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善と悪についての問答
- 善とは嘘偽りなく物事の有るがままを捉えることであり、善とは見えるものを見えると言い、見えないものを見えないと言うことである。
- 悪とは善の対極に位置するものであり、悪とは偽ることや物事を捻じ曲げることである。
- 偽ることは悪である理由として、偽ることによって真理の探究ができなくなるからである。偽ることはいかなる場合でも悪であり、最大の悪は神や仏、天国、地獄を語ることである。なぜなら、それは見えないものを見えると言うことであり、偽りであるからである。
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#2の者です。 > この哲学カテではな、回答者は質問し、 > 質問者が回答するちゅー決まりなんじゃ。 あ~,そうでしたか。 そういうルールとはつゆ知らず。。。 では質問です。 私のフィーリング的には, 正に質問者さま(回答者さま?)は私と同じ感性を持っているように思います。 いと嬉し。 しかし他の方も書かれていらっしゃいますが「嘘」と「悪」とは違うと思うんです。 (だって 違う誤 として存在するんだもの...。) (嘘も方便って言うし...。) 質問者さま(回答者さま?)は同じ意味のように扱われていますが これは「意見のすり替え」と捉えられる可能性も十分あります。 この点はいかに? それとぉ~! もう一つ。すんません。 ご質問(ご回答)やご回答(回答のお返事?)何だか禅宗っぽいのですが, 禅宗とは宗教ではないのでしょうか?
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- maimaisus
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やだなー、私は自分の意見が正しいと断定した話はしていません。 それだけあなたが私の話を理解していないだけ。 ~がこうなのでこうゆう風に考えているとか、個人的にはこう思う、的な言い方をしていたと思いますが。 良いですか、それは逃げているのではなく、常に考えを修正する為の余地をのこしているからです。 しかし、あなたの話には、その余地が在るようには思えないので、断定、決めつけなのではないでしょうか。 実際人の話、全く理解してねーしね。 あそれと悪の話でしたね、嘘偽りのない悪ですね、では結果的な悪と悪意のある悪を部分的にチョイス初級編を2例ほど。 例えば、2.3歳の子供の話、 兄が弟が持っているモノを、単に欲しいから無理やり奪ったとします。 当人同士の間では善悪は存在していないのかもしせません。 ですが、一般的に、私たちの視点から見ると兄のした行為は悪いことになります、しかしそこに嘘偽りはなくむしろ純粋に、欲しいモノを手に入れただけなのです。 例えば、2.3歳の子供の話、 姉妹がいて、妹ばかり周りの人間がかわいがり、それを見ていた姉が妹をいじめたとします。 姉のした行為は悪ですが、やはりそこにも、嘘偽りはなく、そうしたいからそうすると言う心境的には複雑ですが欲望的には単純な理由の行為。 そして、本人は気付いていないかもしれませんが、妹に対する嫉妬と言う悪意が存在していると思います。
- maimaisus
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ふむふむ、あなた自身がそう考えたりそう言った事を基準に思考する固体だと言う事は理解しました。 しかし、私は違う基準や考え方を積み重ねてきたので、そう言う決めつけ見たいな考え方が出来ないようです。 自分と言う人間を基準に考えて見ると、善悪の元は欲望とか思考見たいなモノだと思います、何によって自分を満たすのか、その性質の形の一部として善悪が存在しているように思います。 なので私の中では、悪は悪、嘘偽りは嘘偽りで別のモノと認識しているわけです。 まあ、ご自分がそれが正しくて変える余地が無いというならそれはそれで良いんじゃあないですか、個性って事ですよね。 ただ私の視点から見ると、理屈に合わない考え方に見えるだけです。他の人には他の見方が在るでしょうしね。
お礼
えーか、一つ言うとく。 わしの言うことを決めつけ見たいな考え方と言うが、自分の考えは決めつけではないとどうやって判る。 人の考えることを決めつけとか何とか言うのはそー簡単には出来んはずやぞ。 わしは悪意があるところには必ず何処かに嘘偽りがあると言うとるんじゃ。 これを決めつけと言うんか、これが決めつけやちゅーことを示せるんか。
- 来生 自然(@k_jinen)
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No.61です >>> No.61 お礼欄 なるほどなー。 やっぱそうやったか。 マンガ人生を歩んどったちゅーことやな。 <<< 「猫のゆりかご」 著者:カート・ヴォネガット 翻訳:伊藤 典夫 ハヤカワ文庫 。。。 マンガ?ではないですので、あしからず・・・ >>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E3%81%AE%E3%82%86%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%94 『猫のゆりかご』(ねこ -、Cat's Cradle)は、1963年に出版されたカート・ヴォネガットのSF小説。軍備拡張競争をはじめとする様々な標的を風刺しながら、科学、技術、宗教といった問題を探求する。シカゴ大学は、ヴォネガットの元々の修士論文を却下したが、1971年に『猫のゆりかご』をもってヴォネガットに人類学の修士号を授与している。 <<<
お礼
すまんなー
- maimaisus
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ん~、人の話を理解して、ちゃんとした答えが出ているならば、考えを改められるけど。 その得体のしれない、確信と思いこみだけでで答えられても、考えの変えようはないよね。前にも言ったけど、そう言う意味では、神様信じて疑わない人とあまり変わりないですよ。 良いですか、嘘偽りが無いこと・真理を追究することそれを善だとあなたは言います。そうだとするならば、悪意を持ち、言わなくてものいい事を嘘偽りが無ければ言ってもそれ自体は善だと言うことだと言う事になってしまうのではないでしょうか。 また、単に自分の欲望をかなえる為だけに、周りを犠牲にしても、追い求める真理が善と言えるのでしょうか。 それが善であるためには、善意が必要で、そしてそれらを正しく判断し行動する為に、真理の追究が必要だと言う事だと個人的には思うのですが。 なので善は善であり、「嘘偽りがないこと」が善だと言うのは物事を正確に理解していないと言う事ではないでしょうか。
お礼
>、悪意を持ち、言わなくてものいい事を嘘偽りが無ければ言ってもそれ自体は善だと言うことだと言う事になってしまうのではないでしょうか。 えーか、 ここに大きな見落としが有るのに気付かんのか。 悪意を持つ時点で必ずどこかに嘘偽りが生まれとるんや。 嘘偽りの無いところに悪意など決して生まれはせんのや。 えーか、 この宇宙はこの上なく正確無比にできとるんや。 だからこの宇宙の有るがままを有るがままとして捉える限り、決して悪意など生まれはせんのや。 この事を理解できん限り善を知ることはできんのや。
- 来生 自然(@k_jinen)
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>>> No.59 補足欄 k_jinenさんは何処の宗派かな。 <<< http://okwave.jp/qa/q5578099.html の回答番号No.41を参照願います。 (以下、同回答からの一部引用) http://bokonon.gozaru.jp/wboko.html >>> 「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんなまっ赤な嘘である」 「馬鹿なことはやめろ!すぐこの本を閉じるのだ!<フォーマ>しか書いてないんだぞ!」 「<フォーマ>を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」 <<<
お礼
なるほどなー。 やっぱそうやったか。 マンガ人生を歩んどったちゅーことやな。 やっぱ人生はマンガのほーがえー。 ・・・・ ヤスジは今頃どうしとるんやろなー。
- maimaisus
- ベストアンサー率8% (6/75)
あは、今までの質問回答を少しでも理解してほしくてそう言う風にしたのですが無駄だったのね。 馬の耳に念仏ですか。 まあ、良いとしましょう。 分かる人には分かるし、分からん人には分からん、それだけの事ですから。 個人的には善とは善意であり、悪とは悪意の事だと考えています、もちろん結果てきな善悪も存在するとは思いますが、まあ、それはそれですよね。 なので嘘偽りを言わないのは、善ではなく嘘偽りを言わないと言うのが在るがままの形ではないでしょうか。 何故なら、悪意をもって、それを行えば、周りに迷惑をかっけ結果的な悪を生み出すことも出来るからです。 さらに付け加えるなら、たとえ善意を持って行ったとしても、相手の受け取り方や、状況によって結果的な悪の発生をよく見ます。 だから、私は思う、善意を持って行う嘘も必要だと。 嘘は嘘、本当は本当が本来ののあるがままの形で、何故そうなったかと言うときに、善悪とかそれ以外のなんとかの構成物資がでてくるんじゃあないのでしょうかね。もちろんこれは、見方の一つですけどね。
お礼
あのなあ、 この世には完全なものなど存在せんのや。 善と悪についても同じや。 完全な善、完全な悪ちゅーもんは無いんや。 だからいきなり結果だけを考えるのは間違いなんや。 大事なのは結果を求めるプロセスや。 完全なる善に至ろうとする過程、即ちプロセスが大事なんや。 完全無欠なもんは存在せんとしてもそれを求めることは可能なんや。 善とは嘘偽りなく物事の有るがままを有るがままとして捉えること、これもプロセスや。 プロセスなら実現可能なんや。 しかしこの善を実践するのは簡単ではないんや。 なぜなら善を実践するには深い情けが要るからや。 また高度な善に至るには宇宙に対する深い理解、真理の探究が求められるんや。 だから言うとるんや、善を実現するには高度な文明の発達が必要やと。 善とは文明そのものなんや。この善の実現水準が文明のレベルを表すんや。 そして悪とは善の対極にある逆のプロセスちゅーことや。果てしなく偽り続けようとする心や。 えーか、 善悪ではものごと推し量れん、善悪は物事のほんの一部に過ぎんみたいなこと言うとるが、その考えは変わらんか。 わしにはここから先はもう人間性の問題としか言いようがないんや。
補足
えーか、 ここでわしが自己主張しとるように見えるか。 そう考えたら大きな間違いや。 真理の探究のためには見とーないもんも見なあかんときがあるんや。 善を知るには悪を知らんとあかんからや。 悪の何んたるかをとことん知ることによって善が判るようになるんや。 わしが宗教漬になった人間を観ようとするのもそのためや。 宗教漬になった人間が何を考え、何を語り、最後にどう振る舞うのか、しかと見届ける必要があるんや。 えーか、 悪を知るにはその悪と対面せんとあかんのや。 それも善を追求するアクティビティの一つなんや。
- 来生 自然(@k_jinen)
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No.56です。。。 >>> No.56 お礼欄 「感じた」、「感じられた」ちゅー言い回しは宗教漬になった者が使うもんやろが。 「人の道」を歩む人間はそーゆー言い方はせんのや。 「人の道」を歩む人間は、自分の眼で見、自分の耳で聞いたことしか語らんのや。 <<< シマウマが鳴くところを「見る」ことはできますが、 >>> 例えばサバンナに住むシマウマは集団で祈祷するんや。 <<< は「見る・知る」ことはできません。 >>> 例えばサバンナに住むシマウマは集団で祈祷するように見える(思われる) <<< は、可能です。 http://okwave.jp/qa/q5578099.html 荘子抄:「魚の楽しみ」 での、荘子と恵子の問答を成立させているのは「断定している」ことにあります。すなわち「見えていないこと・聞こえていないこと・分かっていないこと」を「さも、見えている・聞こえている・分かっている」かのごとくに「断定」して述べ立てることが論争の原因になっています。 そういったことがシマウマの祈祷概念と相同だと思われたからこそ「良回答の20ポイント」をいただけたのだと思っていました。。。今からでもできることなら、「良回答」から外していただきたいところです。 宗教問題の根本が「そういった断定」にあると見抜かれたところは「すごい」と思っているのですが、御自身が宗教漬けに直結する「断定」を推奨しておられるのであれば、言うべき言葉も失ってしまいます。 。。。残念です。。。
お礼
その論文の中で何か結論が出てくるちゅーんやったら大いにその論文を展開してもらいたいと思う。 もちろんその結論にターゲットを絞ってちゅーことで。 浄土真宗では神や仏、天国、地獄についてどう捉えておるんかちゅーことについて結論を示してくれると期待する訳や。 「第十節 帰結」では何が語られるんかな。 ちゃんと結論示してくれるな。 早くその答えが知りたいな。
補足
baka-hageさんは浄土真宗のお坊さんちゅーことは分かったが、k_jinenさんは何処の宗派かな。 まさか創価学会ちゅーことは無いと思うが。
- maimaisus
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いや~なんかホント凄いですね。 これ、質問でなくて、自己主張したいだけなんですね。 では一つだけお尋ねしたい、私の善悪の捉え方が何がどう間違っているのかを。
お礼
あのなあ、だから言うとるやろが。 善悪など重要ではない、どーでもえー事ちゅーその考え方に問題が有るちゅーとるんや。 つまり思想も理念もない、たたのミーハーやちゅうことや。 ”では一つだけお尋ねしたい、私の善悪の捉え方が何がどう間違っているのかを。”と訊くのはやな、善悪について答えをもっとる人間が訊くことやろが。 何の答えももっとらんミーハーがそんなこと訊いてどうする。 全く呆れ果てるやつや。
補足
えーか、 これは自己主張とは言わんのや。正しいことを述べていると言わなあかん。
- 馬鹿 禿(@baka-hage)
- ベストアンサー率67% (99/146)
いやー、ありがとうございます。 >>あくまで浄土真宗では神や仏、天国、地獄についてどう捉えておるんかちゅーことについて語ってもらいたいんや。 こちらのほうは色々細かいことを言えばきりがないのですが、「佛とはいかなるものか」「浄土とはいかなるものか」というようなことについては仏教全般においては「佛身佛土論」と呼ばれるものになります。実は私これからそれについての教科書に出来るような論文を書く予定だったのですよ。とりあえず、レジュメをまず提出させていただきます。 阿弥陀佛佛身佛土論の展開(仮) はじめに 第一章 通仏教的な佛身論 第一節 序論 第二節 インドにおける仏陀観 第三節 中国日本における仏陀観 第四節 佛身論発達の段階 第五節 佛身の種類および意義 第二章 阿弥陀佛を中心とした佛身論 第一節 序論 第二節 龍樹菩薩の阿弥陀佛佛身論観 第三節 天親菩薩・曇鸞大師の阿弥陀佛佛身論観 第四節 七高僧以外の中国における佛身論観 第五節 道綽禅師・善導大師の佛身論観 第六節 恵心僧都源信・法然上人の阿弥陀佛佛身論観 第七節 親鸞聖人の阿弥陀佛佛身論観 第八節 浄土真宗における佛身論観の展開 第九節 帰結 第三章 通仏教的な佛土論 第一節 序論 第二節 仏教における輪廻思想の展開 第三節 佛土の意義 第四節 原始浄土思想の展開 第五節 諸仏浄土の種類 第四章 極楽浄土を中心とした佛土論 第一節 序論 第二節 浄土三部経に説かれる処の極楽浄土 第三節 竜樹菩薩の極楽浄土観 第四節 天親菩薩・曇鸞大師の極楽浄土観 第五節 七高僧以外の極楽浄土観 第六節 道綽禅師・善導大師の極楽浄土観 第七節 恵心僧都源信・法然上人の極楽浄土観 第八節 親鸞聖人の極楽浄土観 第九節 浄土真宗の烈祖たちの極楽浄土観 第十節 帰結 総結 おわりにー宗教心理学の立場からの考察ー 題名も変わったり、章の内容も変わるとは思います。資料等々を集めるのに苦労をしておりまして、書きあがるのに時間はかかると思いますがお付き合いいただけるなんて本当にありがたいです。よろしくお願いします。 急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛
お礼
その論文の中で何か結論が出てくるちゅーんやったら大いにその論文を展開してもらいたいと思う。 もちろんその結論にターゲットを絞ってちゅーことで。 浄土真宗では神や仏、天国、地獄についてどう捉えておるんかちゅーことについて結論を示してくれると期待する訳や。 「第十節 帰結」では何が語られるんかな。 ちゃんと結論示してくれるな。 早くその答えが知りたいな。
- 来生 自然(@k_jinen)
- ベストアンサー率30% (80/261)
No.40 & No.43です >>> No.41お礼欄からの引用 人間以外の動物も宗教やっとるで。 例えばサバンナに住むシマウマは集団で祈祷するんや。 それから腹を空かしたライオンが久しぶりに餌にありついたときは涙を流しながらその餌を食うんや。 もしかすると彼らの方が人間より立派な宗教家かも知れんのや。 <<< これは、 http://okwave.jp/qa/q5578099.html にて質問者様が「感じられた」ことであって、(質問者様が)直接「見たり・聞いたりした(即ち直接経験した)ことではない」ということは、強調すべきだと思います。 特に「動物も宗教やっとるで」とか「シマウマは集団で祈祷するんや」とかいった「断定句」は、「人の道」から外れるのではないでしょうか?
お礼
えーか、よー聞け。 「感じた」、「感じられた」ちゅー言い回しは宗教漬になった者が使うもんやろが。 「人の道」を歩む人間はそーゆー言い方はせんのや。 「人の道」を歩む人間は、自分の眼で見、自分の耳で聞いたことしか語らんのや。
お礼
わしと同じ感性の人間など五万に一人おるかどうかやと思うが。 >(嘘も方便って言うし...。) その嘘も方便ちゅーのが問題なんや。 えーか、よー聞け。 嘘も方便ちゅーのは中国や日本などアジアの国々で培われた発想で方便の一つなんや。 しかし「人の道」では嘘偽りは方便ではのーて全くの悪なんや。 やっぱあんたはわしと同じ感性ではない。 >禅宗とは宗教ではないのでしょうか? 禅宗はあかの宗教や。 やっぱあんたはわしと同じ感性ではない。