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夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか

noname#130919の回答

noname#130919
noname#130919
回答No.36

「さいころさん」とは私のことでしょうね。 私の説とは何なのかわかりませんが、呼び出された件について先にお答えし、その後に、私から、気になったことを、少したずねさせていただきましょう。 >文学にとって事件の一回性の問題と並んで一人のひとの固有の歴史――したがって個性だとか独自性だとかが言われる つまりそもそも存在の掛け替えの無さ――にかかわる・つまり抵触するかに思われる  こう仰ること自体が、少し残念ですね。そもそも夕鶴の研究文献自体、CiNiiの検索エンジンで141出てきます。その中には似たような話もあるでしょう。 フルテキストが落とせる前段階のページのリンクを張っておきます。相違はあるでしょうが、類型は出ているでしょう。他に精神分析的に夕鶴を解読した文献もあるようなので、気になるなら目を通されたらいかがですか。検索画面で「夕鶴」と入力してみてください。リストが出てきますから。 私は基本的に夕鶴議論に関しては、個人が楽しく読めたらそれでいいと思います。しかしそれを離れて、しきりに繰り返している「窓を開く」という話で気になったので一言。どうもフーコーのエピステーメーについて振られた話題と関連あるようですから。私はフーコーの話はここでやる気は無いです。というのも夕鶴の話でもないし、フーコーの話を振ったのは私とはいえ、他の方の関心もあると思えないので。 それより、もっと根本的な話をさせていただきましょう。エピステーメーに不服があるというのはそれはそれでよろしいと思います。私はフーコー支持者では無いので、思い入れは無いです。しかし、ではどうするかという話に関心があるのです。おそらく「窓を開く」とお答えになるのではないかと思います。ずっとその言葉が繰り返されていますから。しかし、窓はどうやって具体的に開くつもりなのでしょうか。 まず窓が閉じているとは何か、という話をしましょう。質問者の方は、時代だとか、レジームだとか、シェーマに規定されるのを極端にお嫌いなようですね。 この質問欄での傾向をまとめると、 (1)精神分析はシェーマに当てはめられるのが疑問だ。 (2)フーコーはエピステーメーで当てはめられるのが服従し難い。 (3)似ている言説があると指摘されるのは、独自性を否定された気になる。 精神分析、時代言説分析、先行研究の整理、これら一般的な意味で「囚われ=閉じた部屋=タコつぼ」に自覚的であることによって、囚われを抜けるための方法に閉塞感を感じてらっしゃるようです。しかしでは、どうなさるのですか? 私が特に不思議に感じた理由は実践的な問題である(3)です。一回性というなら、従来の言説に対して、質問者の方の問題提起は、どの点で新しいと言えるのでしょう。ちょっとやってみてもらえませんか。つまり「従来、夕鶴についてはXと述べられてきたが、私はYという点で新しい問題提起をしたいと考える」というまとめ方が、おできになりますか。 少なくても当初の設問ではそこまで明晰にお書きでは無いですね。あれは「かわいく質問して皆に応えてもらえるように配慮した」というなら、すみませんが、今、ちゃんと当初意図していた質問の論点を数行で絞ってみてもらえませんか。 さらに敢えて聞きますが、既に終了しているフーコーの質問欄にせよ、村上春樹にせよ、従来では何が言われていて、ご自分がどういう点で新しい論点を提起して質問を設置したと言い得るか、ズバッと3~5行程度でまとめられますか? いくら無勝手流と繕っても、それができなければ、甚だ面白くないでしょうが、やはり知らず知らずのうちに、部屋に閉じ込められているという風に私には思えます。 こういうことを言い出したのは、対話をなさること自体が「窓を開く」ではあまりに牧歌的だからです。対話から何を得ようとし、どういう問題を提起しているのか、その目的なり戦略が、今一つ見えないからです。失礼ながら、ご自分が確立されていないので、窓を開くと称しては論難なさっているのではないか?とさえ感じられたのです。 しかしこれは私の愚かな考えでしょうから、 ・「窓をいかにして開き得るか」という一般論、 ・「夕鶴いおいてどういう窓を開くつもりであったか」など個別の議論、 を述べて、私の虚妄を払拭してくださったらと思うのです。

参考URL:
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006666523
bragelonne
質問者

お礼

 つまりただ対立する二項を見るというのは 双眼だと思われます。  つうの世界と与ひょう(および惣どや運ず)の世界とは別だというふうに設定されているそのことを言っているのでしょうが わがスレッドではさすがそのままを受け取っているというのはないのではないでしょうか。とうぜんそれら二つの世界は入り組んでいるのだ。(そう言えば 男子高校生がひとりそういったふうに 善悪が一人の人間の中にあると言っていましたか)。つねに或る種の仕方で絡み合っているのだと見ているでしょうね。複眼。  あとを見渡せば ずいぶんスペースがまだあるのですが だいたいはお応えできたでしょうか。  フーコは ガミガミ役とアース役との《広義の権力関係》が あたかもそこここから降って湧いたように 出現すると言っているのではないか。それは 関係から成る社会の構造において関係の結節点としての《わたし》が いやしくも自由意志の持ち主であるなら 責任の主体でありその基盤の上に行為の主体であるということ これをおろそかにした結果ではないだろうか。  村上春樹は 要するにいまの閉塞感のただよう現代社会に生活するわれわれにとって もやもやは多少の病理としてでもまぬかれ得ざる状態である。そう諦観するなら この現状のままその情況の中をただよいたまえ・泳ぎすすみたまえ 我が輩がそのために最高のエンタテインメントを用意して差し挙げよう。という魂胆だと思われます。  ちなみに 昔のよしもとばなな(吉本ばななと書いていたときの小説作品)は そういうもやもや状態に落ち入ってどうしようもないと言うひとに対して だいじょうぶよ 心配要らないわと言って その先へすすむことに引導をわたしている。と読みます。早く逝きなさいと言っているという意味です。  《夕鶴》論として目の覚めるような新説があるかと言えば すでにおわびしたように ありません。批判の対象を決めていただけでした。ほかに何かの思潮を巻き起こすとか 新しい読み方を披露するとかは はじめからありません。  字数が余りましたが おおよそこんなところでしょうか。ご要望・ご期待に沿えなかったところについては 残念ですが それがいまの状態ですので 重ねておわびいたします。  どうでしょう。

bragelonne
質問者

補足

 いやぁ きびしいですね。身から出た錆――いえ 錆ではないでしょうけれど―― 自業自得でしょうか。  アレアさん まづは対話の継続としてのご回答をありがとうございます。  はじめに降参してしまわねばならないでしょうか。  ★ こういうことを言い出したのは、対話をなさること自体が「窓を開く」ではあまりに牧歌的だからです。  ☆ いえ この牧歌的な井戸端会議を目指しています。対話の継続ということです。  《窓をあける》というのは たしかにプラス α が要るでしょうね。  ★ 対話から何を得ようとし、どういう問題を提起しているのか、その目的なり戦略が、今一つ見えないからです。  ☆ これは ですから 見えません。そこまでのはからいは ありません。主題が決まり その問い求めの論点が得られたなら あとはみなさんのご見解を寄せてもらって この規約にのっとれば情報交換ということになりましょうし わたしの心づもりとしては そうですね 次の趣旨が一人ひとりに得られること(自覚されること) それを目指しているでしょうか。  【Q:ひとは だれから おそわるか】~~~   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4974759.html  (この質問での趣旨説明)  単なる知識や情報のやり取りでないなら ひとは だれからも おそわることはない。自分で能力を開くのである。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ★ 失礼ながら、ご自分が確立されていないので、窓を開くと称しては論難なさっているのではないか? とさえ感じられたのです。  ☆ これは ですから 二つの側面があります。人としての存在・人格といった全体観としての側面と世界認識にかかわるいろんな分野での知性の側面とです。後者の点ではわたしはその知識が狭いものです。ただ前者のいわば人間にとっての境地といったことでは 自信があります。ざっくばらんに言ってそういうことになっています。  ★ ・「窓をいかにして開き得るか」という一般論  ☆ 先の《ひとは 自分で自分からおそわる》という命題が それです。その基本となる定理は つぎです。判断の基礎になると考えます。  【Q:神とは何か?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6057191.html  ★ ・「夕鶴においてどういう窓を開くつもりであったか」など個別の議論  ☆ これについては 直前のニュウトラルさんとのやり取りで触れています。  《つう》あるいはその飛んで行った空の《夕日》 これが《どん底の絶望とやがてそこからの再生》の象徴として信仰されるのではないか。それだと ただの観念の《まどの開き》にしか過ぎなくなりますよと言いたかった。  そのやり取り(No.35)で触れたように マルクシストでさえ商品経済の社会に精一杯生きて行こうとするときに 《つう》がその守護霊であるといった想定を持ち得るという問題です。  さすがこの質問の回答者の中にはこういう《観念の偶像崇拝》理論はなかったようです。それは 一般にここの参加者が 社会人でありおとなであるということではないでしょうか。  それが証拠に ちょうどおしえてくださった参考サイトを見てみると 高校生らは その指導教師のまとめにもあるように やや観念的な議論が優勢であったし 中にはこの《つう》の世界を人間にとって《理想の世界》だと見る見方も出ているようです。つまりこれは 類型としては わたしが批判したいと思っていた観念の偶像崇拝です。  幕が下りる手前の場面で   ○ 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。  ☆ という情景を取り上げて  ● かれらは・つまり一般に人間は この世で悪の世界に染まっているけれども いつも理想の世界にあこがれていることを示す。(『夕鶴』受容の問題 p.66 I3男)  ☆ と言っています。(ちなみにこのサイトは コピーペーストは出来ないようです)。  たしかに高校生らも――教官が指摘しているように《見るなの禁止》については ついぞ触れていないのですが―― おおかたの主題や論点を拾い上げて われわれのスレッドと同じように議論を展開しているようです。ただすでに触れた点ですが やや観念的にすぎるとは思われます。生活感覚がうすいのと社会における自己の位置づけがゆるい。  そして このわがスレッドでの議論との性格上の違いとしては 双眼と複眼とのそれでしょうね。かれらは対立する二項をほとんどそのまま持ち出す。  ○ 男女による幸福の追求の相違  ○ 理想と現実  ○ 性善説・性悪説  ☆ われらは二項が対立しているだけではなく構造的に錯綜していると見ている。複眼。

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