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写真批評の謎
- ネットの匿名性により、プロ写真家の作品についても、あちこちの掲示板などで忌憚のない批評が書き込まれています。
- プロ写真家の静止画作品へのアマチュアの批判的批評者に、他のアマチュアが、対象の作品や撮影者と同等のレベルを求めるのはなぜでしょうか?
- プロの映像作品には同様のレスが見られないのに、なぜ写真に対してだけこのような批評がされるのかが不思議です。
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質問者が選んだベストアンサー
まず、一つ目の理由としてはカメラがパーソナルなツールであるため、カメラマンで なくても”撮影者”という括りでまったくの素人とみなされないからではないかと考え られます。 我々は写真が趣味でなくても、誰でも一~二台は記録用にカメラを所有しています。 ここ数年でカメラ機能がついた携帯も当たり前になり、撮影するという行為はより日 常のいたる場面で見られるようになりました。 ですから、我々の誰もが”撮影者”としての自分を経験しており、自分の撮った写真 を品評したりされたりすることも一度や二度は経験しているはずです。 撮影者というのはカメラマンという固有の職業に限ったポジションなのではなく、我々 の誰もが経験する普遍的なポジションになっているのです。 それが「お前もこれぐらい撮ってみろよ」と、あたかも相手を同じカメラマンであるかの ように扱う原因になっているのではないかと考えられます。 質問者さんがおっしゃるとおり、映画、ドラマなどではこうしたことはおこりません。 それは当然、製作するツールも技術も特殊で、誰もがみな経験しているわけでは ないからです。ですから、「おまえもやってみろ」と自分と同じポジションにいる人物 とみなすのはかなり飛躍した思考をしないと難しいのです。 短いですが二つ目の理由、そのような掲示板に多くの一般カメラ愛好者が常駐している からではないかと考えられます。かれらはあくまで趣味でカメラを愛好しているに過ぎな いため、冷静な芸術批評をおこなうスキルをもちあわせておりません。 ですから、自分たちが愛するものを否定する輩に対して、門外漢は黙れといった排他的 な感情を表し、前述の理由1と合わせて「おまえも撮ってみろよ」という書き込みがでてき てしまうのでしょう。 質問者のおっしゃる疑問というのは大きく分けるとこの二つの理由が関わっているのでは ないかと思われます。
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皆様、仰るようにカメラは一家に一つどころか、一人に一つくらいに普及したもの。その上そういう家庭用のは、シャッターを押すだけでもOKだし、その気になれば簡単にいろんなモード設定で撮影可能、あまりに簡単便利すぎるものになりました。 だから、「じゃあ、お前がやって見せろ」と言えてしまう。確かにトライしようとすれば、誰にでもできるのですから。 批判に対するカウンター批判「じゃあ、お前がやって見せろ」は、2種類あると思います。 一つは、プロの仕事が凄いものだと理解している人が、安易と感じた批判者に対して、プロの苦労を分かってやれと言いたくなってしまう場合です。 もう一つは、批判が的を射ていて反論しようにも、ぐうの音も出ない場合ですね。 こういうの、たとえば小説、ことにラノベなんかでもよくあるようです。日本語は誰でも話せて、読み書きできますからね。 余談ですが、ふと以前の缶コーヒーのCM思い出しました。 主人公が缶コーヒー飲みながら、野次馬的に得意そうに、苦労している誰か見てをけなす(「俺なら~しちゃうよ!」ってな感じで)。 すると、瞬時に自分がその困っている状況に陥り、けなされていた当人が「じゃあ、やってみろ」と主人公に言う。主人公、こわばった顔で缶コーヒーをごくりと一飲み。
絵画は描ける技量が無いと描けません 彫刻も技量が無いとできません その他芸術として認められる物は作品を制作する技能技量が無いとできません 写真は・・・・ 偶然写っている場合もあります ここが問題ですね たまたまそれが入賞したりしたらその人の評価はあがるよね まあそういうこと 偶然なのか意図した物なのかに関わらず写真は写真であるということ 弟子が用意したカメラのシャッターをただ押すだけなんて人も居たくらいだからね
お礼
ご回答ありがとうございます 映画やドラマが偶然出来上がることは、まず考えられませんが、写真はサルでも傑作が撮れてしまう可能性もありますね この点も、動画と静止画の批評・批判に影響しているのかもしれませんね
- bulldog-lima
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画家とか彫刻家の芸術家と言われる方々は、批評する方々に対して「だったらお前も描いてみろ。」とか、「彫ってみろ。」とかいいませんよね、たしかに。自分独特の表現方法が確立しているから、他から何をいわれても「釈迦に説法」なのかもしれません。ところが写真はだれでも批評しやすい、ということがあるかもしれません。プロの写真家の方々は批判にさらされやすい、ということもあるようです。だから無責任な批評などほっとけばいいとは思いますが、一部プライドの高い方はつい、熱くなるのかも知れないですね。
具体例がわかりませんので、何とも言えませんが。 例えば、アマチュアの方がプロの技術の高さを擁護する文脈、撮影の仕方そのものが論点になる、ということでしたら、一応、理屈としてはわかります (もちろん、賛同するかどうかは別の話ですが) まあその、どの作品を鑑賞するのかは自由ですけども。仮に感情論としても、「自分はできるのか」と問われるのは、ある種、批判の説得力に対する意見だとは思います。 それとも、あきらかに、批判的な批評が、質問者さんから見て妥当なのに、ということですか? できますれば、実例や質問者さんのスタンスを補足いただけますかね。
お礼
ご回答ありがとうございます なかなか興味深い考察ですね 大変参考になりました