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人類存続の是非(真に重大な唯一の問題)

ホモサピエンスはあと何年くらい存続する(あるいはさせる)べきでしょうか。そもそもホモサピエンスに存続する(あるいはさせる)理由、もしくは値打ちといったものがあるのでしょうか。全人類の運命を賭け全身全霊で万人が納得のいく名回答をお寄せ下さい。

  • hb875
  • お礼率8% (2/23)

みんなの回答

回答No.17

生命という単位で言えば永遠でしょう。 ホモサピエンスに限って言うのであればどこまでからどこまでがその定義に当てはまるのか、特に未来にわたっては、はなはだ不明瞭なので余り意味が無いと思いますが。 そもそも宇宙それ自体が生命であるという考え方を指示しますので、生命は永遠であるという説に魅了されますね。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.16

値打ちとは誰にとっての値打ちでしょうか。 人の値打ちを問うているのはどうやら地球上で人間だけのようです。 すると人間にとって人間の値打ちはあるのかという問いになりますが、 それは質問者さんにとって自分の値打ちはあるのかという問いと同じことになります。 質問者さんはこれに対してどのように回答するのでしょうか。 その答えが人類と質問者さんの命運を賭けたものになるはずです。

  • univ_mon
  • ベストアンサー率47% (11/23)
回答No.15

こんにちは。 >全人類の運命を賭け >万人が納得のいく ような回答というのは「何がなんでも今を生きる」です。 >(種を)存続する理由、存続させる理由、値打ちといったもの かつて恐竜という動物が地球に存在したそうですが、 恐竜が存在した理由は何なのか、他の何者かが存在させたのか、 どういう意味があったのか、はたして絶滅したのか、なぜ絶滅したのか・・ 数千年~数百万年ほど経過したであろう現代でも それについて"なにひとつ"真実といえる事がない、というのは 面白いと思われませんか。 >何年くらい存続するべきか 1年というのは地球が1回(太陽の周りを)公転する期間、 1日というのは地球が太陽に対して1回自転する期間、 と言われています。そういう視点からいくと、 今という1秒を生きているのも、今という千年を生きているのも、 自分にとっては同じ事です。 「美味しいラーメンが食べたい」 「両親や子供が安泰であってほしい」 これこそが千年以上も"生きてしまう理由"ではないかと思います。 回答になっていませんが興味深い質問だったので 書かせていただきました。

noname#26603
noname#26603
回答No.14

生まれ出たものを祝福する. そしてそれを全生物は受け入れ調和の元に生き生かそうとする. 自らが生まれでたときと同じように. 多様性が自らの種の生命を維持することを知っている. 人類は一個の生物として自然界に放り出された場合もっとも弱い生物なのではないか? それ故に 他の生物種から最も嫌われたのが人類種なのではなく 最も愛されたのが人類種なのではないか? もっとも愛されたものが 他の種によって生かされていることを忘れ 人類自らの暴走により絶滅危惧種が増え生態系が多様性を失っていく. これを背くと言う. 彗星が衝突して生命が消滅することなどはどうしようもない運命として誰もが受け入れられよう. しかし人類自らが意識し抑制することによって制御できるものがある. 人類が自然から乖離し このまま生活の利便性ばかりを優先させた開発をしていけば ある時点で自然の循環サイクルは不可逆のものとなっていくだろう. 人類は自らの手によって自らの首を絞めている. ウロボスの輪に象徴される ヘビが自らの尻尾を食べている図のように. 我儘は人類自身の身を滅ぼす.

noname#5270
noname#5270
回答No.13

時が解決してくれるでしょう

  • Yui-s
  • ベストアンサー率37% (6/16)
回答No.12

お断りしておきますが、人類の運命を賭けて説得する気はありません。 その義務も責任も放棄します。 確かに、人類が自分たちが原因で滅ぶ可能性がない訳ではないでしょう。 例えば、地球を破壊するような科学実験で一気に滅ぶこともあるでしょう。 けれども、食糧危機やエネルギー危機にしろ、温暖化や氷河期にしろ、 世界大戦にしたって、それだけで完全に滅ぶということはまずあり得ない と思います。 滅ぶとしたら、やっぱり地球が壊れてしまうような物体との衝突とか、 太陽系の寿命とか、銀河系の構造の変化や衝突、宇宙の収縮や宇宙の 終焉ということになるのではないでしょうか。それらは今のところ防ぐ 手だてがありません。が、あるとすれば、それを乗り越える英知を人類が 獲得したときでしかないでしょう。 地球上では多くの生物の例にもれず、多くの猿人が、競争と自然淘汰により 滅びていきました。そうして勝ち残ったのがいまの人類です。この過程は きっと他のどこかの惑星でも起こっていることでしょう。けれども、そんな 人類(など)の多くは、やはり滅びてしまうのだと思います。 私たちよりもたった数千年、いや、数百年や数十年違いで早く進化し、 そして滅びていった人類も、宇宙のどこかにあるかも知れません。 その一方で、存続と繁栄を手に入れた人類もいるかも知れません。 僕たちが自分たちの手で答えを出せないならば、その人達にたずねるのも 一案になるかも知れません。そんな救いの手があるのかどうかは 全くの推測ですが、少なくとも僕たち人類が本当に宇宙の住人として ふさわしいと胸を張れるような、生き方や文明のあり方に対する答えを もっと探さなくてはならないんじゃないか、と思っています。 僕自身は、人類は最初は宇宙に出て行くけれども、最初は随分と失敗する ことになると推測しています。いまの宇宙ステーションなどは、もちろん、 まだ地球環境の一部としてあるだけで、まだ最初の移住とはみなして いません。その鍵としては、物理学の進歩による高速移動手段の獲得です。 あるいは、人工生命や、他の生物などへの文明の譲渡などを選択枝とする シナリオが描きやすいのではないでしょうか。 人類の行く先については各国の首脳陣だけでなく、さまざまな識者が 議論していることは間違いないと思います。ただ、この先に来る、 経済や資源・食料・民族問題の噴出が、古典的な大戦争の繰り返しに なってしまうという愚考だけは避けたいですね。この世界を担っているのは 私たち1人1人の生き方だと思います。 ただ、国の舵取りをする人たちや、国家の間に立って仕事をする人たちが あまりにビジョンや道徳的な美意識もなく仕事をしているといった現実は 嘆かわしいですね。 多くの国ではまだ、生きること、暮らすことがやっとです。日本も家計の 苦しい人が多いのかも知れませんが、将来を考えることのできる文化を 持った国だと思います。

noname#21441
noname#21441
回答No.11

人間や生物そして宇宙の存在理由について私見を述べます。私がこれまで読書や人生経験によって 直感的につかんだ思想です。つかんだというよりも自然に悟った哲学です。荒唐無稽で証明する ことの不可能な説ですが、私はこの思想に支えられて日々生きています。 進化とは大いなる宇宙意志の自己認識の旅のことだと思っています。真実在が有形化して物質から 生命へと進み、獣性をしだいに脱皮して神性の高みへと向上していく。無から有へ、そして獣から 神へ、そのはてしない旅。 人類は進化のデッドエンドではないと思っています。人類はまだまだ進化します。精神的なもの への感知能力がもっともっと向上します。真と偽・善と悪・美と醜・聖と俗・貴と卑、そういうも のを、色を見分けるように、音を聞き分けるように、万人が個人差なく識別するようになります。 そうなれば法律も不要になります。政治や経済の世界で日々起こっていることは、まだサル山の ボス争い・エサ争いの域をすこしも超えていません。 けれど個人としての人間は獣ではありません。かなりの神性の高みに進んでいます。個人が群れて 企業なり国家なりになったとき、エゴイズムとセクショナリズム丸出しの獣に成り下がってしまう のです。 人気を博しているテレビドラマや映画で、人間の愛がテーマとなっていないものは、ひとつもあり ません。打算と策略で政治的・経済的成功をおさめたなどという物語は、誰も感動しません。 自分本位のこころの罪に気づき、家族・友人・恋人・同朋のために自分の力を捧げる。そういう物 語にだけ、人は感動します。 生命(いのち)の本質は愛だと思います。男女間の恋愛感情のことではありません。あれは強烈な 独占欲です。相手を自分に縛り付けるエゴイズムです。本当の愛とは、いのちといのちの親和力、 魂と魂の親和力のことだと思います。それは自己犠牲精神ではなく相手への共感・同朋愛です。 相手のなかに自分自身や自分自身のあやまちを見るから、相手を愛することができるのです。 同胞愛によって協力しあった種のみが進化の道程を前に進んできました。 愛を感知するのは生命(いのち)だけです。生命エネルギーはただ愛によってのみ活性化されます。 生命エネルギーは物理学的因果律を超越しています。われわれ生物は物理化学法則の奴隷ではあり ません。我々は真に自由なる存在です。未来は不確定です。だからこそ宇宙の存在意義があります。 唯物論者に愛が見えないのは当然です。自分の魂の冷却化・岩石化に気づかず、落伍しかかっている 人たちです。(けれど神の愛はこういう人を見捨てたりはしません。かならず契機は与えられます) 神の愛は時空を超えています。人は死んだら神の愛へと回帰していきます。神のこころに個我はあ りません。そういう意味では死後の生はありません。魂の個別性は消失します。 人間がこの世に生まれてくる目的はただひとつ、愛ふかき人になるためです。おもいやり深き人に なるためです。個人的成功をおさめるためではありません。知識をいくら詰め込んでもその人の 霊性は1ミリたりとも向上しません。かえって自尊心や他への軽蔑心を肥え太らせるだけです。自分 が家庭や職場で日々接する人々(旅のパートナー)と、いかに愛ある交流ができるか。いかにして こういうオカルト的説教や個人批判によらずして、愛をわかちあえるようになるか。(もちろん自分 自身も含めて)それだけが真に大切なことです。私はこういう思想を抱いて日々生きています。

  • Isaisa
  • ベストアンサー率15% (5/32)
回答No.10

「その答を出すために「ホモ・・」は生まれた。 つまり「生物」として「やり抜くまで」だと思いますよ。 「人生」「さる生」=可能性だと 私は思います。「我ゆえに・・」哲学し、 「我ゆえの価値を決め」 「我なりの答と希望」だと思います。 すべての「生き物に「我なり=可能性」 でもね「考えると」=>「悩みも」生まれた。 キリ・・教ではないけど「知恵の林檎の解釈です。」 僕なりの。(笑顔笑)

  • kawakawa
  • ベストアンサー率41% (1452/3497)
回答No.9

もし、地球がなくなるまで存続できるのならば、残り時間は45億年?或いは、太陽の直径が大きくなり、地球上から水がなくなるのはその10億年位前かもしれませんね。 私は無宗教の人間なので、唯一絶対の神がいて、人類を作り出し、そして、その意思によって絶滅させるという風には考えていません。科学者の端くれとしての意見を述べさせていただきます; 地球の歴史の上で非常に長い期間に渡って繁栄した生物としては、昆虫類や魚類を挙げることができると思います。これらの生物群は3億年以上に渡って地球上に存在し、繁栄しています。人類は地球上に現われてから、わずかに100万年の歴史しか持ち合わせていませんネ。地球上を我が物とし、劇的な消滅を遂げた恐竜でも1~3億年の間、地球上の王者として君臨していました。 これらのことから考えると、ホモサピエンスもあと2億年程度は存続するのかも知れません。ただし、現在と同じ種であるかどうかはわかりません。地球環境が変化しているため、変種や亜種が出てくる可能性は否定できません。そういう意味では、現在の人類と同一種の生物は数千万年レベルの存続なのかも知れません。 現在の地球上には人類の天敵となる生物は存在しません(ペストのような病原菌は別として)。したがって、天敵による滅亡は考えにくいものです。 最もよく言われる人類滅亡の原因は食料難ですが、例えば、オキアミは地球上の全人類に配ってもあまる程の資源量ですし、緑藻類やプランクトンなど、現在はほとんど食用とされていないものの積極的な利用によって、食料面ではかなり改善されるのではないかと思われます。 あらゆる生物(生命体)は、存続しようという本能を持ち、それに従って生存しています。人類も同じことであり、「何故存在するのか」という哲学以前に、DNAレベルでの本能である。としかいえないのではないでしょうか? 先カンブリア紀の生命爆発では、ありとあらゆる想像できないような形の生物が多数発生し、短期間で淘汰されました。これもDNAが実験をしたのではないかと思われるようなことです。 場合によれば、地球上のすべての生命体は、地球を実験室とした、地球レベルの壮大なDNAによる実験対象なのかもしれません。剥き出しのRNA生物であるマイコプラズマから複雑至極な構造を持った人類まで、様々な生物が地球上に存在し、それぞれが同じDNAを残そうと頑張っているのです。これってDNA自身が存在したいために、いろいろな生物の形態をとっているのではないかと思ってしまうのです。 これが回答になっているのかどうか知りませんが、思うところについて述べてみました。 なお、参考ページを見ましたが、なんというか、こういう意見ばかりを毎日見つづけると人間として生きていくことがイヤになってくるヒトも出てきそうな内容ですネ。 表現の自由ですが‥。 kawakawaでした。

  • masyura
  • ベストアンサー率17% (8/47)
回答No.8

参考URLをちらっと覗いてみました。 この地球上に人間が多すぎる、地球のために減らすべきだ、という考え方は僕も以前から持っています。現状では人類は地球におけるガン細胞みたいなものだとも思います。 じゃあ、人類に価値はないかというと、それは飛ばし過ぎだと思います。 植物(熱帯雨林など)の存在は地球の環境保全の重要なファクターです。植物なしに今の地球環境を維持することはできません。しかし、植物が発生した当時はどうかというと違います。そのころの「自然環境」は大気の成分の多くが二酸化炭素で、それに合わせた生物が暮らしていたはずです。しかし植物がやたら酸素をつくって大気の成分まで変えちゃったので、今度はその環境に合わせた生物が生まれてきたわけです。 現在の環境に対して負荷を与えるから、即、存在価値がないというのはおかしく思えます。 コンピュータやバイオ、その他の技術が新たな多様性を生み出す可能性もあります。 その他の多くの生物が生存競争や食物連鎖など、環境的な力によって個体数を安定させるのに対して、人間の場合、理性でそれを行える能力があります(実行できるかが問題ですが)。 それができるようになれば、皆さんの予想よりはるかにながく、人類は存続することもできるはずでしょう。 存続してどうーするの? 他の方も書かれているように、人類が存在する事の本当の理由(もしあるなら)を知ることは不可能でしょう。けど、人類の目的なんて人類自身で設定してもいいんじゃないすか。 僕ら一人一人が生きていくために目的を設定するように。 たとえば、「宇宙に生命圏を広げる」とか「宇宙の真理を追求する」とか。 またしても脱線しすぎましたか? もちろん僕自身、環境汚染や公害を容認しているわけではありません。よろしく!

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