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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:これって正しい?)

0=1ならば1=2である。正しい?

このQ&Aのポイント
  • 再度質問させて頂きます。ある事柄があります。0=1ならば1=2である。
  • これって(a=bならばa+c=b+cである。)を元に両辺に同数を足しても式は成り立つから、と証明できますよね。
  • しかし、この事柄は正しいのでしょうか、正しくないのでしょうか。証明できるということと正しいということは違うのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.1

最後のところだけ: 「『正しい』ということ」というのは, 「何が」「『正しい』ということ」なんでしょうか? 「証明」というのは, 「『何か』を前提にして『適切』な操作を (有限回) 繰り返して『何か』を導く」という手続きです. そして, 「証明が正しい」ということと「証明されたものが正しい」ということとは区別しなければなりません. 挙げられている「0=1ならば1=2である。」は, 「証明は正しいけど結果として得られる『1=2』は正しくない」という例になっています.

rch66426
質問者

お礼

そうですね。 ありがとうございました

その他の回答 (3)

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.4

横槍ですが… No.3 の選択で、(2)を選んで戦う姿勢を持てない人が、 何かをちゃんと理解することなんてありえないんですよ。 最初の先生のQが言葉不足で不備だったことを炙り出すか、 自分の答えが誤答だったことを確認するか。 とことんまでやって、納得しないと。 その際、自分の誤りに行き着くことは、 決して恥ずかしいことではありません。 疑問を飲み込んだまま、おとなしく引き下がることは、 教師にはやり易いでしょうが、貴方自身のためにならない。

rch66426
質問者

お礼

alice_44さんにはたびたびご回答いただきました ご迷惑をお掛けしましたがありがとうございました。

  • boiseweb
  • ベストアンサー率52% (57/109)
回答No.3

質問そのものへの(形式論理学の見地からの)回答は前回質問への回答で尽きていると思うので,あえて,全く別の観点からコメントします. 指導者の立場で,(質問者さんを含む)学習者に対して 「Qある事柄は正しくその逆の事柄も正しいという。このような事例を挙げよ。」 という問題を提示するとき,指導者はどのような内容を教えることを意図していて,また,どのような解答を想定しているでしょうか? ここからは私の想像ですが,おそらく,出題の意図は, 「xについての条件P(x),Q(x)に対して,『P(x)ならばQ(x)』が正しくても,その逆『Q(x)ならばP(x)』が正しいとは限らない,逆もまた正しいのはむしろ特殊な場合だ」 ということを学習者に認識させるきっかけを与えることだったのでしょう. そう考えると,この意図に適う「教育上の効果の高い」解答としては,たとえば,(xは実数を表すとして) (1) 「x>3 ならば x^3>27」 (2) 「x>3 ならば x^2>9」 のような解答が考えられます.もちろん,(2)は問題への答としては誤りですが,それでも,指導者にとっては「逆は必ずしも真でない」ことを学習者に認識させる題材として有用であるという意味で,「教育上の効果の高い」誤答といえるわけです. ところで,この問題への解答として,学習者が「0=1ならば1=2である」という,意図しない形式の(0=1,1=2のどちらも「条件」の形でなく,偽であることが確定している)解答を提示したら,指導者はどう対処すべきでしょうか. 指導者の心境としては,その解答自体が(形式論理の立場で)正しいか誤りかという判断とは別に,その解答では「意図した教育効果を発揮するための題材には適さない」という意味で困惑してしまうわけです. 私が指導者の立場なら,たぶん,この解答自体の正誤の判断を告げることを避けつつ,なんとか上述の(1)(2)のような解答を出してもらえるように,やんわりと再考を促すと思います. 「はじかれた」理由が,このような先生の思慮に基づく判断だったとすれば,それは必ずしも「解答が(純粋に理論的な意味で)誤りだった」ことを意味しないわけです. 前置きが長くなりましたが,ここからが本題です. 「0=1ならば1=2である」という解答を「はじかれた」という局面で,学習者である質問者さんが先生に対してとるべき態度として,次のふたつの可能性を考えます. (1) 「0=1ならば1=2である」という解答は(自分が正しいと思うかどうかとは別の判断として)おとなしく取り下げて,別の解答を考えてあらためて先生に提示する. (2) 「0=1ならば1=2である」は正答だと確信したうえで,「これは正答のはずです,なぜ正答として採択してくれないのですか!」と,あくまで突っ張る. さて,質問者さんはどちらを選びますか? (1)を選ぶのなら,先生に文句を言うことはあきらめるわけで,当初の解答「0=1ならば1=2である」が真の正答かどうかという疑問は,先生とのやりとりとは無関係に,ただ自分自身の納得のためだけに努力して解消すればよい(そのためにいくら時間がかかってもかまわない)ということになります. しかし,(2)を選ぶのなら,「小学生並みの頭の私には理解できません」なんて言っているようではダメです.誰かが「あなたの答は正しいですよ」と言ってくれるのを期待するのではなく,自力で完璧に理解して理論武装したうえで,自分自身で先生を論破できなければなりません. それができないなら,おとなしく(1)を選べばよいのであって,それは恥ずかしいことではありません.

rch66426
質問者

お礼

ありがとうございます。 教育上の、問題もかかわってくるということですね また今回の内容については素直に受け入れることにします ご迷惑をお掛けしました。

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.2

「0=1ならば1=2である。」も、その逆 「1=2ならば0=1である。」も、 どちらも正しいです。 先生が何か勘違いしたか、 貴方が先生の言うことを誤解したかの どちらかでしょう。

rch66426
質問者

お礼

ありがとうございます

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