことではない。よって思想は自由である。 ただし、思想と言うものが全ての選択肢の中から選ばれ得なかったものであると言う再認識は価値があると思う。 >“今日の私が昨日の私を傍観した時、今日の私にとって昨日の私は間違いなく愚者”です。 意味不明 >この件に関しては10行前にご説明しましたね…ツッコミがを期待していたと。 説明不足。全ての選択肢から選ばなかったとしても、思想を自ら選択したと言う事実は変わりえない。 >ええ、まったく(ry そもそもあなたは完全なるものが実在していると思われるのか。ちなみに 「誰かが…、また誰しもが『完全』と認めたとしても、  所詮、人為が作用している為、『そのような完全を“完全”と称する』事は、  不完全な事なのです。」 と言うコメントからは完全の否定が見られるが 「仏教的になりますが、完全性の指標は『空(くう)』でしょうね。  それを今回の本文中では『心のあり方』としての、“無為夢想”という単語にも同義ですね。」 と言う発言からは完全の存在が示唆されている。 完全の存在は今回のお話で非常に大切なので答えていただきたい。また、それと同時に上記二つの引用部分の詳細なる説明を求める。 >“I am that I am.”は(ry これも同上。「其処に完全、完璧を求める事自体“誤り”なのです。」と言う発言は自我の完全性を否定。 しかし、「“I am that I am.”は『完全』だと思いますよ。」と言う発言では自我の完全性を肯定。 何故、こうなったのか。上記引用部分2つに関して詳細なる説明を求める。 その上で私は最初から自我に完全性を求めていない。 >不束者です“が”、よろしくお願いいたします 単なる接続の「が」と言う認識で良いのか

noname#134608
noname#134608
回答No.3

こんばんは…良いですね、楽しいですね。 一つづつ追って生きたいと思います。 但し『言語、単語、表現は完全ではない…』と言う事に同意してくださいね。 私たちは『五感も不確実(可視、不可視・可聴、不可聴…)』そのような肉体を有しているのですから…。 しかしまた『シックス・センス』と言う、感性をも落ち合わせています。 どうか、『周波数を同調』して頂いて、お読みいただければと思います。 >平常心って何でしょうか。どういう状態が平常なのでしょうか 『ありのまま、あるがまま』を受け入れられる状態の心です。 >まず「この」は何を指しているのか。 『思想および、その思想と言う単語に対する既成概念』とご理解ください。 >その上で欠落ありきなら上記の平常とはほど遠いものではないか。 いいえ全く違います。 『思想は過去に因を持たなければ、それは構築されない』のです。 しかし『平常心』の『ありのまま、あるがまま』は“現在(現実)そのもの”です。 過去の柵、概念に囚われていては『“今、この瞬間”平常心を持つ事は出来ない』のです。 >神は比喩表現。 そうですか、それはそれで構いません、話の進行に何ら支障はありませんから…。 >私が問うたのはあなたのその中立性を強調する 私が何時、どの部分で“中立”と言う単語を使ったでしょうか? 私が使った単語は『一元(性)』と言う事です。 一元(性)と中立(性)は全く性質、視点が違います。 ”一元(性)=無境界”の状態であって、 中立(性)とは、二つの境界の線上であるという事です。 >思想についての多分に含まれる驕りの部分について問うたのです。 私は思想家でも何でも在りません、 自らを称して『何一つ“完全に知る事が出来ていない”愚者』と申した筈です。 また引用部分も『思想についての“そのような表現をする中に” 多分に含まれる驕りの部分について問うたのです。』と解釈して宜しいですか? 驕りも誤解も無く…『思想』等と言うものは『エゴを含有した主観』以外の何物でもありません。 ですからまた、『主観の表現』は自由を前提としていますので、 『如何なる思想も自由であり』その思想を『共有する事』も各人の自由なのです。 因って、『(いかなる)思想』は“限定された個の集団内”でその価値は認められるものの、 “集団の外”では無価値に等しいのです。 ここで“集団内 対 集団外”と言う『対立の構図を生み出すことになる』為、 『思想に因を持った争いが歴史上数多く繰り返されている』と言う史実があるのです。 >完全性が保障されてないなら平常とは何か。(前述) この”完全”の指標は何でしょうか? 誰かが…、また誰しもが『完全』と認めたとしても、 所詮、人為が作用している為、『そのような完全を“完全”と称する』事は、 不完全な事なのです。 >自我を内包している事が大きな間違いとはどういうことか。 “自我”は『何一つ正当な評価をすることが出来ない』のです。 因って「あらゆる主観は偏見」でしかないのです。 自我は『其々の個体の過去に起因して構成されている』為、 其処に完全、完璧を求める事自体“誤り”なのです。 (誤り=真実ではない) >意味がよくわかりませんね。 >社会の価値観と自分の価値観の乖離をどうやって克服するのかと、 >言う事を聞いていたはずだったのですが。 社会は個人の集団です。そしてまた自分とは個人です。 社会を人体に例えれば、個人は“一細胞”です。 一細胞の機能は全体を支える為に不可欠ですが、 各細胞の“ネットワーク”により人体は機能します。 一細胞は“全体のネットワーク”を知りえない存在であると共に、 全体にとって、一細胞は無くてはならない存在なのです。 従って“社会と個人”に乖離が生まれるのは必至であり、 それに伴う価値観(と称されるもの)も乖離が生じて然るべきなのです。 その乖離を克服する為には、『一細胞として機能しながら』、 その機能に注意を奪われる事無く、全体に注意を注ぐ事…。 つまり何度も繰り返してきた、『傍観、観察、洞察』と言う事になるのです。 誤解無きよう再度繰り返しますが、『社会(の価値観)と自身(の価値観)の乖離』を無くす為には、 自身が社会の構成一因子として機能しながら、社会を『傍観、観察、洞察』するのです。 自身の機能を停止して、『傍観、観察、洞察しても本末転倒』にしかなりませんよ。 それでは^^。

rokkasen2
質問者

お礼

>『ありのまま、あるがまま』を受け入れられる状態の心です。 把握。ただし、何を得る為に傍観するのか。 >『思想および、その(ry 把握 >『思想は過去に因を持たなければ(ry 把握 >私が何時、どの部分で“中立”と言う単語(ry 傍観と言う行為自体にある種の「中立性」がある。また、この点では一元性について問題にしていない。 >“そのような表現をする中に” 「その」が指すものは何か >驕りも誤解も無く…『思想』等(ry 思想は自由なものである事は認めうる。ただし、自らを愚者とした上で自分自身の思想を自分で決めるなどと言う行為自体が意味不明。また、思想が自我を有するのであれば傍観など事実上不可能であるはず。 >この”完全”の指標は何でしょうか? まず、あなたの傍観と言う行為があなたのNO.1での回答にある「個人、自身の主観、思考に頼る事はしません。」と言う条件から来ている。その上でそれを可能にする為にはある種の「全てを排除した完全性」が必要である。つまり、個人の主観、思考を排除できた完全性である。 >其処に完全、完璧を求める事自体“誤り”なのです。 自我由来のものに完全性を求めた憶えはない >一細胞の機能は全体を支える為に不可欠ですが、各細胞の“ネットワーク”により人体は機能します。 文中「が」の文法的意味は何か >一細胞は“全体のネットワーク”を知りえない存在 何故そういいきれるか

noname#134608
noname#134608
回答No.2

こんばんは。 “掲示板”的な使い方になってしまいますが、 お許しをm(_ _)m。 >なるほど。現実的には社会に所属しているが、 >心を閉ざしているからセーフって奴ですね。 心の定義は曖昧ですが、心を閉ざしていたら『感性』が無くなってしまいます。 従って、閉ざしているのではなく、『平常心』を保つことですね。 >ただ、傍観者と言うのはただひたすらの中立性もしくは疎外性がありますが、 >だからこそこの思想自体に非常にアヤシイ雰囲気を感じます。 この『思想』が問題です。思想は『完全性を持たない』モノです。 思想の根底、思想が出来上がる過程には、『過去』がなければなりません。 しかし『その過去も“全的”に捕らえる事は不可能』です。 つまり『過去は断片の集合体』であり、それが『一片の不足』が有っても ”全的”とはなりえません。 従って、『不完全な過去』から派生してくる『思想』は完全ではなく、 何らかの“欠点”を含んだものとなる為、『常に思想は怪しい不完全なモノ』なのです。 >オブザーバーとしての絶対的な中立性及び疎外性からは >私はどうしてもあたかも自分を「神のごとく」錯覚し陶酔している >愚か者を想像してしまうんですよね。(あなたは違うかもしれませんが) 『神』がもし、人為的な『言葉や表現』で表す事が出来るなら、 それは『 ひとの範疇に収まってしまいます』ので、 “ 神 < ひと ”となってしまい、 その時点で『“神”はひとの産物』となってしまうでしょう。 ひとは“被造物”である事は簡単に理解できるはずです。 >愛憎…表裏一体の『一元』 よく分かりません。ご説明お願いします。 コインの裏と表、光と闇、陰と陽、+と-…、苦と楽、渇きと潤い、 喜びと悲しみ…これら何れも相関、相対関係にあるように捉えますが、 すべてが『どちらか一方だけでは存在し得ないモノ』なのです。 闇の中だけに在るモノは、それを『闇とは認識しない、できない』のです。 光と言う対象物を認識しているから、闇もまた認識できるのです。 喜びだけを知っている…という方も、悲しみの存在を認識していなければ、 『喜びと言う認識は生まれてこない』のです。 したがって、『一方だけでは存在し得ない、双方あってその認識が生まれる』 …つまり『同源=一元』であると言う事です。 >愚か者を想像してしまうんですよね。(あなたは違うかもしれませんが) その通り、私は『愚者』以外の何者でもないですよ^^。 『完全に知っているモノは何一つありません』から…。 例え『博士号、学士号、名誉教授』の肩書きがあったにせよ、 『発展途上である“一学問のある程度を修めただけ”』でそんなモノは、 人為的に授与されますからね…^^。 しかし、それなら“常に知る過程”に自分を置けば良いだけの事です。 >エゴを内包しているのは明確 どう言うエゴなのでしょうか。そもそも何を持ってエゴとするのでしょうか。 (大辞泉引用) エゴ【(ラテン)・(英)ego】 1 自我。 2 「エゴイズム」の略。「―をむき出しにする」 3 「エゴイスト」の略。 自我を称してエゴと使っています。 そして『自我』は『其々の過去の”体験、経験、記憶”』に因って形成されており、 『他者と共有する事が出来ないモノ』です。 従って、『エゴ=自我』から因る『主観』は、 『絶対的な尺度を持ち合わせない曖昧なモノ』となる為、 『一主観』対『一主観』は対立、混乱、葛藤しか生み出さないのです。 >新しい価値観って事でしょうか? >しかしその価値観が社会が認めうる価値観となるのでしょうか? >私は難しいと思いますが。 社会が認めうる価値観=その時点の”主観の多数派”と言う事で、 其処にはやはり『絶対性は無く』、多数派の変動と伴に価値観は変化します。 ですから『価値観』等は、『情報操作や社会概念…その他』に相応する為、 『今日の新しい価値観』は、明日になれば『廃れた価値観』に落ち行くものです。 創造という言葉を使いましたが、 『古いものを幾らリフォームしても新しいものにはならない』のです。 創造の前段階には『無、空(くう)』または、 『古い現存する“有”の破壊、消滅』が前提に有ります。 そこで初めて、『新しいモノ』が生まれるのです。 何れにせよ『誰もこのフィールド』から、出る事も、逃げる事も出来ません。 それなら、『知の過程に身を置くしかない』… 『知に至るには“疑問と気づき”』が必要になってきます。 疑問と気づきを齎すには“傍観、観察、洞察”が最低限必要ということです。 愚者、故、至らぬ点はお許しをm(_ _)m。 それではまた。

rokkasen2
質問者

お礼

>『平常心』を保つことですね。 平常心って何でしょうか。どういう状態が平常なのでしょうか >この『思想』が問題です。(ry まず「この」は何を指しているのか。その上で欠落ありきなら上記の平常とはほど遠いものではないか。 >『神』がもし、人為的な『言葉や表現』で表す事が出来るなら(ry 神は比喩表現。私が問うたのはあなたのその中立性を強調する思想についての多分に含まれる驕りの部分について問うたのです。 >コインの裏と表、光と闇、陰と陽 把握しました >それなら“常に知る過程”に自分を置けば良いだけの事です。 完全性が保障されてないなら平常とは何か。(前述) >自我を称してエゴと使っています。 自我を内包している事が大きな間違いとはどういうことか。 >社会が認めうる価値観(ry 意味がよくわかりませんね。社会の価値観と自分の価値観の乖離をどうやって克服するのかと、言う事を聞いていたはずだったのですが。

noname#134608
noname#134608
回答No.1

こんにちは。 >皆さんはこう言う問題にぶつかったらどうされますか? ひたすら『傍観』しますね…(もうしてるかもしれませんし、そうしたいですね。) そして『観察、洞察』します。 個人、自身の主観、思考に頼る事はしません。 >愛憎うずまく社会の中でどう生きていくか 愛憎…表裏一体の『一元』を、勝手な主観で『二元化』しているだけです。 それより恐ろしい事は『無関心、無反応』でしょうね。 >理想郷を想像しあこがれた事は間違いない。 それが『大きな過ち』なのかもしれませんよ。 それらは想像にしろ、思考にしろ『エゴを内包しているのは明確』です。 『エゴ』の作り出す平等も平和も、安心も、理想も…『自己満足の範疇』でしょうね。 >我々は好むと好まざると生まれいずる時より定められた社会に居るのであるから、 >これは強制的だと言っても過言ではない。 ええ、言い方は様々ですが『的を得ている』と思います。 『大宇宙、一銀河系内太陽系惑星”地球”』の しかも限定された生存可能な地域にしか、『私たちの居場所はない』のですから…。 想像より”創造”でしょう。 過去に何ら影響されない『今、現在』の全く新しい“生命バランス”が必須のようですね。 その根底には“自らを知り、他者(万物と摂理)をも知る”事が肝要のようです。 その為に“傍観、観察、洞察”は不可欠…と言う事です。 まだまだ“歴史は続く”ようですね^^。 それでは。

rokkasen2
質問者

お礼

>ひたすら『傍観』しますね なるほど。現実的には社会に所属しているが、心を閉ざしているからセーフって奴ですね。 ただ、傍観者と言うのはただひたすらの中立性もしくは疎外性がありますが、だからこそこの思想自体に非常にアヤシイ雰囲気を感じます。 オブザーバーとしての絶対的な中立性及び疎外性からは私はどうしてもあたかも自分を「神のごとく」錯覚し陶酔している愚か者を想像してしまうんですよね。(あなたは違うかもしれませんが) >愛憎…表裏一体の『一元』 よく分かりません。ご説明お願いします。 >エゴを内包しているのは明確 どう言うエゴなのでしょうか。そもそも何を持ってエゴとするのでしょうか。 >『今、現在』の全く新しい“生命バランス”が必須 新しい価値観って事でしょうか?しかしその価値観が社会が認めうる価値観となるのでしょうか?私は難しいと思いますが。

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