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「助六由縁江戸桜」を先日テレビで興味深く見ました。

「助六由縁江戸桜」を先日テレビで興味深く見ました。 助六は実は曽我五郎とのことですが、 曽我兄弟と吉原じゃ、全く時代が合わないと思うのですが、どうなのでしょうか? もうひとつ、 現在は上演されない「水入りの場」はなぜ割愛されているのでしょうか?

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回答No.2

歌舞伎には「時代物」「世話物」というジャンル分けがあり、 時代物は昔の時代の武将たちの物語であり、 世話物は、今のつまり江戸当時の様々な風俗を舞台に写した物語です。 「曽我もの」は時代物に入り、「吉原」は世話物の典型です。 ところで、歌舞伎は殆どが数段に渡る長い構成の物語ですので、お芝居に変化を付ける必要上、 時代物で始まったお芝居の途中で、現代風俗を取り入れた場面が出現するようねフレキシブルな展開が非常に多かったのです。 また、江戸時代は幕府による風俗統制がかなり厳しく、 実際におきた事件を舞台化したいときは、わざと時代をずらして昔のことのように設定してお芝居を作る(途中でなしくずしに現代風俗に戻る) というようなことも多く行われていました。↓に少し書いてあります。 http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/1e37f6a4e888710c984f2bf682d42422 これは、「仮名手本忠臣蔵」が典型です。 http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/562bef769d5f720dba047abf8adb036c という事情もあり、歌舞伎の中では、古い時代の物語に今の風俗をミックスするのは、かなり定番の演出テクニックなのです。 そのへんを前提にご覧になると、より気楽に楽しんでいただけるかなと思います。 「曽我もの」についてこちらで解説してあります。参考になるかと思います。 http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/f558c9d77cc274ffbc3c73af6474d9b6 「助六」のわりと詳しい解説です http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/62236dec5537c94e8e1240791e4189ae

参考URL:
http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/1e37f6a4e888710c984f2bf682d42422
mort1759
質問者

お礼

なるほど、「曽我もの」というジャンルが確立されているわけですね。 >古い時代の物語に今の風俗をミックスするのは、かなり定番の演出テクニックなのです。 よくわかりました、ありがとうございました!

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その他の回答 (1)

  • yuyuyunn
  • ベストアンサー率41% (20359/48651)
回答No.1

こんばんは 水入りの場が割愛されるのは役者さんの疲れ具合と 時間の関係かもしれないですね 組み込まれている場合もあるようです http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/watching272.htm 後時代が合わないのは御愛嬌で お芝居ですので

mort1759
質問者

お礼

やはり上演時間の問題ですか。 場もひとつしかないですし。 時代が合わないのは「カタイこと言うな」という感じなんでしょうかね。 ありがとうございました!

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