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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宗教の本質 十ヶ条)

宗教の本質 十ヶ条

ma3zuの回答

  • ma3zu
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回答No.2

な~んか統一感のない十か条ですね。。。 「宗教の本質十か条」っていうからこの十個で宗教の本質を表してる と期待して拝見したのですが。。。 回答者の十か条をもって回答というのもどうなんでしょう 十個限定?増減不可ですか・・・ それぞれに対しての自分なりのジュッカジョウを。。。 (1)宗教の発生   人類といえるものがどの程度の知能を持っていた状態なのか不確定ですが   人間社会を形成する上で発生してきたものと思っています   もとは家族、血族のみの集団である時は宗教は不要で   年長者が統治するものであった   血族以外のものを統治するための共通の考えが必要となり   共通の統治者(神といえるのかな)を置いたことが始まり      >ここですでに質問文の第7条にも相当      血族以外をまとめる為の共通概念を作ったことにより   数は最高でも血族の2倍はあったはず >質問文2条 (2)宗教の数   血族の長の教え自体を宗教とするならばその数があり   教えは伝わることにより改変されることから数とするならば   宗教は人の数と同等といえる (3)宗教の構成   初期(血族間の教え)の頃には神は必要なく   統治者、生、死の3つからなっている(た)と考えられる   言い換えると、自己、有、無の3つである   統治者の教えに従うことで効率的な生が得られ >質問文5、8条   反すれば苦が与えられ最悪、死につながってしまう   この生死に対することで統治者の力は大きく信頼を得ることになり   統治者の上を行くことができればそれが新たな統治者となる   つまりは死後の世界はこの頃には必要ないことであったと考えられる   大きな力を得た統治者は自らを神とし生死を越えた存在として伝えるようになった (4)宗教の宇宙観   生死を司るためには生活を充実させる必要があった、   食料生産の安定と予測である。小さなコミュニティーであれば   年長者の経験からの教えでまかなえたが、大きなものになると   予測というものが必要になってくる 季節の概念、天候予測   それらの中より占星術等が形成された。   宇宙が無限か有限かは必要なことではない   今いるところから未来が予測できれば十分であり   それ以外(月から見た地球や火星からみた月など)は不要   未来が予測できるようならば取り入れるだろうが。。。   (火星移住が可能になった場合向こうでは取り入れられるだろう)>9条 (5)悩み、苦しみからの逃避手段   元が効率のより生き方から発生した故に   生きるための道しるべたるものとなった   さらに未来予測などを行うことで希望の寄り所となった (6)儀式としての宗教   死に際を整えるのは統治者が力を得るためのもの   死に拘るのも自身の教えの正しさの象徴たるものが死であるため   その死というものを多くの人々に認識させ、自らの力の誇示のため   大々的な儀式を行う (7)統治の道具   政治より先に宗教ができていたはず>1条   政治を目指すのではなく政治という宗派を飲み込みたいのだ   より大きな力を得るためには大きな相手を飲み込むに限る   政治が宗教を擁護するのは政治を飲み込ませない為の対策である (8)利益追求   発生のときより求めているのは安定である   それは消費と生産がトントンではなく   生産が消費を若干上回っていることが望ましい   余剰分は統治者が得ることで   人々はトントンで統治者は利益をえる (9)宗教の未来   政治というもの自体が宗教の派生であるため   宗教が無くなるということはなく、薄れていくのは自覚で   根本的なところは支配されているのである。   大衆に気づかれない程度の支配力の政治には   個人の悩みを解決できる力はないため   宗教の自由を謡い、そこはほかの宗教に任せている   故に政治ともども宗教はなくなることは無い (10)宗教の次   哲学も1条において個人の宗教といえるものであり   次ではなく延長上のものである   影響力を示せるのは個人に限られるため   支配や統治とまでは行かないだろう   もし一人の哲学が広まればそれは新たな宗派ができたに過ぎない (4)くらいで力がなくなりましたが 10条そろえてみましたよ

g3452sgp
質問者

お礼

>「宗教の本質十か条」っていうからこの十個で宗教の本質を表してる >と期待して拝見したのですが。。。 宗教の本質といっても宗教が何か深い意味、哲学をもつなどと考えるのは間違いのもとです。 初めから宗教に深いものなど有りはしない、むしろそのように考えるのが宗教の本質をつかむことになるのです。 多くの人はまずここで錯覚し、ここでつまずくのです。 レーニンは言っています、宗教はアヘンであると。レーニンのこの一言の方がより本質をついています。 >(1)宗教の発生 > ・・・・ >  人間社会を形成する上で発生してきたものと思っています ここでは、人類の歴史のいつ頃から発生したのか、どのような場所で発生したのかについて述べるべきでしょう。 つまり宗教は人類の誕生とほぼ同時に、そして地球上のどの場所でも例外なく発生したという事実を述べるべきです。 つまり宗教は人類の誕生と共に自然発生したのです。 >(2)宗教の数 >・・・ > 教えは伝わることにより改変されることから・・・・ > 宗教は人の数と同等といえる どの宗教も常に改変され分化を繰り返す。宗教が無数にあるのはこのためです。 真の哲学や理念を含まないものはこのように不定となる運命にあるのです。 このように宗教が無数に増殖したのは、不定なる宗教の本質から来るのです。 >(3)宗教の構成 >  初期(血族間の教え)の頃には神は必要なく >  統治者、生、死の3つからなっている(た)と考えられる >  言い換えると、自己、有、無の3つである >  統治者の教えに従うことで効率的な生が得られ >質問文5、8条 >  反すれば苦が与えられ最悪、死につながってしまう >  この生死に対することで統治者の力は大きく信頼を得ることになり >  統治者の上を行くことができればそれが新たな統治者となる >  つまりは死後の世界はこの頃には必要ないことであったと考えられる >  大きな力を得た統治者は自らを神とし生死を越えた存在として伝えるようになった 人間は生死をさ迷うほどの苦難の中では宗教などしません。 このような状態にあっては宗教などどうでもよいのです。 宗教が成立するのは人間にある程度のゆとりがあるときであり、このとき人間は自分の死について考えを巡らすうちに神や天国、地獄について考えるようになりここから宗教が生まれるのです。 いかに原始的社会においても統治者を神と見なすことは決してありません。 >(4)宗教の宇宙観 >  司るためには生活を充実させる必要があった、 >  食料生産の安定と予測である。小さなコミュニティーであれば >  年長者の経験からの教えでまかなえたが、大きなものになると >  予測というものが必要になってくる 季節の概念、天候予測 >  それらの中より占星術等が形成された。 >  宇宙が無限か有限かは必要なことではない >  今いるところから未来が予測できれば十分であり >  それ以外(月から見た地球や火星からみた月など)は不要 >  未来が予測できるようならば取り入れるだろうが。。。 >  (火星移住が可能になった場合向こうでは取り入れられるだろう)>9条 神を必要とする宗教にとって宇宙は有限でなければならない理由があるとだけ述べておきます。 これを説明するのはちとシンドイので。  

g3452sgp
質問者

補足

「宗教の本質 十ヶ条」のホームページ   http://www.geocities.jp/g3452sgp/

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