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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:和訳)
Soseki's Thoughts on English Language Ability in Japan
このQ&Aのポイント
- Soseki expressed his frustration with his own English language ability, stating that his listening comprehension was not good enough and his speaking ability was lacking.
- While in Japan, Soseki had little trouble communicating with British people, but struggled to understand the fast-paced speech of people in London, particularly the cockney dialect spoken by working class individuals in East London.
- Despite his self-criticism, Soseki's English must have been quite good, as he was able to understand plays and was studying English literature. He believed that the Japanese lagged behind in oral communication skills, even though they could read difficult books and know many difficult words.
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<訳例> 漱石は自分の英語について次の様に書いている:「余の話す能力は言うまでもなく、余の聴解力が十分によくないことは遺憾なことだ」日本では、彼は、英国の人々と話すのにさほど苦労はしなかったが、ロンドンの人々はしばしば、あまりにも早く話すので、彼には理解できなかった。 特に、彼は、イースト・ロンドンの労働者階級の人々により話される、コック二ー(ロンドン下町訛り)が、非常に理解しずらいと思った。 しかし、実のところ、漱石の英語はまったくよかったにちがいない。彼は劇を理解でた。そして、彼は英文学についての個人教授を受けていた。 彼は、たぶん、自分の英語に批判的であった、というのは、自身の英語が完璧であることを望んだためであった。彼は生来完璧主義者であった。 当時の日本人の英語の能力に言及して、彼は次の様に書いている:「日本人は難しい本を読むことができて、多くの難しい言葉を知っているけれども、口と耳は随分遅れている。もし将来、多くの外国人が日本を訪問するならば、我々の英語は、彼らと意思を伝え合うのに十分うまいとは言えないだろう」 残念ながら、100年後でさえ、漱石が指摘した問題は、解決されていない。