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ハルノートは最後通牒か

事実上の最後通牒といわれるハルノートですが、 日本が拒否を表明した場合、アメリカは果たして対日宣戦布告をしたのでしょうか。 当時のアメリカ世論・議会とも戦争には消極的で、どちらかと言うとナチスドイツに眼が向いており極東の小国などどうでもよいという雰囲気だったはずです。 (だからこそリメンバーパールハバーで世論を煽る必要があった) 南方資源確保、援蒋ルート遮断のためのイギリス・オランダとの戦争は避けられなかったかもしれませんが、単純にハルノート拒否を表明するだけであればアメリカとの戦争は避けることが出来たのではないかと思うのですがどうなんでしょうか?

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

既にご存知かとは思いますが、当時の日本は、南部仏印進駐後の経済封鎖(ABCD包囲網)により既に後が無い状態にまで追い詰められていました。 このような状況でハルノートが突きつけられた訳ですが、第一次大戦後の米は孤立主義であったため、米を直接攻撃しない限り米と戦争になる事はありません。 従ってハルノート拒否後、米との戦争を回避しながら南方の英領や蘭領を攻めて援蒋ルートを遮断したり、さらに東印の油田地帯パレンバンを確保し深刻な石油不足も緩和させる事も出来たでしょう。 しかしその結果、米との対立は長期的なものとなり、その間の石油はパレンバンのみとなります。 当時のパレンバンの石油産出量は日本の消費量の約半分で、パレンバンからの石油を全て日本に運べたとしても、今までの半分の石油でやりくりして行く事となり、いずれにせよジリ貧は見えています。兵器を増産しようにも工作機機や屑鉄が入ってこない以上、生産拡大は望めません。 従って結果的に、米との対立(冷戦)を続けながらも米との国力・軍事力の格差は広がる一方となり、将来再び米と危機的対立を迎えた時に無条件で米の言いなりになるような状態に陥りかねません。 当時の軍部の考えは、米を叩くなら格差が広がらない今しかない、というものでした。 軍部のシナリオとしては、「真珠湾攻撃など太平洋の広域でヒット・アンド・アウェイを繰り返しながら米を牽制し、同時に南方の資源地帯を迅速に確保し防御態勢を固る。米が反攻態勢を整える前には、ソ連を含めてヨーロッパはナチスが制覇しているだろうので、そうなれば米も講和に応じるだろう」というもので、つまり対米開戦はドイツの勝利が大前提となった大博打ともいえるものでした。 ハルノートが最後通牒と言われる所以は、日本にとって服従し確実に自滅するか、勝つ可能性は極めて低いが大博打を打って勝負にでるか、の2つの選択肢しかなかった為で、当然米もそのつもりでハルノートを突きつけています。 今となっては、米との戦争は無謀であった、と言うのは簡単ですが、より生き残れる可能性のあった「大博打」を選択したのは正しかったとは言えないにしても間違いではなかったと思います。

その他の回答 (6)

  • snowbees
  • ベストアンサー率22% (173/760)
回答No.7

アメリカの対日戦略である「オレンジ計画」に基づいて、戦争は早晩、必至であったと。ハルノートは、その引き金では。

参考URL:
http://www.knightofround.com/hull_note/note00.htm
  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.5

アメリカ側の意図について誰も触れていないようですので、 回答します。 No.4の方の意見にあるようにアメリカ政府の思惑はイギリスと ヨーロッパにありました。 もちろんアメリカの注目をそちらに向けるよう、イギリス のチャーチルが努力したことは言うまでもありません。 しかし歴史で習ったことはあるかと思いますが、現在のアメリカ と異なり、当時のアメリカはモンロー主義が根強く、よほど のことがない限り大陸の情勢に介入しない意見が強かった のです。 アメリカのルーズベルト大統領は欧州への参戦を真剣に考えて いました。 しかしこちらからの宣戦布告は国内世論が第二次世界大戦 への参加に否定的であり、実行が難しい状況にありました。 そこで考えたのが三国同盟を結んでいた日本と戦争状態に なることで、その同盟国であるドイツ・イタリアとの戦争 に突入していくというシナリオです。 それもこちらから宣戦布告せずに、相手から手を出させる という巧妙な作戦でした。 上記の考えに基づいてみると、アメリカが日本にジワジワ と外交的圧力を加えてきた経緯がよく理解できます。 日本への石油輸出禁止、あるいはハルノートについても上記 の戦略に基づいていると考えた方が、素直に理解できるかと 思います。 仮にハルノートを受け入れても、別の手段で日本が対米開戦 をするような工作をしてくる可能性はありました。 もっとも日本がアメリカの実情を正確に把握して、相手の 手に乗らないような外交政策を徹底すれば対米開戦は回避 できたのではないかと私は考えることもあるのですが、 おそらく当時の日本政府にはそこまでの外交能力、および 開戦へと傾きつつある国内世論を抑える内政手腕を発揮する ことは、たぶん能力的に難しかったでしょう。 参考URLの意見は、けっこう参考になります。

参考URL:
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/rinen/totten/ow_text.php?A=1&B=401
  • doya
  • ベストアンサー率39% (70/177)
回答No.4

>ハルノート拒否を表明するだけであれば >アメリカとの戦争は避けることが出来た >のではないかと思うのですがどうなん >でしょうか? この部分について回答します。 英仏の対独宣戦直後に、米国は「欧州戦争中立」を宣言しました。その後は英仏への武器輸出の解禁、英国への武器の供与を行いましたが、肝心の対独参戦については、質問の通り積極的ではありませんでした。 アメリカを欧州の対独戦にひきずりだしたのは、チャーチルの謀略が一つのきっかけだと、言われています。 当時の米国は「英国第一主義」で、まず英国を助ける=ヒットラーを押さえることを、優先的に考えていたと思います。 チャーチルは、日本が南進すれば英米の植民地が脅かされ、米国が怒り日米戦争が起きる、日米戦争が起きれば、独伊と米国は自動的に敵対関係になる、と考えました。 そのため「日本が南進しても英国は反応できない」といった情報を流し、これによって日本の南仏印進駐が決まりました。 つまり当時は日米間の対立が決定的になっていたため、ハルノート拒否を表明するだけでは、日米間の溝は残ったままであり、それ以降も日米間に新たな問題が発生したと思われます。つまり、それだけで日米戦争を避けられることはありません。 従って日米戦争を避けるためには、ハルノート拒否以降が重要です。 領土問題、資源問題等がからみあった日米交渉をねばり強く続けていくとして、交渉の余地はあったのか?ということになります。日米交渉において、米国の何らかの要求を受け入れる必要が、あったかもしれません。 当時の政府が米国の要求に屈するということは、強大な政治力を持った陸軍を押さえ込むということになります。陸軍に対抗できる勢力としては、海軍しかなかったと思いますが、東条内閣の時に、海軍は結局陸軍と妥協しました。 日本国内の問題として、例えば海軍首脳が日米開戦に反対しつづけたらどうなったのか?という想像はできますが、二二六事件以上の陸海相討つ騒乱が起きる、海軍首脳が暗殺される、というような事態になったかもしれません。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

→ナチスドイツに目が向いていた・・・・ 戦中から戦後にかけて、民主主義VS独裁主義の戦いだったという、定義のために、ナチスドイツをどうにかしようと、アメリカは考えていた。。。などという論説が強いですが、実際には「親独派」で、ドイツと戦うより共産主義ロシアと戦うべきと主張していた向きもあります。 →小国日本 これは、1の方2の方のおっしゃるとおり、大国日本です。少なくとも当時において大国とは、国境を越えて、他国に影響力を行使できる国という事であり、具体的に言えば「砲艦外交」ができる海外派遣戦力がある国という事になります。日本は十分大国でした。海軍兵力では第三位でしたから。アメリカ海軍にとっての主敵が日本海軍であったことからも、大国である事がわかります。 →アメリカの対日宣戦布告 アメリカという国の、19世紀からの行動を見ると、「無理やり相手に宣戦布告させる」か「国民の目に見える形で戦争開始の理由付け」の方策を採ると思いますので、文章拒絶では、宣戦布告しないと思います。

  • esuee
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.2

>日本が拒否を表明した場合、アメリカは果たして対日宣戦布告をしたのでしょうか。 アメリカから宣戦布告をする必要はありません。すでに対日経済制裁を行っており、 日本は石油も枯渇する中、満州から引き上げるか、暴発するか二者択一状態でした。 >極東の小国 これは#1さんと同じ答えです。日本は列強の一国として軍縮会議にも参加しています。 当時は「なんで日本は米英より軍艦の建造割り当てが少ないんだ」という世論でしたが、 「おいおい、割り当て増やしてもそんな財政的余裕は無いでしょ」というつっこみを新聞あたりが 入れるべきだったのでしょうけど、「んなもん、満州経営で」と言われりゃ「そうかな」と 思ってしまう時代だったのでしょう。 >単純にハルノート拒否を表明するだけであればアメリカとの戦争は避けることが出来たのでは なので、拒否はできても更なる経済制裁でジリ貧が見えていた、ということでは。 真珠湾の記念館に行くと今も英霊と共に沈む戦艦を見やりながら、記録映画の中で 「日本もやむを得ずに起こした戦争」という言い方をしていてちょっと驚きました。

  • gooishi
  • ベストアンサー率10% (14/129)
回答No.1

現代日本の資料だけでなく、世界中の資料(英語などの)をよく読んでください。 当時の軍事力を単純比較して、日本を極東の小国、といった人が欧米にいたかどうか? 歴史的にも、日本は世界の大国の一員であり、極東の小国などと済まされるほど軽微な国家ではなかった、ようですね。 まず、現在日本の学校で教えられる世界観、から抜け出すことが、正しい世界史を理解する第一歩でしょうか?

b-yoshi
質問者

お礼

>日本は世界の大国の一員であり・・・ 当時のGNP比で日本はアメリカの1/13です。 これで大国の一員といえますか? 日本は小国か大国かということを質問しているのではありません。

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