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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本の外国語の学び方について)

日本の外国語学習について

このQ&Aのポイント
  • 日本の外国語学習の課題と解決策についてまとめました。
  • 外国語学習において日本の教育方針の問題点と改善案について考察しました。
  • 外国語学習の専門性を高めるために、大学のカリキュラム改革が必要であることを提案しました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • love_pet2
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回答No.4

>英語は中学校からみんなが学ぶので「英語学」になってしまいます。 いや、英語学というには学問的な視点において不備があります。↓の質問によると、学校で習う英語はクラシカルメソッドになります。 http://okwave.jp/qa/q3364286.html >しかしながら外国語大学や外国語学部で教える外国語はそれでは不十分だと思います。それらの学部では語学のエキスパートを養成するのですからしゃべれないとダメです。 そうですね、日常会話が目的でないにしても、喋れなければ外国語でディベートもできませんしね。 >この教育方針はなんとかならないものですか? やっぱり、中学の英語から見直さないとダメでしょう。大昔は英語は西洋の文明を吸収する為に学び、一部の秀才だけが英語を勉強していましたし、また英語を始める前に漢文やオランダ語の素養があったので外国語の解読には慣れていたでしょうから、英語も文法から入れば短期間で難しい文献も読めるようになったはずです。しかし、現状はどうでしょうか。例えば次の文です。 Oh, pity! If I had a bit more money, I could buy this game. とある少年が玩具屋に行き、そこで欲しいゲームを見つけます。しかし、小遣いが足りません。 そこで、タイトルにあるような英文を呟きます。内容的にはごく日常的で何ら変哲もない文です。 しかし、このパターンの英文は中学では習いません。それまでに、人称代名詞、指示代名詞、動詞、助動詞、副詞、不加算名詞、形容詞、比較級、条件文、仮定法と 覚えなければなりません。そこでふと思ったんですが、中学生には文の内容自体は幼児レベルなのに、それらの文法項目の概念を一つ一つ理解するのは意外と難儀なものです。 確かに、いくら内容的には簡単でも いきなり最初に覚えるには厳しいですが、それでも、この程度の表現は3年もあれば誰でも十分に覚えられるはずです。つまり、文法は覚えてしまえば便利ですが、文法自体を覚えるのに手間取り過ぎて 却って遠回りをしてしまっているんですね。しかも、多くの落伍者を生み、それでも、成績のよい生徒でさえ ほとんどはロクに英語も話せません。 >外大の、たとえばポルトガル語科を出れば日常会話くらいはすらすらできるように教育すべきではないでしょうか?  ちょっと質問の趣旨とズレますが、英語教育ももっと柔軟にすべきでしょうね。高校では英語の苦手な生徒は英語のカリキュラムを大幅にカットすることができる一方、意欲的な生徒には ポルトガル語のような英語以外の外国語を学ぶ機会を提供してもいいんじゃないでしょうか?

nishikasai
質問者

お礼

>やっぱり、中学の英語から見直さないとダメでしょう。 中学の英語から見直すのは良いことだと思いますが、現実問題として先生が日本人なんですよ。そして英語の先生は発音がめちゃ悪いです。まるでなってないです。あのような発音の先生から習うのでは実践英会話は無理だと思います。それで私は「せめて外大に」実践会話をカリキュラムに入れて外大を出れば日常会話くらいはできるようにすべきだと提唱しております。ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#118466
noname#118466
回答No.3

外国語を知っていることは話すことが外国の常識だとすれば、日本では読み、書き、そして話すこと、つまり話すことは3番目です。 なぜそうなったのか。 それは第一に地理的条件、そして 我が国における外国語のニーズが知識を得ることが優先されたからでしょう。知識を得るためには読めることが重要視されます。 外国語大学や外国語学部で外国語を専攻して社会に出ても、専攻を活かして仕事の出来る人は一握りの人だけです。 その他大勢は語学を専攻していない人と共に普通のサラリーマンになります。 つまり、日本には外国語を話す環境が無いのです。日常生活でどれだけの外国人と接して暮らしますか。 話すことが目的なら大学で外国語を専攻する必要はないでしよう。 最近いくつかの大企業が英語を社内用語にする運動を始めたので真似をする企業が出てくると思われます。彼らは英語を使わずに仕事を十分に行なっているので、努力して英語をコミュニケーションのツールとして身につけると思われます。 外国語を専攻して就職した人はコミュニケーションのツールは持っているものの伝えるべき内容はゼロです。 このように外国語は話せてもそれ自体は目的ではありません。 多くの企業は昔と違い社員に語学研修の機会をあたえています。自社ニーズを満足させられる社員を自力で養成しています。従って外国語専攻生のニーズは激減し、外国語+他の専攻が重要視されています。つまり外国語が出来るのは当たり前の時代になってきています。外国語を専攻して話せないのは、教育方法が悪い面も否定できませんが、それでも昔から話せる人は話せるので語学を活かす道を見つけてきたのでしょう。 視聴覚機器・設備を完備した大学、家庭ではインターネットを通じて24時間外国と直接つながった生活が送れる現代の学生は幸せです。今我々は世界中の新聞がネットで読めて、世界中のラジオやテレビにアクセス出来る世界に住んでいます。外国語の教授法が改善され、苦労せず話せるようになれば鬼に金棒ですね。 それでも最後は本人のやる気次第でしょう。 馬を川辺に連れて行っても水を飲むのは馬自身です。

nishikasai
質問者

お礼

やあMartinbuhoさん、よくこのコーナーでお会いしますね。 ご回答ありがとうございました。 私は英語を日本の学校で習いましたので多くの日本人がそうであるように受験英語です。大学の試験に合格するための英語ですね。おかげでアメリカに旅行した時レストランで注文できなくて妻に「大学で英語習ったんじゃないの?」とお叱りを受けました。 幸い、ポルトガル語のほうは現地の生活の中で身に付けたので話すのは結構すらすら出てきます。ときどき外大のポルトガル語科の生徒にポルトガル語を聞かれるのですが、文法は彼らのほうが私より詳しいです。でも話すのが遅いです。これではせっかくの知識が生かされてないと思います。

  • bayu-bayu
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回答No.2

こんにちは。 国際協力業として海外で仕事をしている者です。 不要な情報ですが、英語等5カ国語はネイティブレベルで、他に日常会話レベルで3カ国語が話せます。英語はTOEICで960点です。 外大出身でもなく、語学目的の留学もしたことがないので、ほとんど趣味で学んだ言語です。 日本の英語教育は、質問者様の指摘されるように、大きな問題を抱えています。 一番大きな問題は、英語を会話のツールとしてではなく、文法や語彙ばかりに傾倒した言語学として学んでいることです。 実践する機会が極端に少ないため、実際にどういう場面で使うかという「言語」と「場面」が一致しないために、英語は勉強しても話せない人が多いのです。 質問の中でご指摘の内容で、1つ同意できない箇所があります。 それは、「外国語大学で語学のエキスパートを要請する」という下りです。 確かに、外国語大学ではその言語についての専門家を養成することを目的とした教育を行っていますが、それは「学問としての言語学」が中心であり、「ネイティブスピーカー」になるための教育ではないということです。 難解な学術書が読めたり、英語で論文が書けたり、或いは今後の外国語教育のために文法や語彙、言語の成り立ちを学ぶことが、外国語大学での教育目的です。 もし「ネイティブのように話せる人間を養成する」ことが目的であるのであれば、それは英会話学校などに通えばいいのであって、外国語大学で研究対象として行うものではありません(多くの大学では会話中心の授業もありますが)。 まず、外国語大学での研究対象が「言語」であることに注目しなければなりません。 経済学部や法学部、工学部や理学部では、それぞれ研究を対象とする「ネタ」があります。場合によっては、研究の一環として「外国語」の能力を問われることもあります。 しかし、外大の研究対象は「語学」そのものであり、それを実践として「使う機会」がほとんどありません。 言語だけを習得して、何をテーマに議論をするのか、どういう分野の学術書を読むのか、という、言語能力の先にある「目的」がないのです。 ですから、こういう言語研究している方たちが、ネイティブのような会話能力を身につけるのは厳しいと言えます(もちろん全員ではありませんが)。 例えば、外国語大学で英語を研究する学生が、アメリカの大学に留学したら、研究する分野は「英語」ですよね。アメリカ人から見れば、「国語」の勉強に来ている学生ということになります。 日本に留学している外国人はどうでしょうか。ペラペラと日本語を流暢に操る留学生の多くは、「国語」の勉強ではなく、「工学」「経済」「農業」などの、何かしらのテーマを求めて学びに来ている人たちです。 こういう環境にいる人たちは、自分の研究テーマを掘り深めていく上で必然的に会話能力が求められ、能力を伸ばしていくのです。 あくまでも、研究テーマという土台があって、会話は単なるツールでしかないのです。 一方、日本の国語を学ぶ人たちの中では、日常会話よりも「言語としての日本語」を掘り深めていくことが主題となります。会話としての言語ではなく、研究対象としての言語が興味関心の的となるわけです。 つまり、外大での外国語教育は「アメリカ人にとっての英語」「日本人にとっての国語」と同じものなのです。 日本人でも知らないマニアックな日本語があるように、深い部分の言語学を学ぶのですから、決して会話能力の成長とは一致しないのは、至極必然なことなのです。 日本人で「喋りに自信がある人」が、決して「日本国語のエキスパート」ではないのと同じことです。 もし、質問者様のご指摘のように、外国語の会話能力を高めるのであれば、それなりの会話に特化した教育プログラムが必要です。外国語は勉強するだけでは会話できません。 私はドイツ語やマレー語で現地人と討論をすることができますが、大阪外大出身の友人は、討論することはできません。しかし、私の知らないようなディープな現地語の言い回しや文法を知っています。しかし、そんな言葉は現地人の誰も使っていないのですが。 結局、外大の外国語教育は、マニアックな言葉の研究を目的とした機関ですから、例えばポルトガル語科の教育方針が合わないということであれば、ポルトガルの社会や地域を研究をしている大学で、実地研究(フィールドワーク)をしながら、実践を重ねていく方が近道だと思いますし、語学の学び方としても理にかなっていると思います。 回答が複雑になりましたが、私見を含めて回答申し上げます。 それでは。

nishikasai
質問者

お礼

詳しいご回答をありがとうございました。 >英語等5カ国語はネイティブレベルで、他に日常会話レベルで3カ国語が話せます。英語はTOEICで960点です。 それはまた凄いですね。私はポルトガル語の通訳をしておりますのでそこそこ語学はできるほうですが、世の中は広いです。つい最近もすごい高校生をこのサイトで知りました。 >それは「学問としての言語学」が中心であり、「ネイティブスピーカー」になるための教育ではないということです。 この点は少し見解が異なります。私の考えでは外大生は学問としての言語学を学ぶのは結構だと思いますが、現地の人と意思の疎通も満足にできないというのではダメだと思っています。さすがに東京外大クラスになるとそこまで出来ない生徒はおりませんが、外大卒でろくに話せない卒業生は多いです。しかしながら文法の話になるとしゃべれない学生でも実に詳しくて驚かされます。 >外大での外国語教育は「アメリカ人にとっての英語」「日本人にとっての国語」と同じものなのです。 その通りだと思いますが、私はもっと初歩的な疑問を投げかけています。アメリカ人の大学生より英文法を知っている生徒がなぜレストランで注文さえできないのかということなんです。これではいけません。 >日本人で「喋りに自信がある人」が、決して「日本国語のエキスパート」ではないのと同じことです。 わかりますが、レストランで注文できない人はシェークスピアを解説できたって語学のエキスパートとは言えないです。笑われます。 >日本人でも知らないマニアックな日本語があるように、深い部分の言語学を学ぶのですから、決して会話能力の成長とは一致しないのは、至極必然なことなのです。 いえいえ、会話能力は不可欠だと思います。アナウンサーレベルを要求しているのではありませんが、普通のレベルは必要です。 >もし、質問者様のご指摘のように、外国語の会話能力を高めるのであれば、それなりの会話に特化した教育プログラムが必要です。外国語は勉強するだけでは会話できません。 そう思います。会話をカリキュラムに入れるべきだと思います。

  • 21s-a
  • ベストアンサー率40% (160/398)
回答No.1

個人的には同感です。 日本の英語学では不十分ですが、でもだからといって留学経験者全員が活きた英語を話せるわけではないですよね。 私の知り合いにhisとhe'sの区別がつかない留学生がいます。 問題は山積みです。。でも、だれもそれらを解決しようとはしません。大抵の大学生が現状の教育で満足しているからです。 これらの不完全性教育方針を変えるためには、それに気づいている人間がなんらかのアクションを起こさないといけません。私を含めて。。 思ってるだけでは何も変わらないんですよね。。残念ですけど。

nishikasai
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 私は一時期、日本の英語教育に非常に不満を持っていましたが、最近ではこれで仕方ないんじゃないかと考えるようになりました。ただ、外大生のような語学のエキスパートが日常会話程度の会話もできないのはいくらなんでもおかしいと思っております。

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