• 締切済み

心についてです。

心についてです。 心というのは定義が曖昧なので、ちょっとややこしい質問です。 いえ、質問というか、みなさんの意見や考え方を求む、といった感じですね。優先度は低いです。 ふと疑問に思ったのでこぼしてみる、といった感じです。 以下質問 コレは人間だけに限ったことじゃないですが…… 人は自分の心を守るために、自分の身体すら傷つけるときがありますよね。 つまりあれは、自分の身体よりも心の方が大事ということなのでしょうか。 心というのはとても大事なものなのだと、他人の行動や自分の行動を見ていても思いますが、一体どうして【心】というものはそこまで【大事】なものなのでしょうか? 心の発達というのは、よくわからないですが、立派な生物の【進化】ですよね。だとしたら進化の過程に於いて【心】というものを身体より大事にし、育むことで、人間は結局なにがしたいのでしょう? ただ生き延びるため、種族を繁栄させるために(カラスのように)賢さを選んだのはわかりますが、どうもそれだけじゃないように思えるんですよね。心のために身体を傷つけたりするし。 現代人の思考や心はある日突然現れたものじゃなく、複雑な進化(あるいは退化?)をくり返して生まれたものですよね。ならつまり、これからももっともっと人間の心や思考が【なんらかの進化】をする可能性があると言うことですよね。では、その到達点は一体どういうものなのでしょう? 厨二的なアレですが、【人は何処へ行くのか】みたいなことを聞いています。何処へ行きたいんでしょう?何がしたいんでしょう? この質問に対しての回答は自由です。ていうか質問が意味不明なので(汗)、回答様もフリーダムで大丈夫です ●作家等の意見の引用 ●学術的な事実、推測 ●この質問の何らかのヒントが得られそうなお勧めの本や小説 ホントになんでもOKでございます。でも、できればみなさんの【生の意見】を聞きたいです! 追記 【心理学】というジャンルにしようか迷ったのですが、なんか違うような気もしたので、哲学の方で質問させていただきました。

  • D-ash
  • お礼率61% (16/26)

みんなの回答

  • AXIS_
  • ベストアンサー率12% (9/71)
回答No.11

http://sora.ishikami.jp/stories/universe.html オカルトの範疇に入ると想いますが、 「何?」という思いから意識が発生したというのは納得できます。 質問に対する直接の回答ではないと想いますが、参考まで。 個人的には「我のようになれ。」という、そこまで意識が到達した存在が存在しえるようになったのは何が原因であり、何が本当の始まりであるのか、という点において非常に疑問に想います。

D-ash
質問者

お礼

参考HP、ありがとうございます!想像力の宝庫でしたw 【どこから】【なにが】【どうして】始まったのか、という疑問については私もとても気になります!色々想像しますが、きっと私が考えもつかないような意見、事実がわんさかあるはずです。 けど、それはまたの機会にでも質問しようかと思います。 回答、ありがとうございました!

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.10

これからももっともっと人間の心や思考が【なんらかの進化】をする可能性があると言うことですよね。では、その到達点は一体どういうものなのでしょう? ○ 妙な事に疑問を持たれたようですね。でも立派な疑問ですね。この答はあるのですね。  答えは「遥か昔、宇宙を創造した根本仏は「我のようになれ。」と念じて「人の心」を創造した。」ということなんですね。 この意味は「心は鍛えれば鍛えるほど、強くなり、認識力を広げれば広げるほど広くなり、愛を深めれば深めるほど愛がつよくなり・・・・・より根本仏に近づく。」ということです。 心は不滅であり、その向上過程は永遠の行程であり、道筋において神(上の意味)と呼ばれ、菩薩と呼ばれ、如来と呼ばれ、仏と呼ばれ、地球や月のような惑星と呼ばれ、太陽のような恒星、さらに銀河と呼ばれるのですね。それが「我のようになれ。」の意味です。 昔からの逸話では「星になる。」というのが美しいですね。 つまり、人の心は星(太陽のように無私で自愛満ちた輝く星)を目指してたゆまない研鑽をしているということでしょうね。そのために先ずは直近の上(精神的向上の意味)を目指すということでしょう。 答えは割りと常識的には奇想天外のようですが、認識が広がれば常識が非常識になり簡単に理解できることだと思います。

D-ash
質問者

お礼

人間の精神世界、想像力というものはすごいと思います。 私も寝ている間に夢を見ますが、そこでは【なんでもあり】なんですね。どうしてそんな【なんでもあり】な世界が存在するのでしょう?不思議です。 非常識な世界、非常識なものの身方、人間の想像力の中での世界、そういったものは人間にとってはある意味【美しい】ものであり、憧れ、甘い蜜に誘われるようにそれを求めることもあります。 「星になる」という単語から、私のなかで色んな想像(妄想)が生まれてきます。広い世界へ行こうとする人間の性質から、「永遠」「根本」といった時間的な広がりも美しく見えてきます。 私はそういった人間の想像力に働きかける【美しい】考え方も大好きです!だからなんだって話ですが… ご回答、ありがとうございました!

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.9

>人は自分の心を守るために、自分の身体すら傷つけるときがありますよね。 つまりあれは、自分の身体よりも心の方が大事ということなのでしょうか。 確かにそう言う場合もありますが、その反対の場合も幾らでも在るのではないでしょうか。 人は自分の身体を守るために、自分の心のままに行動をすることを諦める。それを、人々は自分の心をコントロールすると言いますよね。それをコントロール出来ない人が時々居りますが、それを人々は心の病と言います。また、子供のうちはただただ心のままに振る舞おうとする。従って、その存在が危ない。だからその未熟な存在を大人達が見守ってあげて、心のままに振る舞わずにコントロールして身体を大切にすることを教えて上げる。これは、単に乳幼児だけではありません。思春期の所謂第二反抗期の連中もその危なっかしさがあります。従って、思春期の連中も友人や大人達の監視の元に心をコントロールする訓練することが大変重要なのですね。これを教育と言います。つまりこのことから、自分の心よりも身体の方を大事と考えることができる人間を正常な人間、あるいは一人前の人間いう結論も得ることが出来ますね。 このように貴方の導いた結論とは正反対の結論も導くことができる。 さあ、それは何故でしょう。私の見るところでは、貴方は心と身体の関係を十分掘り下げて考え切っては居らず、思い付いた一面だけに神経が一方的に偏って考察が為されているからだと思います。従って、貴方の一方的な見方、すなわち「つまりあれは、自分の身体よりも心の方が大事ということなのでしょうか。」ということを前提にして論じているその後の論理の展開に、私は余り説得力を感じることが出来ません。何故なら、その前提に立たなければ、その後の論理でも貴方とは完全に反対の結論を導けることも可能ですから。 私の拙い経験によると、一見もっともらしい意見を聞いたり気が付いたりしたときは、それをそのまま受け入れるのではなく、一端それとは正反対の立場から見てみることが大切だと言うことでした。意外にも、その正反対の意見にも始めの見方と同程度の説得力のある論理が存在している。従って、ある論述を自分の意見とするかどうかは、論理の優劣ではなく、自分がどちらに組するのかの決意が重要になる。そして、その選択の決意が、貴方の世界観を作り、貴方の個性を作り上げているのだと思います。要するに、論理が世界を作るのではなくて、貴方の決意によって世界が生まれて来るのだと思います。

D-ash
質問者

お礼

なるほど、私が漠然と考えてしまったようなふとした疑問にも、必ず反対の理論があるのですね! そして論理の展開には【説得力】が大事、どちらの意見を有するのかは個人の意志によって決定され、それがそのまま個性として成り立つというわけですね! 回答ありがとうございました!

回答No.8

 >自分の身体よりも心の方が大事<    哲学も、人間は身体と心とどちらの方がより重要かという問いかけと主張を交互に繰り返してきた歴史があるようです。いわゆる「唯物論」と「唯心論」の議論だと思います。  「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」という聖書の言葉がありますが、もちろん「パン」は重要ですが、物質的に満たされても、心が満たされなければ・・・という欲求も当然あります。  唯物論によると、心は副産物、二次的らしく、重要なのは、物質、身体、現実。  唯心論はたぶん宗教ともからんでいて、精神、観念、理想を重要視するのでしょう。  質問から見ると、「心を身体より大事にし、育むことで、結局何がしたいのでしょう」という問いかけですが、心、精神って結局まだまだわからないことだらけであり、そこの悩みを抱えている人に、薬という物質でしか対処できていない現状があるように思います。逆に心の飢え渇きに対して、薬物中毒で満たそうとする人たちもいます。  食べることに必死な時に心とかいっていられるかということ、心が満たされないなんて贅沢な悩みだという意見もありそうだし、じゃあ本当の幸福とは何かという現実的な問いかけもあるし、どっちが正しいとか安易にいえない時代ですが、結局はその人の立ち位置によって考え方が自然に決まってくるのかもしれません。  >何処へ行きたいんでしょう?何がしたいんでしょう?< たぶん解明したいんでしょう。そして現実的、臨床的に生かせればと思います。  

D-ash
質問者

お礼

唯物論、唯心論については高校一年生の時にやったようなやっていないような… と思い、wikipediaで復習してみたところ、そこのリンク先で私の質問と深く関わりそうなものを偶然見つけてしまいました(汗 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%B0%97%E8%AB%96 唯心論とはちょっと別の理論なのですが、ともあれ、ここに繋がる道を教えてくださってありがとうございます!… 細菌は世代交代によって手当たり次第に色んな方向、色んな性質へ進化しているため、今生きているのはそのなかで【たまたま】生き残った、その環境とうまくマッチしたものなのだということをどこかで聞いたような気がします(本当かどうかはわかりませんが…)。 【好奇心】というのはそういった「手当たり次第に進化してみよう」という本能的なアレの影響なんでしょうか… そう考えると、知らないもの、疑問を解明したいという欲(?)も納得できますね… エントロピーの法則(よく知らないので間違って使ってたらすいません)によれば全ての物象は均一・混沌の方向へ行き、混ざり合おうとするらしいので、生命が周りのあらゆるものを取り込もうとするのもなんだか納得できます……って話がだいぶ逸れてますね!すいません ご回答、ありがとうございました!!

noname#123390
noname#123390
回答No.7

早急なお礼をいただきました。少し私の言葉足らずの面があって、意図が伝わっていないようだと思いましたので、補足させていただきます。 >カラス(特に意味はないです)のような【賢さ】と似たような意味での心を守る為には、人間はなんだってする、という感じですか。 賢さと心とは違うと思います。体を動かし、声を発する、計画をするというだけでは、やはりカラスのような賢さとあまり変わらないと思われたのはいたしかたありませんね。人間の総司令部には総司令部自身を自覚する、客観的に自身の全体をイメージするという機能があります。これこそが自分の心を大事に扱うというしくみのもとになっているのでしょう。心がなくなったら、この体全体がどうなるかという微妙な想像までやってしまうわけです。死を怖がるという生物一般のしくみとはその点で異なっています。それゆえに、体は喪失しても、その心が残れば許せる、というからすにはない対応も可能なのです。遺書を書いて死に行くという人間の死の一形式もそれがあるためでしょう。 >キリストが持ち得た心もあれば、キリストが持ち得なかった現代特有の心もあると思うのです >人間は時代によって心が複雑多様に、あるいは単純にをくり返して変化し続けるのか、どこかで完全に統一され、まったく変化しなくなる時が来るのか…心の中でその両方が別の面で起きるのか… 私見ではそういったものはさほど問題ではないと思います。人間の心ほど人類が生まれてから変わっていないものはないと思います。仏陀もキリストも、ソクラテスも、それゆえに今でもよく規範にされるのでしょう。変わったものといえば、人類は皆同じ権利を持つとかいう共通の倫理、枝葉末節の真理くらいのものでしょう。 >生命活動は(自殺因子というものもありますが、よくわからないですが)滅びるようにはできていない、人間は心を守る、自身を守る、継続させるように出来ているという知識(?)が私の頭にはあるからです。 それはそのとおりだと思いますが、ただ、それを貫徹するほど人間は賢くはないのです。 >つまり人間の心はその複雑多様な変化を経ていつかは【滅び】という道に辿り着き、勝手に滅するだろう、と。 そのとおりです。人間はそのさかしさゆえにこの一千年期を生き延びることは出来ないというのが私の予測です。外れて糒ですが。 >地獄というものがどういうものかはわかりませんが、人間の生命継続にとって【良くない場所】という風に捉えてよろしいでしょうか。いや、それだと進化によって適応できてしまうので、人間が滅びる道そのものを【地獄】と呼んでいるのでしょうか。 そのとおりです。やがて来る人類絶滅、阿鼻叫喚の世界を言っています。 >なぜキリストのような【心が高い】人間が現れたのか?キリストはつまり、人間という生物としての生きる能力が高かったというのだろうか? 違います。人間の心的に完成度が高かったのだということです。たとえば、彼の理想は生殖の無意味化です。完璧を達成した人間は後継者を必要とはしないのです。 >人はどうして何処に行こうか迷う=【どこかに行きたいと思う】のか?…… キリストと違う意味で快楽生活を完璧化したので、それ以上の生活が無意味に見えているのです。迷うということではなく、目標がなくなったのです。でも死ねない。ですから日々を意味なく過ごすしかないのです。そういった意味でも滅びは必然だと思います。

D-ash
質問者

お礼

こ、これはご丁寧に…恐縮です&ド勘違いの山々申し訳ございません 遺書!…というのは、私にとっては大変イメージしやすい具体例です!なるほど… 人間から見た宇宙は今、未知と疑問で溢れている(らしい)ですが、それらがあらかた解明されてしまった、もしくは人間の最大の武器である知識をそれ以上得ることに意味が無くなる時代が来てしまったら…と考えると、そこが人間という個体の限界にも思えますね… それが千年以内に来るかもしれないし、もう来ているかも知れない(例のように、「どこにいこうか」と考えてしまっている人間もいるので)と、勝手ながら解釈いたしました。 二度もご回答くださり、ありがとうございます!

noname#123390
noname#123390
回答No.6

質問者様のイメージの中にある”人間の心”というものを私なりに具体的にイメージしてみると、ひとつの人間の肉体の中にあって、その様々な機能(手足の動き、声を出すこと、このあとは何をしようかとか計画する、自分は将来なにになろうかとかいう遠大な計画立案などを立てて別の記憶装置にしまっておく、などなど)を一手に引き受けて操り動かしている司令部というか参謀本部のようなものだということではないでしょうか。ですから、それを実際に実行する肉体も当然大事ですが、そのおおもとがなくなったら肉体はただの肉やら骨やら水分に過ぎなくなってしまうので、それはそれは大切なものだ、ある意味その人の殆どすべてといっていいのかもしれません。ですから >人は自分の心を守るために、自分の身体すら傷つけるときがありますよね というのも至極とうぜんといっていいのではないでしょうか。心を失うくらいなら、腕の一本、目をひとつふたつ失ってもたいしたことではない、ということでしょう。 心の発達、ということをおっしゃっておられますが、人間はとうのむかしにこころを相当の高みにまで発達させてきたといえると思います。発達というか進化の意味をとりちがえているかもしれませんが、先人のいちぶのひとたちがある時期に達した心の高みは、その後の多くの人たちには羨望はされても、なかなかそこまでもいかないのが正直なところだと、私は思っています。たとえばキリストだとか、ブッタだとかいうひとたちのことですが。 >人は何処へ行くのか そういうことなら、ある程度私にも想像はつきます。皆さんどこへいっていいものか迷っておられますが、結局行く先は滅びのみち、地獄でしょう。 つまらない結論で申し訳ありません。

D-ash
質問者

お礼

なるほど、カラス(特に意味はないです)のような【賢さ】と似たような意味での心を守る為には、人間はなんだってする、という感じですか。 例がパッと思い浮かばなかったのでイメージがしにくいですが、なんとなーくわかりました! 心の発達…そうですね、言い方が悪かったです。私は、時代による心の【変化】について聞いていたつもりでいました。ですが【発達】という面で考えても面白いですね… キリストが持ち得た心もあれば、キリストが持ち得なかった現代特有の心もあると思うのです 人間は時代によって心が複雑多様に、あるいは単純にをくり返して変化し続けるのか、どこかで完全に統一され、まったく変化しなくなる時が来るのか…心の中でその両方が別の面で起きるのか… 人は必ず滅びる、という結論は私にとっては新鮮です! 生命活動は(自殺因子というものもありますが、よくわからないですが)滅びるようにはできていない、人間は心を守る、自身を守る、継続させるように出来ているという知識(?)が私の頭にはあるからです。その固定概念をぶち破れ!ということですねw つまり人間の心はその複雑多様な変化を経ていつかは【滅び】という道に辿り着き、勝手に滅するだろう、と。前の人の意見と相違していますね。 地獄というものがどういうものかはわかりませんが、人間の生命継続にとって【良くない場所】という風に捉えてよろしいでしょうか。いや、それだと進化によって適応できてしまうので、人間が滅びる道そのものを【地獄】と呼んでいるのでしょうか。 なぜキリストのような【心が高い】人間が現れたのか?キリストはつまり、人間という生物としての生きる能力が高かったというのだろうか?人はどうして何処に行こうか迷う=【どこかに行きたいと思う】のか?…… 色々想像力がかき立てられますw あと、全然つまらなくなんかないです!大変刺激的な回答でした。ご回答ありがとうございます!

回答No.5

到達点ですか?(もう少しコンパクトな質問、希望します) ヒトの階層の「心」であれば「全員が聖人の社会」がやがてくるでしょう。 これは時間性を意識した回答です。 ただ、いろんな階層の「心」はあるし、いろんなタイプの意識体は存在しますから、 まぁ、認識体=宇宙、てとらえて、いろんな宇宙がある、と思うことをおすすめ いたします。 つまり、私が存在しなかった時代、宇宙も存在しなかった訳で。。。 あなたについても同様かと思います。 現代は苦難の時代ですが、私に問題があるわけで、環境を変えるより、 自身の精神性を高めるしかない。と40歳のオッサンになって、 ようやくわかってきたところです。

D-ash
質問者

お礼

し、質問を希望されてしまいました… なるほど、【認識体】の数だけ宇宙が存在する、と思うことに何らかの答えがあるかも知れないんですね。 現代【は】苦難の時代……そうだったんですか、まだ社会のことがよくわからないので、苦難の時代とそうでない時代のことはよくわからないのですが…とにかくご意見ありがとうございました!

回答No.4

あなたのお考えの「心」というのは、物質的な存在の中に 二次的に発生したものだというお考えですね? しかし、あなたの「見て」いるのは、心の中なのです。 例えば「色」などというものは、物理的には存在せず、単なる 光の波長の連続的変化に過ぎません(「赤は青の反対」などと いう根拠はありません)。 同様に、「見えている空間的広がり」というのも無いのです。 我々は「過去は既に去り、未来はいまだ訪れていない=存在の 依拠するのは現在」だと考えるが、その実、遠くの姿は昔の姿 であり、「現在」とは感受表面での量子相互作用のみです。 一方その「遠く=空間的広がり」とは、「感受表面」での量子 相互作用パターンにおける、五感の相関した経験の蓄積による “先行感覚(光、音)に対する生理的感覚の予測”として得られる、 即ち「現在(感受表面)から過去(経験)と未来(予測)が対発生」 していると言えるのです。 量子論的な世界像において、有限な性質(=存在)は、認識される ことで派生しています。 全ての存在は量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め 込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面の運動(プランク定数の収束の時系列化)を 想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の 向うに、自我仮説の相補として時空仮説=宇宙を認識するのです。 (ここで先に述べた「自己(現在/感受/光速)から過去(記憶 /時間/超光速)と未来(予測/空間/光速下)が対発生する」 につながる)

D-ash
質問者

お礼

以下捕捉の続き↓ ●「量子的な不確定性」とは「微視的現象を扱う場合、粒子の位置と運動量は同時に両方を正確に測定することができない」でしょうか。しかしこの世界は量子のみで成り立っているわけではないので、つまり貴方の言う【量子的】は、この世界を量子の世界に見立てたときの場合を指しているのですね。違っていたらご指摘お願いします。つまり全ての存在では位置と運動量は正確には測定できないということでしょうか。でも、「位置」と「運動量」に相当するものが貴方の定義では存在するのでしょうが、私にはわかりかねます。なので「量子的な不確定性」は無視させていただきます。 ●無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって 一体何を何処にどう詰め込むのかが私には理解できませんでした。すいません。できれば省略された主語と修飾語を教えていただきたいです。 存在確率…ものが存在する確率でしょうか。この確率とは数学的な確率(可能性の度合い)でしょうか、それとも私の知識の外にある哲学的な何かでしょうか。よってこの文章も無視させていただきます。次に移ります。 ○無(=無限不確定)の潜在としての自我仮説と時空仮説の相補分化。 ●無限不確定…上記の文章を一語で表したものだと推測します。よって意味がわからないので無視をします。申し訳ないです。 ●潜在…表面には表れず内にひそんで存在すること。 ●相補分化とは…さっぱりわかりませんでした。 なので貴方の他の回答から推測 ○量子的な相補的不確定性を介した、自我仮説と時空仮説の相補分化と、そこにおける、無の射影としての存在性。(無の無限の闇に対する自我の射影)全ては、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。 ●上の文章を解釈する気はありませんが、これに【相補的】【相補分化】という単語が出てきております。 ●相補性…相補性は、量子力学の基本概念の一つ。ハイゼンベルクの不確定性原理により、粒子の位置と運動量は同時に正確に測定することができないことが示されたが、相補性はボーアが、この不確定性原理の解釈を補強するために哲学的に導入した概念である。相補性によれば、一方を確定すると他方が不確定になるような2つの量は、互いに補い合いあうことにより対象の完全な記述が得られるものとする。 ●相補…互いに不足を補うこと。 ●分化…1単一なものが進歩・発展するにつれて複雑に分かれていくこと。細分化。2社会事象が単純なものから複雑なものへと分かれ、組織などが分岐発展すること。3生物の細胞・組織・器官の形態や機能が特殊化し、特異性が確立していくこと。 ●以上から私は「相補分化」を解釈しました。【元々一つのものであったが分化したため、それらは互いに影響を及ぼし合うのである】といった感じでしょうか?わかりかねますので、無視をします。 ○「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。 ●ここに「自我仮説」「時空仮説」が出てきております。 ○無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数の収束の時系列化)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の相補として時空仮説=宇宙を認識するのです。 ●仮定断面は建築用語らしいですが、他の意味が見当たらなかったので、無視させていただきます。 ●プランク定数の収束の時系列化について プランク定数は学校で習ったので知っています。が、これは普遍的な立派な【数字】の為、収束をするのかというのはよくわかりかねます。よってこの言葉も無視させていただきます。時系列化というのもよくわかりません。 ●無の風…これについては何をどう調べても無理でした。よって貴方が定義した造語であると解釈します。よって無視をします。 【まとめ】 あなたが私の質問とは(私にとって)全く関連性のない質問に対して似たような回答をしていると言うことを、私は【人間の認識における全ての不思議は●●によって解決される】と言いたいのだと解釈しました。しかし●●の内容が私には理解が出来ていない、そういうことですよね。 ただ、恐らく予想するとあなたがいう●●とは『全ては【無】であるから、認識について質問すること自体が無意味』ということでしょうか? 恐らく返事は帰ってこないでしょうが、言います。どうもご回答、ありがとうございました

D-ash
質問者

補足

誠に申し訳ないことに、貴方の回答にはわからない単語が多すぎたので、自分なりに解釈したり調べたりしました。 量子…粒子性(物質の性質)と波動性(状態の性質)を併せ持つ、このような特殊な存在を普通の物質と区別するため量子と呼ぶ。 その量子を研究するのが量子力学。 量子論…量子論は、量子現象を扱う自然科学の理論の総称である。 その数学的理論体系である量子力学や量子物理学と同一視されることが多いが、量子力学の応用はすべての自然科学領域に及んでいる。 量子的な不確定性…実際には原子や分子、電子、素粒子などの非常に小さなスケールの現象(微視的現象)を扱う場合、粒子の位置と運動量は同時に両方を正確に測定することができない(不確定性原理)←コレのことでしょうか? 見えている空間的広がり・感受表面・量子論的な世界像…これについて調べてみたら、あなたの回答がわんさか出てきたのでその中で自分なりに解釈してみました。 以下○部分はpsytexさんの様々な回答文から抜粋・●部分は私の文章もしくは他からの引用 ○全ての環境認識は、認識体の感受表面における量子相互作用(光だけでなく、音や触覚のような運動量の交換や、味覚や嗅覚のような化合物の反応も、最終的には量子相互作用であり、その“向こう”にある媒質の違いに過ぎない)である。そこにおける光や音のような情報性(先行感覚)に対して触覚や味覚のような実体的感覚の蓄積を相関させる、即ち経験(時間的記憶)による予測(空間的広がり)として時空は生じている。 ●ここに量子相互作用について書かれています。 ●相互作用…二つ以上の存在が互いに影響を及ぼしあうことを指している。 ●上記より、量子相互作用とは、【量子の相互作用である】つまり「性質」と「状態」を持つものが二つ以上存在することによって影響を及ぼし合う、もしくは「性質」と「状態」が互いに影響を及ぼし合うということでしょうか。どちらか、あるいはそれ以外なのかはわかりかねますので、この「量子相互作用」という単語は無視させていただきます。 ●感受…1印象などを感じて心に受けとめること。2外界の刺激を感覚器官によって受け入れること。 ●表面…1物の外側をなす面。おもて。2物事の、外から見える部分。表立つところ。 ●上記より、感受表面とは【認識体】の感覚器官の感覚上の表面、もしくは、【認識対】が知覚しているそのものの表面、でしょうか?でもどちらか、あるいは全く別のものなのかはわかりかねますので【感受表面】については無視させていただきます。 ○本来、ビッグバンの慣性で膨張しているのであれば、重力によって減速して、その「宇宙寿命光年先のビッグバン当時の輻射」は、晴れ上がってもいいのですが、ずっと見えている不思議に対して、「加速している」とか「ビッグバン初期に超光速で飛散した」とか、諸説が唱えられています。しかし量子論的に考えると、認識によって宇宙が生じる=自己(現在/感受/光速)から過去(記憶/時間/超光速)と未来(予測/空間/光速下)が対発生していると考えれば、その基底としての時空が広がる(時間経過=空間膨張)のは当然のことです(また「観察範囲の向うの存在」も無意味) ●この文から考えられること…宇宙は人間にとって存在しているのである。 ●「見えている空間的広がり」について 上記の文章から考えられることは、つまり、【空間とは本来存在しないものだが、【認識体】によって見えてはいる】といったところでしょうか? ○真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 ●上の文と大体似たようなことが書いてありますね。でもやはりわからないので次に移ります。 ○全ての存在は量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 絶対無=不確定性無限 ●上の文章が一番悩みました。どこを覗いてもこう書いてあるだけで、この台詞に関する質問者の問いにも答えずただこの文章が成り立っております。つまりこれ以上簡略化できないと言うことなんですね。では私が勝手に解釈いたします。 【文字数制限のため回答者へのお礼に続きます】

  • gamajah
  • ベストアンサー率18% (27/143)
回答No.3

自問自答ですね。・・・・皮肉で言ってるのでじゃないですよ。 ご質問には俄かに答えられませんが、ひとつヒントになりそうな漫画を思い出しました。 「ブッダ」~手塚治虫  です。 補足的に「アドルフに告ぐ」も、間接的ではありますが、同じ手塚作品で、何らかのサゼッションをくれるかも知れません。 二作品ともわりと有名なので、すでにご存知かも・・・、ですが。 こんなんでいいですか?

D-ash
質問者

お礼

そうですね…やっぱりはっきりした答えを望める質問をした方がいいですかね… 「ブッダ」は家にあったようななかったような……機会があったら是非一読してみたいと思います! 回答ありがとうございました!

  • shubal
  • ベストアンサー率20% (402/1958)
回答No.2

デカルトか誰かの言葉に「我思う、ゆえに我あり」というのがありましたね。その意味はご存じかと思いますが、「我が思っているのだから、我はあると言える」「しかしその他身体も事物もすべてのものはあるとは言えない」でしたね。そこにあなたの疑問の答えはありませんか?「どこへ行くのか」も行った記憶がないので、いまのところないということになりますね。

D-ash
質問者

お礼

デカルト、(ちょっとだけですが)知っていますよ! コギト・エルゴ・スムでしたよね。 自我の上に成り立つ自己の存在から、自己の周りの様々な事柄が証明できるという。 全ては自分から生まれる、っていう感じでしたっけ?… 確かに人は自分の存在を【思考すること】によって確かめられるという不思議な生き物ですね。 【思考を思考する】というのはとても高度なことです。そういった高度な思考を続ければ、いつかは周りの全ての物象の曖昧さの膜を破り捨てることになるかもしれませんね。そうすれば、人間が個体としてよりスムーズに活動できるようになる、とも考えられますね!なるほど! デカルトはやはり偉大です(―人―) 追記 答えは決してひとつじゃありません。ちょっと色んな意見を聞きたいなぁ、と思ったので質問してみました(汗 すいません。 回答ありがとございます!

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    こんにちは 進化論は有名ですが 人間も動物も昔より一度進化がとまっちゃって 退化してからまた進化した!って考えられませんか?<遺跡などを見て> まあこれは私の自論なのですが 進化論に真っ向から対立する意見などなど 在りましたら教えてくださいね

  • 心の持ち方

    とてもバカみたいな質問かもしれませんが、悩んでいるのでもしよかったらコメントをください。 色々な事情で複雑な家庭にいます。 過去のことが頭から離れず、ちょっとしたことでイライラし、子どもにも大変つらい思いをさせています。 わかっているんですが、心と行動がバラバラで、生活がつらいんです。 何かにつけて人間関係もうまくいかず、自己嫌悪に陥ることが多いです。 プラス思考にならなくちゃと思う反面、実際は常にマイナス思考になってる気がします。 友達もいません。 色んなことが頭ではわかっているのですが、心が壊れそうになってしまいます。もしかしたらもうすでに壊れてるのかもしれません。 先を考え、不安ばかりで何も出来ません。 離婚して今は子どもと別の男性と生活していますが、その男性に特につらくあたってしまいます。 書いてる内容がバラバラでわかりにくくてすいません。 なんと、表現したらいいかわからなくて…。 このように、心の持ち方や感情の抑え方について、参考になるようなものがあれば教えてください。 また、複雑な環境の中に居られる方がみえましたら、どうしていらっしゃるか聞かせて頂けると助かります。 宜しくお願いします。

  • なぜ私の心が2/6の地震と呼応しているのか?

    なぜ私の心が2/6の地震と呼応しているのか? もちろん推論にすぎませんが、非常に不可思議な、修羅場にて、私の心の「悲しみ・怒り」が波立つとき、なぜか地震が起きる事が多い(コレマジ)。 今日の地震は、ある意味、私の心境が環境である地球の何かに影響して起きた可能性が高い。当然、信じてもらえぬだろうが・・・ 重要なのは、宇宙が己の補完(必要)として存在している事を、神経を研ぎすます様なスタイルで感じようとすると、解明できる何かを得られるかもしれない。今日、私は、人間とは異なる階層の認識体と、少しぶつかってしまいました。その認識体とは、社会進化の移行によって、ますます大きく感じられ、その認識体の一部と化した、無意識的に生きているタイプの人間が放つ、不気味なオーラを嫌でも受けてしまい、皆さんが、仮に聞いたら信じられないような「頭のオカシイ」人間(歯車人間)に、この私(自律性が極端に強いから)は攻撃されているのです。 どうか、助けて欲しい。哲学の質問に対する回答としての助言で・・・

  • 自分の心の嫌なところ

    なんというか、人間のこころの貧しいところというか、 少なからず、自分より「下」の人間がいると安心してしまう気持ちってどこかにありませんか?? 自分より「下」がいてほしい…その方が安心する、みたいな気持ちです。 自分が一番下じゃないんだなって確認することで安心するみたいな… そういう気持ちのない人ももちろんいっぱい居るんでしょうが… 当然、人を見下してることになります。。 なんかすごくイヤなんですけど…どう受け入れたらいいんでしょうか?? あるいはどうしたらこういう思考をしなくて済むんでしょうか…

  • なぜみな没個性的なのか

    芸能人も芸人も友達も恋人もなにもかも共通性をもっている。悲しければ泣き、楽しければ喜び笑い合う。 なぜ人間は感情、言語を持つ高い知的能力をもつ種族なのに何かしらの共通性を持っているのでしょうか? みなが言っている個性とは所詮、性格の違いくらいに過ぎない これ以上の進化はしないのでしょうか たまに様々な分野から天才と呼ばれる人が現れますが、天才同士から生まれた子の連鎖が生じるといわゆる一般人とはかけはなれた能力、思考をもった人間が現れてもよさそうなものですが・・・ 私の身近にはいないだけかもしれません。あなたたちの周りにはそのような人がいますか?進化の過程を勉強していますが不思議に感じています

  • 人間含め生き物にはどうして心があって体があり、体があって心があるのでし

    人間含め生き物にはどうして心があって体があり、体があって心があるのでしょうか。 とっても難しい質問ですが、少しでもわかる方がいたらお願いします。

  • 生物の進化には精神的な要因もあるの?

     考古学の勉強で、人類の進化について学びました。 氷河期が訪れ、過酷な環境下におかれたとき、それに立ち向かって新たな食糧を求めて行動した種こそが、進化でき、子孫を残す・・・また、それが人類の種なのだ、という話でした。  そのようなことを考えれば、過酷で厳しい環境におかれても立ち向かっていこう、とする前向きな思考ができる性質を持つもの、勇気を持つものこそが生体機能を進化させることができるのだろうか、と思ったのです。  生物の進化にはものすごい時間がかかるといいます。カメレオンなど、周りの環境に合わせて自分の体の色を変えることのできるのも環境に適応するための進化をとげた結果なのでしょうが、・・・・  このように考えれば、前向きな思考こそが生き残ることができるといえるのでしょうか?