• 締切済み

「補完」てイメージしにくい。

「補完」てイメージしにくい。 楽園のような宇宙を持っている生物の場合、その生物は質的にどんなものだろうか?(宇宙を自己の相補分化と考えた場合)

みんなの回答

回答No.1

宇宙を自己の相補文化と考えちゃうと先に進まないような気がします。 やっぱ、自己が宇宙の、、、って考えないと。

関連するQ&A

  • 《宇宙は 自己の補完である》とはどういう意味か?

     (1) たとえば《地球家族》という言葉を 耳にしました。   これは 表題の意味内容とかかわっているのでしょうか?  (2) 《宇宙は 自己の補完である》とは どういう意味でしょうか?  (3) 質問者には 次のような意味のほかは 分かりません。   (あ) ヒトは 宇宙の中に存在する。   (い) その人という存在があたかも小宇宙と呼ばれるような宇宙の縮図を成している〔という主観想像的な見方が出来るかも知れない〕。   (う) その存在という存在は 相対的なものであるから 互いに関係しあっている。  (4) すなわち 前項の(う)については そこからさらに次のように考えられます。   (え) ただしその相互の存在関係は 互いに依存しあう側面すらあっても ヒトの場合は――つまり社会的なあくまで関係性としてある存在であっても―― その自然本性として中核を成す自由意志が 一人ひとりに〔相対的な〕独立性を持って発揮されるからには その意味での《独立性》をも同時に持つ。と考えられる。  (仮りに複数の人間による共同でひとつの意志があるとしても それが発揮されるのは 個々の人間それぞれによってに限られる)。     (お) つまり そのとき 《補完》というのは そぐわない。と考えられる。   (か) すなわち ひとりの人間として《わたしがわたしである》ことは あたかも――あたかもです あたかも――《独り満ち足りている》かのごとくその相対的で関係性の内にありながらの独立性・自立性を持ち得る。  (5) それとも  ここで《補完》という場合には 容易には知り得ないもっと深い意味があるのでしょうか?  よろしくどうぞ。

  • 真の「宇宙」について

    宇宙はね、己の相補分化、なんですって。 つまり、自分をくりぬいた相手の型が、宇宙なんですって。 みんなは理解できないと思うけど本当だよ。私は理解できます。 なぜ、この説が一般化しないの? 異議のある人も、賛成の人も、自由に書き込んでください。

  • 《宇宙は自分の補完です》とは どういう意味でしょう?

    《宇宙は自分の補完です》とは どういう意味でしょう?  果たして意味があるのですか?  回答としてもらった内容なのですが 質問者として軽くあしらったために 補足要求に応じてもらえなかったところの文章です。

  • 世界(宇宙)が自分の相補、て思えないのはなぜ?

    世界(宇宙)が自分の相補、て思えないのはなぜ? 私も含め一般的に、人は「自己」と「それ以外」という認識で生きている。だが、経験的に(感性から)己が進歩すれば外界も変化していくようだ。 より良い「生」を得るには、まず自己変革=環境認識を深める、ことが重要に思えますが、なぜスピードが遅いのか?(宇宙が自分の相補と感じにくいのか?)

  • どんなイメージですか?

    ある人に私はどんなイメージなのかを聞いてみたら 「宇宙」 だと言われました。 …宇宙ってどんなイメージですか?

  • 資本市場の補完てなに?

    「資金調達不可能=資本市場が不完全な場合、政府が信用補完することが正当化される」というところの補完とは、つまりは何らかの公的補助のことでしょうか?

  • 哲学的人類補完計画

    ゼーレによる人類補完計画が失敗してしまったようなので新たな補完計画を考えてみました。 人の精神を単純に「意志」と定義した場合、意志を人格たらしめているのは概念つまりイメージとの一体化ではないでしょうか。 ・私は男 ・私は日本人 ・私は社長 ・私はキリスト教徒 意志がイメージと一体化することによって「私」を名乗ることができるのではないでしょうか。 この一体化によって生成されるのが自我でありそれに伴う心の壁、ATフィールドですね。 意志はその後、単なる一体化だけでは不完全で心もとない為、物や知識を所有しながらそれをステータスとして自分自身を飾り始めます。 ・私の家 ・私の財産 ・私の知識 ・私の経験 そして記憶を使い時間軸上である程度の連続性を持たせたものがアイデンティティーと言えるでしょうか。 概念との一体化、所有権の主張、記憶を担保としたアイデンティティーの連続性が「意志」という視点から見た「私」の構造と言えると思います。 そこで本題ですが、個々の不完全な心を互いに補完しあうのが人類補完計画であるならば、哲学的な手法による補完は「非一体化」ではないでしょうか。 自我の始まりは一体化であったはずです。 一体化がなければ自我は生成されず心の壁がなければ壁の内側にある心の隙間は存在しません。 イメージから自由になれば心が傷を負うこともなくなります。 実体のない心には傷つくべき部分などなく、傷ついたのはイメージのほうです。イメージと一体化しているがために心が傷ついたように感じるのではないでしょうか。 また、意志とイデオロギーを一体化させなければ、たとえ「私は〇〇教徒」と名乗る他人ともトラブルになることはないでしょう。 心の壁が起こす問題からも自由になることができます。 一体化をしなければ自我は成立せず、心の壁も生成されませんから壁の内部にできる心の隙間もできません。 非一体化によって人間として生きながら心の壁を取り除くことができますからゼーレよりうまいやり方だと思います。 実現可能な人類補完計画と思いますがどうでしょう。

  • 自己が改善すれば宇宙も改善されるのか?

    自己が改善すれば宇宙も改善されるのか? これは「自己の補完として宇宙が存在する」という認識が正しい場合、自己変革が社会変革になることを意味している。さて、そこに問題もある。環境があまりにひどい場合、それに順応していては自己変革など不可能になってしまう。かといって反発すれば悪くすればホームレスだ。このジレンマを解決する方法はないものか?

  • ヱヴァンゲリヲンの使途とは?補完計画とは結局何だったのですか?

    少しアニメを面白いので見ていたのですが、 結局、よく理解できないまま、シンジの回顧みたいなので終わってしまいました。 結局 ・人類補完計画とは? ・レイはクローン人間 ・使途とは何?宇宙人?? この辺りを教えて下さい。 映画も今も前もやっているようですが そこで核心部分が分かったのでしょうか? それとも理解力がないだけでアニメでも分かっていたのかな? よろしくお願い致します。

  • シス-トランス検定のシストロンの概念

    シス-トランス検定についてなのですが、 トランス型で相補性+の場合→「別のシストロン」 トランス型で相補性-の場合→「同一シストロン」 となっているのですが、この「シストロン」の概念が理解できません・・・。生物学辞典で調べてみたのですが益々分からなくなってしまいました・・。