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助動詞「れる」「られる」の意味に関する疑問です。

marisukaの回答

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (640/1655)
回答No.3

「雨に降られた」の主語は、書かれていませんが、その雨に降られた人物です。 「私は」「彼は」などと想像はできますが、そこは文脈で。 日本語では、というか、日本人同士の会話では、わかりきったことは省略するという昔からの習慣があります。誰かが「昨日買い物に行ったらね、」と話し出したら、それは「私が」に決まっています。 英語でも、日記ではIを省略すると聞きました。日記の中で誰かが何かしたとしたら、それは自分に決まっていますから。そうでない人物なら「He」とか「She」とか書くのでしょう。

codotjtp
質問者

お礼

有り難う御座います。 因みに気になったのですが、 そもそも「降る」という動詞は自動詞ですので、 目的語を取らない訳ですから、『受動態』を構成出来ない筈ですが、 それでも此の時の助動詞「れる」の意味は『受け身』なのでしょうか? 国文学の教科書へ『自発』の例として 此の「れる」が紹介されているのを、私は過去に拝見しておりまして、 それを久し振りに思い出し、伺っておりますから、 御存知でいらっしゃいましたら、回答を下さると、嬉しいです。

codotjtp
質問者

補足

私の予想では、『自発』には日本文化特有の『謙譲』が関わってるのだろう、と思われます。

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