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授受動詞

授受動詞 授受動詞の質問 おはようございます。 今、韓国で日本語教育を専攻いている大学院生です。 授受動詞のやや紛らわしいことがあって質問をします。 1.第三者間の授受を客観的に描写する場合には「あげる」しか使えない理由?        例> ジョンサンガマリアさんに花をあげたそうだよ 2.  田中さんは私にキャンディーをくれました。    私は田中さんにキャンディーをもらいました。   二つの違い点。 3.「あげる・くれる・もらう」は、いずれも尊敬・謙譲の形式として特殊な形を持ちます。規則的な形である「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」などの形はない。 例> 先生にお土産を{○さしあげました / ×おあげました}。  「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」 これを使えない理由? 4.「私」と身内との授受を表す場合、普通、尊敬形や謙譲形は使われません。授受表現の場合も同じです。 例> 父の誕生日にプレゼントを{×さしあげました / ○あげました}。   「×さしあげました」ができない理由? この四つお願いします

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

1.第三者間の授受を客観的に描写する場合には「あげる」しか使えない理由?        例> ジョンサンガマリアさんに花をあげたそうだよ : なぜ「くれる」や「もらう」が使えないのか? というご質問と解釈してお答えします。 a. 「くれる」は、 「 人が自分に、または自分の側の者にものを与える場合」 「 自分が相手にものを与える場合」 など、自分が関与している場合だけにしか使えません。 b. 「もらう」は、「受け取る」という意味です。 つまり、受け取った側が主体(主語)の表現です。 「マリアさんがジョンサンから花をもらったそうだよ」 というように使います。 c. 「あげる」は、 「与える」「やる」の丁寧表現です。 2.  田中さんは私にキャンディーをくれました。    私は田中さんにキャンディーをもらいました。   二つの違い点。 : ここの「は」は『主題(話題)を宣言する用法』です。 前者は田中さんについて話そうとしている文です。 後者は私について話そうとしている文です。 結果としての内容は同じですが、意図が違う、ということです。 3.「あげる・くれる・もらう」は、いずれも尊敬・謙譲の形式として特殊な形を持ちます。規則的な形である「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」などの形はない。 例> 先生にお土産を{○さしあげました / ×おあげました}。  「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」 これを使えない理由? : a. 1でも触れましたが、「あげる」というのは、「与える」「やる」の丁寧語にすぎません。 敬意は含まれていないので、目上の人に対して使うと失礼になります。 b. 「くれる」は、自分より低い立場の者に対して使われる言葉です。 c. 「もらう」は、「あげる」の対義語で「受け取る」という意味です。 敬意は含まれていないので、もらう側は常に目下の立場になります。 4.「私」と身内との授受を表す場合、普通、尊敬形や謙譲形は使われません。授受表現の場合も同じです。 例> 父の誕生日にプレゼントを{×さしあげました / ○あげました}。   「×さしあげました」ができない理由? : 父を非常に尊敬している場合は、「さしあげました」でも問題はありません。 文法的な間違いではない、ということです。 ただ、身内ですから、一派的に言って、あまり敬意を強調した表現は不自然になる、というだけのことです。   

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4337)
回答No.3

「あげる」は本来は「与える」「やる」の相手を敬った言葉で丁寧表現です。 与える、やるは身分の上下のある時代は低いものにも使いました。 今は人間以外の生物に使う表現です。 金魚に餌をやります。あたえます。 花に水をやります。植木に肥料をやります。 ジョンさんがマリアさんに婚約指輪をあげたそうだよ。になります。 田中さんは私にキャンディーをくれました。 田中さん >動作の主体で主語  私に>動作の対象で相手 くれました。>相手が自分に与える。 くれる、与える >give                             私は田中さんにキャンディーを貰いました。 私は>主語 田中さんに>相手 もらいました>自分が相手から与えられる。 貰う>receive 授受表現には あげます= 謙譲語 差し上げます くれます= 敬語くださいます もらいます= 謙譲いただきます があるので、その方が云いやすく分かり易い。 日本では自分の身内~家族親族 自分の所属する会社の上司なども対外的には、尊敬語を使いません 謙譲語は使います。 ~と部長が申しております。 私は父にネクタイをあげました。 課長は今席をはずしております。後ほどこちらからお電話させていただきます。

  • ahkrkr
  • ベストアンサー率35% (109/310)
回答No.2

> 1.第三者間の授受を客観的に描写する場合には「あげる」しか使えない理由?    例> ジョンサンガマリアさんに花をあげたそうだよ 受け取った人が自分の身内と感じられるなら、「くれる」も使えます。 例えばマリアさんが自分の家の下宿人で、ジョンさんがマリアさんの友人だとしたら、大家さん夫婦の会話として、「ジョンさんがマリアさんに花をくれたそうだよ」も成り立ちます。 受け取った人が他人と感じられるなら、「あげる」しか使えません。 > 2.  田中さんは私にキャンディーをくれました。    私は田中さんにキャンディーをもらいました。   二つの違い点。 形式的に違うだけで、意味は全く同じです。違う点はありません。 > 3.「あげる・くれる・もらう」は、いずれも尊敬・謙譲の形式として特殊な形を持ちます。規則的な形である「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」などの形はない。 例> 先生にお土産を{○さしあげました / ×おあげました}。  「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」 これを使えない理由? やる、くれる、もらう、それぞれの謙譲語、尊敬語、謙譲語として既に、あげる、くださる、いただく、があるので、あえて「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」などは使わないということだと思います。 > 4.「私」と身内との授受を表す場合、普通、尊敬形や謙譲形は使われません。授受表現の場合も同じです。 例> 父の誕生日にプレゼントを{×さしあげました / ○あげました}。   「×さしあげました」ができない理由? 「やる」の謙譲語が「あげる」、さらに敬意を高くしたのが「さしあげる」です。 敬意の度合いが違うだけで、「あげる」が使えて「さしあげる」が使えないということはありません。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

1。1.第三者間の授受を客観的に描写する場合には「あげる」しか使えない理由?        例> ジョンサンガマリアさんに花をあげたそうだよ    例> ジョンサンガマリアさんに花をやったそうだよ、のような文は身分の高下があった頃は言えました。今も「マリアさん」の代わりに植物、「花」の代わりに「水」だと自然な文になります。    例> ジョンサンガ花に水をやったそうだよ 「上げる」以外を使ってもいいのですが人の場合は注意が必要です。 2.  田中さんは私にキャンディーをくれました。    私は田中さんにキャンディーをもらいました。   二つの違い点。  「くれる」「与える人」は主語、「受け取る人」は目的の「に」を使います。  「もらう」「与える人」は「に」、「受け取る人」は主語、です。 3.「あげる・くれる・もらう」は、いずれも尊敬・謙譲の形式として特殊な形を持ちます。規則的な形である「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」などの形はない。 例> 先生にお土産を{○さしあげました / ×おあげました}。  「×おあげする・×おくれになる・×おもらいする」 これを使えない理由?  「特殊な形」とは、「規則的な形」ではないからです。 4.「私」と身内との授受を表す場合、普通、尊敬形や謙譲形は使われません。授受表現の場合も同じです。 例> 父の誕生日にプレゼントを{×さしあげました / ○あげました}。   「×さしあげました」ができない理由?  韓国語は「絶対敬語」を使うので、たとえば「父」にはいつも最高の扱いをします。日本語は(方言での例外はありますが)「相対敬語」で、身内ではかなり家庭によって違いがあります。家庭外では最高の敬語を使わないためです。呼び方も家庭内では「お父さん」,家庭外では「父」と変ります。

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