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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:【OKWave】映画にまつわる思い出を教えて下さい)

【OKWave】映画にまつわる思い出を教えて下さい

このQ&Aのポイント
  • 「恵比寿ガーデンシネマ」が休館となり、多くの人々が残念がっています。
  • 高校生の頃にデートで『バトル・ロワイアル』を見に行った思い出があります。
  • 映画にまつわるさまざまな思い出や感銘を受けた映画館、一緒に行った人など、皆さんの回答をお待ちしています!

質問者が選んだベストアンサー

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  • daaw19
  • ベストアンサー率71% (5/7)
回答No.46

ANo.32のsyusouanさんのお父上はボクの大先輩です。 ボクは赤胴鈴乃助が製作された年より10年ほであとで入社したのですが(部署は監督室=大映では監督部と言わず監督室と言ってました)、ボクが入社した頃はまだまだ現場でご活躍だったことと存じます。 懐かしいです! 大映京都の大道具(美術部背景係と言いました)さんは、世界的に図抜けて高い技術を持っており、ハリウッドやフランスやロシアの映画人も見学に来て舌を巻いた(作品との比較でどんな風にこれらの背景を作るのかと興味を持って来たのでしょう)ほどです。 また、そのためには「手を抜かない」ということがありました。 たとえば時代劇や古い時代の日本家屋の壁なども、本当の建築時のように泥をこね藁をまぶしてーーーと、本壁を作っていたものです。 他の会社ではベニヤ板に新聞紙を貼って、その上に色をスプレーするという方式であり、素人の目は誤魔化せたのかもしれませんが、「大映の美術は違う!」とよく言われたものでした。 お名前を伺えればもちろん存じ上げている先輩だと思いますが、こうしたところ(OKweb)では、そうもいきませんね。 懐かしくも残念です。 ご健在なのでしょうか。 撮影所がなくなってから、同窓会のような集まりは一切なく、寂しいものです。

okwstf01
質問者

お礼

daaw19さま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのHikaruです。 >ANo.32のsyusouanさんのお父上はボクの大先輩です。 なんと…縁とは味なものですね!こうした場所でめぐり合うとは、やはりこれも映画のお導きでしょうか。 今ではCGが台頭して、いろんな背景を比較的手間をかけずに作れるようになりましたが、人の手が作り出したものはやはり人の手でしか、本当のリアル感は出せないのだと思います。 私は演劇の大道具をやっていて、映画とはまた違うのかもしれませんが、細部にこだわるほど、役者の方も雰囲気に乗ってよい演技をしてくださるものですね。 いつかdaaw19さま苦楽を共にし、世界に誇る「大映京都」の美術、そして映像を生み出したご同胞と心行くまで語り合える機会があることを願いつつ…。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

その他の回答 (57)

  • momonaoko
  • ベストアンサー率50% (5/10)
回答No.37

はじめまして(^^) 上京して間もない頃、デート代を節約して、月に1回の贅沢日に ジャンケンでどちらかが見たい洋画を決めていた時期が有りました。 私が勝って、メルギブソンが出ていた≪ブレイブハート≫を見る事になりました。 負けた旦那は、しぶしぶ感有り有りでこの映画を見ていたのですが 映画の終盤で 【フリーダーーーーァム!!】 と、魂の自由を叫びながら命を絶たれてしまうのですが まさかの号泣(><。)。。くっくっくううーーーと。。それも声出して・・・ 泣いていたのは旦那でした(^^) 帰りに 『負けたけど良かった(><。)』 と、感動冷めやらぬ旦那さんと泣き損ねた私は 映画の感想を熱く語りながら中央線で盛り上がって、 乗客の方に迷惑がられた思い出が有ります(^^)

okwstf01
質問者

お礼

momonaokoさま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのTakikoです。 「ブレイブハート」私はまだ観た事がないのですが、3時間近い歴史大長編なのですね。 自分の好みだけでは出会えなかったかもしれない作品を観て号泣!『負けたけど良かった(><。)』とおっしゃるなんて、素直で可愛らしい旦那様ですね。 青春の1ページとも言える映画にまつわる思い出をご回答いただきありがとうございました。 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

回答No.36

・そう、あれは高校生の頃憧れの彼女とデートまでこぎつけ有楽町へ映画を観に。私は「コブラ」を観たかったけど彼女の意向を汲んで「ラストコンサート」とか言う映画を観たら不治の病のピアニストのおっさんと若い娘の悲恋の話でその在りえなさに笑ってたら振られました。 ・二十歳を過ぎた頃「ニューヨーク1997」とか言う映画を当時の彼女と観に行ったらまるで女性には興味のわかない映画らしくこっちが観てるのに何かと邪魔してくるので無視してたら振られました。 ・24くらいだったかなぁ?当時モノにしようと狙ってた彼女と「ロッキー3」を観に行ったら「米国人はこの映画観ながらボクシングの観客になったつもりで応援しちゃったりするのよ」なんて言うので「でも俺は日本人だから映画観ながら応援なんて恥ずかしくてようできんわ」みたいなことを言ったら振られました。 ・もうそろそろ年貢の納め時かと結婚を前提に付き合ってたつもりだった彼女が「ハチ公物語」を観たいと言うので一緒に行ったらスローモーションで犬が走って悲しい曲調のBGMが流れると観客がいっせいに鼻をすすりだしたので「まるでパブロフの犬だね」なんて言ったら婚約解消されてしまいました。 そうですね、私のようなへそ曲がりは映画は独りで観るべきですね、つくづく。 (でもね、「禁じられた遊び」や「街の灯」でならちゃんと泣けるんですよ、わざとらしく無いから)

okwstf01
質問者

お礼

tarsan0013さま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのTakikoです。 私も「ゴースト」のような恋愛映画は苦手です。 なんだか頬の辺りが、かゆくなってくるような気がして・・・ そして映画は一人で観る派です。 「禁じられた遊び」や「街の灯」は本当に良い映画でしたね。 ただ子どもを持ち、歳を重ねるにつれ、だいぶ涙もろくなってきました・・・ 映画の思い出と共に振られた思い出(!?)をご回答いただきありがとうございました! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

回答No.35

23-4年前、高校1年のボクは今で言う 合コン と言うやつで逆ナンされた同じ年の女子と映画へ行くことに・・・。 銀座でリバイバル上映していた「憧れ」、「突然炎のごとく」の仏映画二本立て。彼女は国分寺、ボクは荻窪。丸の内線で行くので荻窪駅で待ち合わせ。 なんでも彼女のお母さんは有名な華道家とかでかなり裕福だとか。現れた彼女は毛皮のコートにバッチリ大人メーク・・・とても綺麗で毛皮のコートにも負けないムードをまとっていました。 情けないことにすっかり気圧されたボクは親父が初デートのお祝いに銀座でフレンチでも食ってこいと多額の小遣いをくれたのにもかかわらず映画を見終えるなり逃げるようにして帰ってきてしまいました。 その後、彼女とはそれきりに・・・。 思い出す度に彼女にとても失礼なことをしてしまったことが悔やまれます。 ごめんなさい。 けしてあなたのことがイヤだったんじゃないのですよ。 許してね。

okwstf01
質問者

お礼

bankakenaideさま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのHikaruです。 「銀座でフレンチでも」とお小遣いをくれるお父上もかなり粋ですね…! 23~4年前というと、バブルの時期になるのでしょうか。高校生で毛皮のコートの彼女や既に高校のときに「合コン」があったとは、私の高校時代からみるとなんというか、別世界のように思えます。私は…高校指定のジャージをきて高校近くのカラオケやファミレスで友達としゃべるくらいの芋っちい女子だったので、きっと銀座なんか連れて行かれたらおどおどしてしまったとおもいます(笑) う~ん、でもやっぱり背伸びをして気を張ってお付き合いを続けても、いつかきっとしんどくなってしまうとおもうので、結果としてはそれでよかったのではないかな…と私はおもいました。しかしなんとも甘酸っぱく、ちょっぴり心がちくりとする思い出ですね。人には皆きっと、そういう小さな心のとげが、ひとつくらいあるのでしょう。かくいう私も…やっぱりあります。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

noname#191252
noname#191252
回答No.34

新制中学(戦後の学制改革で6・3・3制になった)1年の時ですね。旧ソ連の総天然色映画「石の花」を見ました。バレー映画だと思いますが、総天然色映画の美しさに、ただただ息をのむだけでした。

okwstf01
質問者

お礼

dechanさま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのHikaruです。 「石の花」旧ソ連初のカラー長篇映画だったんですね! 歴史を感じます…。絵画から動画になり、白黒からカラーになり、フィルムからデジタルになりいまは3D…。dechan様、そして私の生きているこの時代が、日本の長い歴史のなかでもやはり一番「変化があった」ところではないでしょうか。こんなに多種多様の表現ができるようになった現代ですが、なぜかいまは遠い過去となってしまったあれこれに哀愁と愛着を感じてしまうのは、人のさがでしょうかね…。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

  • j287wtyl
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.33

僕が学生の時、ホラー全盛期で、サスペリア2を見るのに立ち見でしたので、2回目は座って見れましたが、出入り口のドアに小学生の姉妹が、大人の人垣でスクリーンが見えないので地面に座ってドアにもたれていました。でも外の人が混みぐあいを確かめるためドアを開けたから、もたれていた少女は背もたれが無くなり「絶叫」映画館は大爆笑、でもその時のスクリーンには、トリックを暴く大事なワンシーンを誰も見ていない状態でした。 そのトリックとは、廊下に飾る絵が1枚たらない、でも絵と同じような鏡が1枚在るだけ 実際は、その鏡に犯人が映っていて、それが消えた絵の正体だった。 多分2回連続見ていた僕だけでしょう。 入れ替え制が無い時代の話です。

okwstf01
質問者

お礼

j287wtylさま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのHikaruです。 ホラーブームですか!私が思い描くホラーブームといえば「リング」から先の作品になるのですが、さらに前にもあったんですねホラーブーム…やはりブームは繰り返すのでしょうか。 しかしホラーで緊迫したところにほのぼのとした笑いはとても和みますがそんなに重要なシーンを見逃したとあれば、きっと最後もみなさん「ポカーン」って感じだったでしょうね…(笑) 私がまだうらわかき(笑)少女だったころも入れ替え制がなく、好きな映画は連続してみていたものですが、いまはほとんど指定席、入れ替え制ですね。 他にもたくさん娯楽のあるなか、運営も色々と厳しいでしょうし、理解はできますが…やっぱりちょっと残念です。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

  • syusouan
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.32

今から数えると何年前のことでしょうか 多分50年くらい前だと思います 父が当時の大映京都撮影所に大道具として勤務していた頃です 父に連れられて映画館に行きました 父は映画館の前まで行くと私を残して映画館の事務所へ行きました 多分、社員割引か何かの手続きをしたと思います 一緒に見た映画が「赤胴鈴之助」でした 父が映画会社に勤めていながら一緒に見た映画はこれ一本だけでした 物語の内容は覚えていませんが 戦後の貧しい時代に父が精一杯息子の為にしてくれたことでした もう一本は母が同じ頃に夕食の支度を中断して 映画に連れて行ってくれた映画「喜びも悲しみ幾年月」です 白黒映画でしたが狭い映画館の二階の立ち見でじっと見ていた事を覚えており 今でも真っ白い(白黒映画なので白くはないのですが)雪原を馬車に息子を乗せて 病院へ走る場面は忘れられません また、今でも主題歌を歌えるほど子供心に感動した映画でした 今では両親もそれぞれの映画館も亡くなりましたが 私の子供の頃の暖かい思い出です

okwstf01
質問者

お礼

OKWaveスタッフのlamです。 ご両親との思い出の映画話はとても心温まる内容でした。やはり家族と一緒に観た映画というのは記憶に残りますね。 「赤胴鈴之助」はアニメを見たことがあるような気がしますが、鈴之助は北辰一刀流だったんですね。坂本龍馬と同門とはびっくりです。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます

  • chepon
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.31

子供のころ… たしか小学4,5年だったかな 親に連れられてデパートに買い物に行き、その帰り 「日本沈没」 って映画を見たのですが 2本立てで、一緒に見た「エスパイ」って映画なのですが それに出演してた「由美 かおる」のオッパイがデーンっとアップになるシーンが しばらく目に焼きついて離れなかったのを 覚えてますw 余談ですが バトルロワイヤル… あんま いい映画じゃないですね あのあたりから、中高生がさらに悪くなった気がする

okwstf01
質問者

お礼

OKWaveスタッフのlamです。 「日本沈没」は最近の映画じゃなかったかな?と少し混乱しました(笑)。1973年にオリジナル版があったんですね。「エスパイ」は不思議なネーミングで気になりましたが、「エスパー・スパイ」の略と判明してスッキリしました。ただ、キャストに「逆エスパイ」というのがいて、今度はそちらが気になって仕方がありません。 バトル・ロワイアルは良くも悪くも話題になった作品でしたね。ただ、当初の作品タイトルが「バトル・ロイヤル」だったそうですが、フランス語の「ロワイアル」に変更したのは良いアイデアだと思いました。語感で作品の印象はかなり変わりますね。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます

  • bamboo26
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.30

昭和14年から17年にかけては、近くに映画館が数館ありましたので、邦画・洋画を問わずよく見ました 鳴門秘帖、紫頭巾、牢獄の花嫁、湯島の白梅、雪の丞変化、王政復古と題名が思い出されます 学校をサボってディアナダービンの銀の靴を二回見に行ったことも懐かしい思い出です 昔は二本立て・三本立てでしたが硬い椅子で良く辛抱できたものだと、今ではとても我慢できないでしょう 最近はこうした昔話をする機会もなくなりました

okwstf01
質問者

お礼

OKWaveスタッフのlamです。 吉川英治が好きなので、興味深いタイトルが多かったです。 いつも思うのですが、昔の日本映画は特別な独特の雰囲気がありますね。 同じ趣味嗜好の映画仲間などで昔話ができたら楽しそうですね。同じように思っている方もいそうなので、ネットでお仲間を探したら見つかるかもしれません。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます

回答No.29

一昨年の話です。 上京して1年たったあたしのもとに、弟が遊びにきました。 久しぶりということもあり、ぎこちなく数日が過ぎました。 昔のように年が近い友達のように遊びたかった私は、二人の共通の趣味である”映画”に弟を誘ったのです。 隣同士一番大きなポップコーンと飲み物を二人で半分こにして、 「昔みたいだね」 って二人して笑いました。 そして、映画が始まり、終わった時には、会場内で拍手が沸き起こりました。 本当に、会場内のみんなが感動し、拍手が自然と沸き起こったのです。 それは見たこともない光景で、私と弟も一緒になって拍手しました。 帰り道、私たち兄弟は手をつないで帰りました。 小学生のころにかえったように、二人で笑顔で帰りました。 家族の絆、それを私たちに教えてくれた映画は、離れかけていた兄弟の心を、またひとつにもどしてくれたのです。 その映画のタイトルは・・・「サマーウォーズ」でした。 一人でごはんを食べることは一番さびしいこと、弟が手料理をあたしに振舞ってくれたときには、思わず泣いてしまいました。 映画って本当にすばらしいものなんですね。

okwstf01
質問者

お礼

kumaneko1020さま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのHikaruです。 私も実家を離れているので(どちらも都内でそんなに距離的には離れていないのですが)いつもは数ヶ月会いません。久しぶりに家族のぬくもりに触れると、どれだけ家族が自分の心の支えであり、大切な存在なのかがいつもよりよく分かりますね。 元旦に弟と『相棒』を観にいきました。レイトショーです。その後弟と別れて一人で家に帰ったのですが、すごく寂しかったです…泊まってもらえばよかったかな、と思いました(笑) 拍手が自然と沸き起こる映画…サマーウォーズですか!細田守監督は「時をかける少女」を観にいきましたが、すごくよかったです!サマーウォーズはまだ観ていないので、是非観にいきますね! これからも、ずっとkumaneko1020さまと弟さんが仲良く、素敵なひとときをすごせますように…! ちなみにうちの弟の得意料理は冷やし中華です。今の季節はちょっと食べられないかな…(笑) ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

  • Mumin-mama
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回答No.28

昔。 飯田橋駅西口、神楽坂下に「佳作座」という映画館がありました。 当時、週変り名画が2本立てで、入場料100円だったと記憶しています。 私が高校生時代は金曜日の放課後、友人4人で毎週佳作座へ通っていました。 映画を見た後は映画館の近くにある神楽坂の不二家バーラーでパフェをみんなで食べて、夜の9~10時に解散というスケジュールでした。  私達の高校は都内でも有名な校則が厳しい学校で、皆、いつも後ろめたい気持ちと怖さ半分でしたが、楽しい時間でした。 また、私の家が近かったこともあって、最初の頃は少しでも私の帰りが遅くなると、母が心配して私達を映画館まで迎えに来ていました。 客席に座っていると映画館のご主人と母の話す声が聞こえてくることもありました。  映画館のご主人は細身で、いつも背広に蝶ネクタイで大変感じのいい方でした。私達が通っている間、名画と呼ばれる映画しか見なかったのは、おそらく、制服で押しかける私達のために、映画を選んでくださっていたのだと思います。 懐かしい映画館はもうありません。 40年近く前の話です。

okwstf01
質問者

お礼

Mumin-mamaさま、回答ありがとうございます! OKWaveスタッフのHikaruです。 回答を読んでいて、その光景を想像して、少し涙がでてきました。 行ったことのない私すらかつて存在した「佳作座」に思いをはせてしまうほど、こうして40年たったいまでもMumin-mama様の心にこうも印象深く、鮮やかに残る思い出…「佳作座」のご主人が提供した空間はすばらしいものだったのですね。 私も、中学生の頃に親友と二人で封切り当日に早朝から並んでおにぎりを分け合ったり、お小遣いだけでは映画を観るだけでなかなかパンフレットまで手が出せなかったので、二人でお金を出し合って一つ買ったり、そんなことをふと思い出しました。 そのときよく行っていた映画館の近くに、丁度不二家があったことも思い出しました(笑) ふわふわのショートケーキ、美味しかったなあ…。 ご回答いただきありがとうございます! 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

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