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人間にも劣等種は存在すると言ってはいけないですか?
- 人間にも劣等種は存在すると言ってはいけないですか?劣っていて醜い人間は存在しませんか?
- 大学で人種差別について議論をする講義がありました。間違った意見を言った障害者と一般生徒への先生の反応が違った。
- 私は美しい人間と醜い人間の存在に疑問を持っています。偏見があるのにもかかわらず、平等を求める人々は偽善者だと思います。
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質問者が選んだベストアンサー
とりあえず言えることは、 遺伝子はニッチ産業です。 生物学的立場から言えば良い遺伝子、悪い遺伝子なんてものは基本的には存在しません。 生物はより多様な可能性を残すことで、種としての多様な可能性を残そうとします。 例えば鎌状赤血球発症がある人は度々貧血発作に襲われますが、マラリアに罹患しません。 そんなのは特殊な例で、遺伝病の人を前にそんなきれいごといえないとお思いかもしれません。ですが、遺伝的な病気というのは、遺伝子そのものの影響もあれど、巡り合わせも重要なファクターなのです。昔の人は純粋な王の遺伝子だけを残そうと近親交配を重ねましたが、結果として遺伝病に苦しむことになりました。それは別に特殊な例ではなく、小さな村の閉鎖的な社会では遺伝病は珍しくなかったようです。 また遺伝子そのものが原因の遺伝病なんて言ったって、その人の遺伝子のほんの数文字が悪さをしているだけで、その人は全く別の優秀な遺伝子を持っているなんてことだって全く珍しいことではないのです。 ようは、 遺伝子のせいではないでしょう。 性格は遺伝子と環境、双方が相互作用しあって生まれてくるものです。 あなたはその人を嫌いなことに、正当な理由づけをしたいだけだと思います。
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価値ある人間か、優れている人間かは他人しか決められません。そういう自覚は自信に繋がりますが、実際に世間に通用するかどうかはやはり他人が決める事です。 ですから、その障害者の方も質問者様にそう思われたなら仕方ないと思います。 当然、質問者様がどういう人間かも他人が決める事なのですが、他人の評価に振り回されると自分が無くなってしまいますので、まず質問者様が自分をどう思うかの方が大切だと思います。 私は、質問者様を素直な方だと思いました。
- kaiyukan
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どんなお金持ち家系でも美男美女夫婦でも、障害児が生まれる可能性がある。 生まれた姿は綺麗でも、脳に障害を追ってるかもしれないしまだまだ分かりません… また、あなただって私だって明日事故にあって醜くなる可能性だってある。 だから、あなたみたいに心の中で思ったとしてもそれを声高らかには言わないのですよ もしそうなった時、恥ずかしいからね 誰も助けてくれなくなるしね 多分、わが子を産み育てれば少しは変わってくると思います…
- copyRobots
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これは私の考えですが、 人間は残念なことに、人を見下すことで相対的に自分の価値を上げようとします。 自分を磨きあげるより、人の悪い点と自分の良い点を比較するようが楽だからです。 また、自分を磨きあげる努力をしたとしても、その成果を比較する対照が必要です。 誰かと比べる = 差別 になるような気がします。 人種差別でも男女差別でもなんでも根本はそこだと思います。 なので、「人と比べない」、「自分は自分」と考えるように日々生活してますが、 なかなか難しいですね。 ちなみに質問者様だけでなく、たいていの人が忘れがちな部分ですが、 身体的な障害はいつあなたの身に起きてもおかしくありません。 交通事故だったり、病気だったり。。。 うまく言えないのですが、他人事ではないと思います。
- LOTUS18
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ここにご質問なさった内容そのままを 見とれるほど美しい他人から自分に向けて発せられた言葉として 受け入れられるのであれば、 他人に対して思うのは別にいいんじゃないかと思います。 ○○さんの使った食器は使えるけど、 JunkyWalker12さんの使ったのはちょっと躊躇する、みたいに。 実際そういう対応をされたら、どう感じるでしょうか。 見とれるほど美しい人から、「視界に入らないで欲しい」といわれたり そう思われるような態度で接してこられたら。 ただ、 >たしかにその障害を持っている人は障害により体の数箇所が奇形であり、 それにより人生の大半をいじめられ続け、随分心が荒んでいるように見受けられます。 この場合、心がすさんだのは 劣等種だから、というよりも外的要因が大きくないでしょうか。 つまり、周囲がその人の心をすさむ方向へ動くように働きかけた、ということです。 私は人間に平等に与えられているのは 一日は24時間である 人はいつか死ぬ ということだけだと思います。 それ以外は平等なんてありえないのでは。 だから人の好き嫌いがあるのは当然のことだし 差別的な気持ちがあるのも当然のことだと思います。 生きている条件が違うし、持っているものが違いますので。 平等にはならないし、差別をなくすことも不可能です。 いろんな人がいて、いろんな考えに基づいて生きているからです。 私も差別をなくそうとか偏見をなくそうとかいう意見は 賛同できません。現実的じゃないからです。 でも、されるといやなことを他人にしない というのはマナーだと思います。 そこを最低ラインとして 好きな人にはどんどん関わり そうでもない人には進んでは関わりません。 これは差別かもしれませんが お互いいやな気持ちにならないように距離をとっており 危害を加えるわけではないので、表立った差別にはなりません。 なので思うのは勝手。と思います。 態度に出すのは、自分の不利益になるので賢明ではありません。 ただ、こんなふうに、こんなふうな考え方で 年を取っていくと なんとなくいやな顔の中年、老人、になるように思います。 質問者様が嫌悪していらっしゃる 醜い容姿 になるような。 年齢を重ねると、内面が外面に出ます。 なんとなく、日々の色々な鬱憤を 自分が「勝っている」と思っている 自分の中での「弱者」に向けて発散しているような感じがします。 問題をすりかえている、というか。 そういう面はありませんか。
平等とは、ある極限のことであって、もともと無いように思います。 しかし、差別を否定する心や生き方、在り方はあるのではないでしょうか。 あなたの心にも、差別を否定する心があるように思います。 それで、十分なのではないでしょうか。 あなたが差別してしまったと認識している具体的な事例については、しばらくの間、自分が差別した事例として、自分の意識の中に留めておきましょう。 昨日した差別を、明日は乗り越えられるなら、悩んでいる今日を祝福したいと思います。 乗り越えることができなくたって、あなたが大袈裟に悩むことではないと思います。 今日このように悩んでいるあなたが、それ以上の差別をする様な人になるとは、とても思えないからです。
- Pico000
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回答になっているかどうかは分かりませんが、私の思うところを述べさせて頂きます。 「差別をなくそう」「偏見はよくない」 これらは社会通念上「正」であると思います。 何故ならば、「差別」を許してしまうと、その「差別」意識の共有者達が集まった時、非人道的で暴力的な悲劇が引き起こされることがままあるからです。 私達はそれを、質問者様の文面にもありますが、ナチス等、歴史的事実から知っています。 そのため、集団になったときの私達に内包する残虐性を私達自身は非常に恐れています。 なので、私達は「差別はよくない」という言葉をよく使用します。多様しすぎて偽善的になる程よく使用しています。 ある意味洗脳なのかもしれません。 なので、逆にこの言葉に疑問を持つ方々も出てきます。 本当の差別とは何なのか、差別意識をなくすとは本当はどういうことなのか… 差別を無くそう、と言っている人間から差別の匂いがする。 それは信じられない。だから、差別意識のある自分は、差別がない社会は有り得ない、と言う。 正しいです。 しかし、この考え方は正論ではありますが、生きていく上で「正解」ではない。 どんな人であれ、差別の意識は、日常生活に解け合っており、決してなくなりません。 ただ、それをおおっぴらにして、社会が認めてしまうと、歴史で学んだような悲劇が繰り返されます。 人間は弱いものなので、更に弱い(と感じる)者を探し、駆逐しようとする。 しかし、その「弱い者」が本当に弱く、人間の反映にとって不必要なのか私達は知るすべを持っておらず、往々にして、思い込みで悲劇を招くことがよくあります。 なので、どっちつかずになりがちなスナオナヨイコには「差別はいけません」と教え込む必要があります。 スナオナヨイコが教育によりたくさん育てられる社会ならば、これにより差別による大虐殺等は起こりにくくなります。 なので、質問者様、劣等種だと感じる、また個人的に言葉にすることは自由だと思います。 しかし、やはり社会から見ると悪の要素がありますし、もし質問者様と同じような考え方を持つ方が集まり、弱者(だと質問者が感じられる方)を駆逐しようとすると制裁されることになると思います。 そこまでいくと、スナオナヨイコの第三者からすると一種の狂集団として写ると思います。
差別っていうのはとても難しい問題です。 他の回答にあるように、体験してみないとわからない部分がある。 一番難しいのは、差別されている側の心理を差別する側が理解することは決してないということです。 ある他人についての情報を得る場合に、身体的特徴というのは目に飛び込んでくる重要な要素の一つです。音声言語や体の動きがそれに続きます。身体的特徴というのはわかりやすいので差別に繋がりやすいです。 質問者さんの近くにそんな差別される人が存在しているわけですね? その人と、この質問内容について直接話し合ってみたらどうでしょう? 奇妙なことに、差別されている人の中には、自ら差別されたがる人というのもいます。これは「健常者」からみると奇妙にみえるはずですが、「健常者」を差別しているんです。「健常者」は「障害者」にこんなふうに扱うに違いないと決め付けてしまうことがある。これは向きが逆で気づきにくいんですが差別であることに変わりないです。 日本人が手っ取り早く自分が差別される体験を味わうには、米国(本土)に旅行に行くことです。観光客しか行かない場所ではなく、地元の人がいるような場所にある程度の期間留まれば、そこでは少なくとも人種差別によって差別される体験がほぼ確実に味わえます。同時に、日本では身体的特徴によって差別されている人が如何に多いかに気づくことでしょう。 最近少しずつ改善しているように思いますが、日本は他のOECD諸国に比べて障害者を街中で見かけることが少ないです。これは、日本に障害者が少ないのではなくて、障害者が外に出づらい要因があるからと考えると納得できます。 差別というのは頭でわかろうとしても無理があると思います。 理解するには、差別される人との交流や自ら差別される体験がどうしても必要でしょう。
- dinggong
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日常の中にあるちょっとした差別を容認することは、 あなたが嫌悪すると言っている重大な差別を容認することと繋がっているんですよ。 差別の重要な共通点は、差別される側がどうしようもないこと。 どうしようもないことをどうしろというのでしょうか。 例えば現在女性であるのに、女性として差別される。女性に生まれたことをどうしろと言うのでしょうか。 例えば現在エイズであるときに、エイズとして差別される。エイズであることをどうしろと言うのでしょうか。 これに対向する論者は、大概「そんなことを言ったって不愉快なのだから仕方ない。」と言います。あなたと一緒ですね。 この「仕方ない」は何をしたって仕方ないんですか? これは人によるでしょう。 嫌っても。いじめても。迫害しても。殺しても。 仕方ないよね。汚らわしいんだもの。 それは本当に正しいんですか? というのが僕の疑問です。
- urus
- ベストアンサー率33% (22/66)
18歳女です。 いつかわかります。あなたが差別される側に回ったとき。差別される側の感気持ちを知らない人が「差別はいけない」と言うのは偽善です。 しかし、差別される側の気持ちを知った上での「差別はいけない」は本物です。 頭で考えるより、体験が一番です。 これは、私の意見になってしまって申し訳ないのですが、私が一番可哀想だと思ってしまうのはいじめでもなんでも、「差別される人間」ではなく、「差別する事がいけないことだというのがわからない人間」です。 今、差別を受けている人は、差別するのはいけないことなんだ、という事を学んでいるのです。だから、可哀想でもなんでもありません。これで一歩、優しい人間に近づけるですから。 これはたぶん聞くだけではわからないかもしれませんが、差別されたり仲間はずれにされた時のツラさというのはハンパないです。ハンパなさ過ぎて、「これは人にやっちゃいけないレベルだな」って思います。綺麗事では無く、「もう、人にこんな思いさせちゃいけない」って思うんです。 参考になれば、と思います。
お礼
あなたはまだ18才なのにとても立派な考えをお持ちですね。私の考え方も変わりましたし、私は差別される側を体験した方が良さそうです。ご回答ありがとうございます。
- 19801215
- ベストアンサー率0% (0/12)
うーん、難しい質問ですね! 確かに誰しも、苦手な人、見た目が嫌いな人、生理的に合わない人っていますよね。 ただそれは、人によって違うと思うんです。 例えば私にとっては嫌いな人でも、別の人から見ると違うかもしれない。 だから劣等種とは一概には言えないんじゃないかな。 あなたにとっては劣等種でも、違う人にはそううつっていないかもしれない。 ただ口にしなければいい話で、思うのは自由です。ただ賛同は求めないほうがいいですよ。あなたの言う一部の偽善者に叩かれてしまうから。 つまり、劣等種って思うならそれはそれでいいと思います。 それにしてもあなたは頭のいい人ですね!!私は29歳ですが、あなたの歳の時には考えたこともなかった内容でした。あ、今もですが(^_^ゞ 的外れな回答でしたらごめんなさい( ´△`)
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お礼
とても良いことを聞きました。そしたら生物に劣等種はいないんですね。なんだか考え方が変わりました、ありがとうございます。