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私には人生の目的がありません
私には人生の目的がありません ただ家族のために稼ぐだけです 夢もありません 食欲も性欲もありません ただ毎日奴隷労働するだけです みなさんは目的をもって生きていられるのでしょうか? もしそうなら一体どんな目的なのでしょう? 50年近く考えての疑問です
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本質的=物質的に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。 (その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙) その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。 (助け合いとしての社会の本質において、「奴隷」ではなく貢献ではありませんか?)
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- bari_saku
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奴隷労働をも受け入れることができる、価値のある家族がいらっしゃる。 何と幸せなことでしょう。 御身、お大切に。
- cera-cera
- ベストアンサー率26% (64/243)
今、忙しすぎるんじゃないでしょうか… 仕事はいつもスピードと効率、そして成果を求められますよね。 ビジネスというのは常にハイペースで、急き立てられます。 そのスピードにまきこまれていき、生活のために辞めることはできないと思うと、どんどんネガティブな方向に気持ちが向かってしまいますよね。 そういうときは、私は意識的にスピードを落としています。 たくさんのことを考えるのをやめて、無心になって目の前のことひとつだけをします。 どうしても必要なことと、さほど必要でないことをわけます。 すべてを完璧にやらないようにします。 1時間でも余暇を取るようにします。 公園に散歩をしにいきます。 疲れていても、そうじをします。(逆に疲れがとれます) 先のことは考えないようにします。 余暇を作り出すために仕事に集中します。 それから、私が気をつけているのは、家族や友達を大切にすることです。 身近な人たちに、きちんと時間をとることです。 こういうことを意識していると、どれだけ忙しくても、毎日ちゃんと幸せとか喜びを感じられますよ。 意識して仕事や不安から気持ちを離し、まわりの景色を眺めてみるとと、ストレスやプレッシャーも減ります。 「人生の目的」などという壮大なものは私もまったくわからないですが、日常的にきれいなものを見て(そういう空間を作って)、生活を自分で管理して、人とつながることができていれば、人生はそれなりに幸せで満足感のあるものになると思います。 家族との時間、大事になさっていますか? 少し、そのための時間をとる。家族にも、協力してもらう。 家族とつながっていると感じられるだけで、けっこう違うんじゃないかと思います。 若輩者の意見ですみません…。
ご同輩よ。。 >みなさんは目的をもって生きていられるのでしょうか? こんなこと考えて生きられるうちは まだ余裕があるっちゅうことだ。 まだ幸せの範囲にいると考えよ。 その幸せにしがみつけ。以上。
まず人間には目的は有りません 夢は自分で探して下さい 奴隷労働というのは物事の捉え方次第です 国単位でみれはあなたは理想的な労働者です
- toteccorp
- ベストアンサー率18% (752/4134)
人生は貴方しだいです。 貴方は自由です。 家族のために稼ぐのも、夢を持たないのも貴方の自由です。 私は老後の幸せを願っています。 今も自由ですがもっと自由になりたい。 少しでも早く借金を返し、自由を大きくしたい。 好きなときに好きなことをしたい。 旅行もしたい。 人助けもしたい。
- nasu2355
- ベストアンサー率16% (134/835)
近所の遊歩道を歩いていたら、見知らぬ小学生の男の子が「おはようございます~!」って 声をかけてくれました。 知らない道を散歩していたら、知らないご年配の女性の方が道を教えてくださいました。 駅で小銭入れを落としたら、知らない人が拾って追いかけてきてくれました。 ・・・こんな小さな出来事に感動して生きてます。 自分にとって人生とは、家族の幸せと一期一会かな・・・。
- neko_111
- ベストアンサー率50% (12/24)
つまり、趣味を持っていらっしゃらないのですね^^; 趣味があれば、自然にそれが目標や、生きる目的になったりするものです。実際、私もそうです。趣味が仕事になっていて、明確で大きな目標があり、それを達成するために日々自分の課題をクリアしていく毎日です。内容が特殊なので、ちょっとここには書けないのですが^^; 私の父は、もうすぐ定年ですが、私が生まれる前から、産まれてからも、ずっと自分の趣味に没頭してきました。私と違って、仕事とははっきり区別しています。が、忙しい仕事の合間をぬって、少しでも時間が出来れば、寝る間も惜しんで趣味に没頭、休んだりゴロゴロすることは滅多になく、よく体力が続くなぁ、と感心してしまいます。それだけ、楽しんでいるんだと思いますよ! 現在、退職を目前に控え、趣味の世界で第二の人生を歩もうとアレコレ計画中のようです。 家族のために稼ぐことを人生の目的、と考えていらっしゃらないのは、少し残念に思います。 自分以外の人間を養っていくって、とても大変で立派なことなのに!! お疲れなのですね^^ ただの疑問なのでしょうか、それとも、目的があればいいのに、と思われての御質問でしょうか? もし後者なのでしたら、まず、生きる目的を見つけることを目的にしてみてはいかがですか?目的があるって、なかなか楽しいものですよ^^
- hsst5nnm
- ベストアンサー率9% (7/74)
現状に不満足なら改善の努力なしに進歩はありません。出来ますか?それに幸せを感じないとしたら貴方は家出するなり離婚するなりして一人で生きれば良いのです。 でも貴方が奴隷労働と思っている働きのお陰で家族が生きている。それ以上のしあわせがあるのかなー? 貴方の迷いは幸せすぎる甘えから出ているのです。 日々是好日!! 貴文を読んだ私の70年以上を生きてきた実感です。
- dondoko4
- ベストアンサー率12% (1161/9671)
ほどんどの人がそんなもの。 家族がいれば、扶養義務がある。奴隷ではない。それが苦痛なら離婚すればよい。 仕事以外に趣味とかスポーツなどがないのでは。
- aran62
- ベストアンサー率16% (485/2911)
平穏に飯を食ってくそをして寝るが出来るように心がける。
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