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「激的」と「劇的」について

実際にはないのですが、「急激に」と言う意味で「激的」と言う言葉があると仮定します。 「劇的」とは言うけど「激的」を使わない例を教えていただけないでしょうか? 例えば、 「この街は劇的に廃れてしまった」 と言う文は「急激に」と言う意味で「激的」と変えることができてしまいます。 それでは劇的と使っていても「激的」に変えることはできない例文はありますでしょうか? よろしくお願いいたします。

noname#142813
noname#142813

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  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

goo辞書によると「的」というのは接尾語というものらしくて、その用法は以下のようになっています。 てき 【的】 (接尾) (1)名詞およびそれに準ずる語に付いて、形容動詞の語幹をつくる。 (ア)主に物や人を表す名詞に付いて、それそのものではないが、それに似た性質をもっていることを表す。…のよう。…ふう。 「百科事典—な知識」 「スーパーマン—な働き」 「母親—な存在」 (イ)主に抽象的な事柄を表す漢語に付いて、その状態にあることを表す。 「印象—な光景」 「積極—に行動する」 「定期—な検診」 (ウ)物事の分野・方面などを表す漢語に付いて、その観点や側面から見て、という意を表す。上(じよう)。 (2)人の名前・行為・職業などを表す語、またはその一部に付いて、それに対する軽蔑や親しみの気持ちを表す。 「泥—(=泥棒)」 「取—(=ゴク下位ノ相撲取リ)」 「正(まさ)—(=正雄・正子ナド)」 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/132589/m1u/%E7%9A%84/ ------------------------------------------- (1)名詞およびそれに準ずる語に付いて、形容動詞の語幹をつくる。 (2)人の名前・行為・職業などを表す語、またはその一部に付いて、それに対する軽蔑や親しみの気持ちを表す。 この2つの用法以外に的を使った熟語はできないということにもなるのでしょう。 また、「激」は接頭語という種類らしく、 「(形容詞の語幹の上に付いて)程度や勢いのはげしさ・強さが普通ではない意を示す。」 と辞書に解説があります。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/58524/m1u/%E6%BF%80/ 接頭語と接尾語だけを組み合わせると、どうも不自然になるようで、その意味で「激的」という表現は存在できないとお考えになるのが妥当のようです。 まさに、ご指摘になっているように「急激に」という表現にシフトなさるのが妥当でしょう。 その上で回答するとすれば、たとえば、 「急激な腹痛」「急激に冷却する」などといった表現はあっても、これを「劇的」に置き換えることは難しいかもしれませんね。   

その他の回答 (2)

noname#123390
noname#123390
回答No.2

”劇的に”と”急激に”とが意味的に異なっていることがこの質問の答えになると思います。 ”劇的に”は”ドラマチックに”という意味で、単に現象が急速に変化するだけではつかわれないのです。 >この街は劇的に廃れてしまった これはありでしょうが、「激的」という言葉がない以上、----激的に----とはいいません。 当たり前以前のことです。 >この街は急激に廃れてしまった これはありだと思いますが、上記の文とは意味が少し異なります。 雲の形が急激に変化する現象は日常で見られますが、これを”劇的にカタチが変ったとは余りいいません。もちろんかつかつ言える場合もあるでしょう。例えば龍に似た雲のカタチがそのあと鷲の形になったとかいう例がそれだと思います。めったにないことです。劇的とは、なにか芝居がかったような、作為的なという意味があります。 劇的な事例では大体(ドラマに出来るほど)不自然な変化を伴ってはいますが、劇的であっても急激ではない長いスパンの変化(劇的な人生を歩んだ、とか)というものもあるんではないでしょうか。 ご参考まで。

noname#114972
noname#114972
回答No.1

 直接の答えではないですが,質問の趣旨がよく分かりません。「仮定します」と言うことですが,少なくともこのカテゴリーにはそぐわない質問だと思います。  

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