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聖書の訳について、マタイの福音書5 「心貧しき人達は幸いである~」に
聖書の訳について、マタイの福音書5 「心貧しき人達は幸いである~」について KJVでみると Blessed are the poor in spirit: となっていますが 私の持っていた古い聖書には Blessed are they who know their spiritual poverty, と出ています。 日本語訳は同じです。 「心貧しき人達」とはどういう意味でしょうか? 私ははじめ後者の方を先に読み、(1)精神・魂の貧困・不足を知る者=魂の渇望を覚える者=(心の内に知らずして)神を求める者 と解釈していまた。 しかし前者のpoor in spiritでは単に(2)心の貧しい=卑しい・欲のままに生きるだけの・動物並みの、 とも解せます。 改めて考え直してみたらどっちの意味だろうかと迷います。 私の英文解釈も間違っているのかもしれません。 その後で「あなた方が自分を愛するものを愛したからとて、なんの報いがあるだろうか~」 という下りも有ります。 すると(2)の卑しい人達という事なのでしょうか? しかしそれではどうにも道理が通らない気がします。 poor in spiritとは無垢・無知・無欲という意味なら分かる気もします。 私の疑問は二つに分けられます。 I、英文について、 who know their spiritual poverty =the poor in spirit なのでしょうか? 私としては、主観的自覚と客観的状態との大きな違いが有るような気がします。 或いは宗派によって解釈が違うのでしょうか? II 、「こころまずしき人達」とはどういう意味でしょうか? 教会には30数年、行って無いものです。 久しぶりに手元の聖書を見てふと疑問に思った次第です。 どなたか分かる方宜しくお願いします。 、
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