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宗教は、内にカルトを内在させないと、成立しえないのか?
宗教は、内にカルトを内在させないと、成立しえないのか? オウム真理教は「カルト」集団であったといわれています。 カルトを辞書で引くと、「狂信的な崇拝」と書いてありました。 すこし、自分の感じている印象と違う感じもしますが・・・・ キリスト教は、正しい普通の宗教のように言われますが、「進化論」を認めていません。これは、カルトの匂いがします。 仏教も、原始仏教から変わって、天国、地獄を語ります。 カルトの匂いがします。 イスラム教は、詳しくないので、解釈に誤りがあるなら、訂正しますので、指摘してください。 戦いを「ジハード」と言い、自爆テロ(自らの体に爆弾を巻いて、敵集団の中に入り、自爆することで、敵を殺すこと)を、神聖化している感じをうけます。 やはり、カルトの匂いがします。 そう考えると、宗教は、カルトを含む形でしか、成立できないような気がしますが、本当にそうでしょうか? 自由に、考えを聞かせてください。 ただし、「無宗教も宗教」とする考えは、議論を絞るために、ここでは一応、排除させていただきます。
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- isozakinoi
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宗教を生んだのも人だとしたら、また カルトを生んだのも人なのでしょうね。 狂信的な崇拝は理性の逸脱を意味します。 宗教とは本来、人を理性へと立ち返らせる 意味のものだとしたら。 カルトな方向に進んだ、宗教というものは もしかしたら、宗教ではなくなっているのか もしれません。 カルトを含む形でしか、宗教というものは 存続できないのか? それは難しい質問です。 何にせよ、どういったものにせよ、 人間というものは、知性を持ち合わせた、 生き物なのだとしたら。 高ぶる感情、入れ込む熱意、宗教の事を 知りたいという好奇心、宗教をもっと皆に 知ってもらいたい、認識してもらいたい、 という欲望?は切っても切れなくなります。 進化論や、天国、地獄、の話が、即、 カルトに繋がるという、考えには疑問です。 確かに進化論には、ご都合主義的な感じも しますが。(笑)退化論の間違いなんじゃない のか、と最近思います。 天国・地獄の話もそうですね。確かにそれは 即ち、自分の身のうちにあるものですから。 修羅です。 修羅というものを、生まれながらにして、身の うちに抱えた人間は、やはり理性というものも、 持ち合わせているのが、本来の姿です。 結論:理性のない宗教は、宗教ではない!! って、感じですね。
先の回答者さまに準じて述べます。 一番大事なことは 「宗教を成り立たせる究極は、ひとです。」 ということでしょう。 大きくはなすと、その参加者です。 直接の原因は、預言者(そのりーだー)たちです。 ネガティヴな預言者たちは、 唯物論者であり、まずふつう男です。 彼らにとって 必要なのは、彼女とその環境(エコ)です。 彼女時空として=オカネ 彼女自体=ポルノ 彼女エーテル=麻薬 ひどい話です。 自爆宗教はもっとひどい。 資本節約の非人道的宗教 とにかく オカネも彼女自体も死んだ後という教えです。 麻薬は輸出用。 史的唯物論は、武器が彼女であると考え 武器を輸出管理することで国家が保たれていました。 当然彼女も監視し管理する。 権力者が誰かは、はっきりしています。 性別からしてもです。
- kigurumi
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宗教は政治と切っても切り離せないと思うんですね。 政治は金と切っても切り離せない。 つまり 宗教が言う神とは MONEYのことなわけです。 神の力 とは MONEYの力なわけで、MONEYをかき集めることが、神の力を高めることになると確信していたので、神の力を高めるために、手っ取り早く核兵器会社やポルノ業界や麻薬企業の株を買って、核兵器やポルノや麻薬でこの世を覆おうとしたわけです。 彼らは神はMONEYという姿をしてこの世の現れていると考えているわけです。 実際調べてみると、自爆テロをする人に対して、高額な金が自殺の代償として支払われている。 自殺とせず聖戦に参加した勇敢な兵士としていますが。 でも自分は死ぬわけです。 本人は金を受け取れない。 ですが、自分の遺伝子と似た遺伝子を持つ遺族に支払われることは、自分は死んでも、遺伝子として永遠に生きながらえるということだと思います。 血の遠い人にためには、人間は自己犠牲を払いません。 動物もそうです。 本能として組み込まれている自己犠牲は、自分の子供 または孫、 または自分と似た遺伝子を持つ兄弟が生き延びて子孫を繁栄させる時に行使される。 というわけで、実際は妄想によって自爆テロということをやっているのではなく、動物の本能から起こる現象。 ということを知らないと、自爆テロを抑制しようとしても、見当違いなところをなんとかしようとして無駄骨に終わる。 さて、死んでも復活するという妄想を信じているのも、結局自己保存の本能が刺激されるから、信じようとするのではないか と。 <人は自己保存の本能がある それが一番人が弱い部分だ そこを刺激しさえすれば人を自分の欲望をかなえるように操ることができる>ということを発見した人が、人の弱点でもあるそれを悪用した場合は悲劇が起こる。 ありえねー と理性でわかっていても、本能の勝てない。 本能の欲求を満たすには妄想話を信じてしまうしかない。 理性が本能に屈して、本能の奴隷になるしかない。 ところがどうです。 ローマカトリックの聖職者は一生独身ですよね。 これでは自己保存ができない。 自己完結にしかならない。 そう、実は自己完結のために、ローマカトリックの聖職者になるのだと思うんですね。 神の花嫁になり神と永遠に生きるという妄想を信じているのではなく、たった一度きりの人生をどう有意義に自己満足できるか ということで、聖職者になるのではないかと思う。 つまり妄想の世界に入る。 まるで、アニメの世界に入って出てこないようなもんです。 シンジ:「僕ひとりの夢をみちゃいけないのか」 レイ:『それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ』 シンジ:「じゃあ 僕の夢はどこ?」 レイ:『現実の続き』 シンジ;「僕の現実はどこ?」 レイ:『夢の終わりよ』 新世紀エヴァンゲリオンの中に出てくるセリフです。 エヴァンゲリオンとは福音って意味です。 キリスト教は「イエスが原罪を消した 喜べ」というニュースを伝道することを目的としています。 この喜ばしいハッピーニュースがエヴァンゲリオン すなわち福音としているんです。 新世紀エヴァンゲリオン すなわち新世紀の福音は、「夢の終わりが訪れた 喜べ」ってことです。 そう、うお座の時代 つまり キリスト教やその他の宗教に終わりが訪れ、人々は夢から覚めるときを迎えたってことです。 新世紀 それは みずがめ座の時代です。 もう突入しているらしいです。 ハッピーニュースですね。 そのためには古い時代をモーセが破壊したように、キリスト教やその他多くの宗教にトドメをさす必要がある。 というとこで、時代精神(Zeitgeist)という動画が作られたのだと思います。 コケッコー 朝を迎えたってわけですね。 人々はイエスを知らない と言わなければならない。 言えた人が、新しい時代を迎えることができる。 http://video.google.com/videoplay?docid=-6871145444063437406&hl=en#docid=1431037135738418803
- tumaritou1
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宗教が生まれた背景には、人間の苦しみが在ることだと思います。生きる事の不安、死んでゆく事の不安、もっと言うならば人生そのものに対する不安(疑問)という事になるかも知れません。 この事に答えられるものが本当の宗教になる筈です。聖書の中にも、仏典の中にもその答えは書いてあります。ですがこの答えを知っている人は、余り多くないように感じています。仏の弟子達も沢山存在しています。ですが本当の教えを説いている感じがあまりしません。 この事は時代の流れかもしれません。生きてゆく事の不安が『原罪や業』というものではなくなって、精神科医のところに駆け込む人が増えている現象となっています。そうして精神科医達も、『精神疾患の原因を解明できていない事は、精神医療の恥』と言いながらも、治療に携わっています。 宗教の必要性と精神科医の必要性は、人間の脳の観点から言うならば『同じ』処に存在しています。どういう事かを言う前に、人間の悩みや苦しみや、精神疾患がどういう事かを先に書いてみます。 悩みから書いてみます。悩みとは、心の矛盾の又の名です。心の矛盾とは、二つの心が在って、二つの心に、意識の違いが生じていると言う事です。その違いが大きいほど悩みが深いと言う事になります。 苦しみとは、受け入れられない事の又の名です。受け入れられない事で人間は頭の中で様々な事を考え出します。その考え出されたものが『妄想』と言って『事実に即していない』事を考え出す場合が多くなります。 精神疾患ですが、これは先に書いたもの、つまり『妄想』の産物と言えます。、事実に即しないで『症状』が存在している事になります。事実からしたなら『症状』は存在していないからです。精神病では『何も無いのに怖がっている』と言う事です。神経症にしても『何も体に異常が無いのに、書けない、喋れない』と言う症状が在ります。 心に湧き上がる感情の問題でも『何も無いのに不安で何も出来なくて、何も感じたくなくなる』という事になっています。 体でも『何も異常が無いのに』脈拍から、血圧から、心拍数でも、ホルモンの分泌や、消化する機能にまで異常が生じています。 宗教とは何かと言う事を簡単に書いてみます。キリスト教の例を出すと分かりやすいと思います。人間の最も求めているものは『天国』という事になります。仏教では『極楽浄土』という事になります。この事が先ほどの共通する原因と言う事になります。 天国に一番近い存在は幼子と、聖書には書いてあります。仏教の方でも『大人の嬰児』と言う表現が出てきます。この幼子が天国に近い訳を書いてみます。 それは『心の矛盾や対立や分裂』が無いからです。如何してかと言うと、脳が未だ未熟で、機能が分化していないからです。脳が成長した場合、右脳と左脳が違う働きになっています。機能分化が進んだと言う意味になります。参考までにスペリー博士の研究成果を貼ってみます。 ロジャースペリー 分離脳ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ロジャー・ウォルコット・スペリー(Roger Wolcott Sperry、1913年8月20日 - 1994年4月17日)はアメリカ合衆国の神経心理学者。デイヴィッド・ヒューベル、トルステン・ウィーセルとともに、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。1989年にはアメリカ国家科学賞(行動・社会科学部門)を受賞している。 コネチカット州ハートフォードにて生まれ、西ハートフォードにて育つ。11歳のとき、父親が死去。オベリン大学に通い、1935年に英語の学士号を取得、1937年に心理学の修士号を取得した。1941年にポール・ワイスの指導の下シカゴ大学より動物学のPh.D.を取得。その後ハーバード大学の心理学者カール・ラシュレーのもとで研究を行った。 スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。 この機能の違いが人間の障害を作っていると言う事になります。長くなって来ましたので、簡単に結論を書いて見ます。 健常者と言う普通の人達は、左脳と右脳の機能をうまく使い分けている人の事です。左脳の機能は分別して行く機能と言う事です。云い方を替えたなら、物事を論理的に判断して行くという事になります。他の言い方をするならば『割り切れる事を専門としている脳』という事になります。割り切れる問題とは有限に属していると言う事になります。何故ならば割り切れる事を有限と言う事にしてあるからです。 左脳の機能では有限の世界しか理解できないと言う意味になります。矛盾した問題は解く能力がないと言う意味になります。 右脳の機能とは、分別できない問題に対応出来るという事になります。分別できない事とは『言葉に出来ない事を専門とする機能』と言う意味になります。言葉にすると長くなって意味が無くなってしまうという事を知っている機能と言う事です。直感や即断や感動や、こつを掴む事などです。もっと云うならば、脈拍の調節や、呼吸の調節や、ホルモンの調節などです。 人間が生きてゆくための事は全てを担っていると言った方が早いと思います。ですがその存在感は余りありません。自我意識とは交代制を取っているためです。自我意識がなくなる時に、人間を働かせています。アメリカの或る統計では『自我意識が起きている間に占める割合は、20パーセントくらい』と言うものがあります。 自我意識が無くなっている時間の方が、遥かに長いと言うデータです。人間を働かせている『命の働き』は自我意識には意識でき難くなっています。それは『無意識の意識として、或いは潜在意識の意識として』確かに働いています。 この意識が、先に書いた宗教の必要性と精神科医の必要性という事になります。この根本原因は二つの意識の『ずれ』という事になります。自我意識が、もう一つの意識と考え方が違ってしまう事によります。もう一つの意識には言葉が無い事によって、自我意識にはうまく伝わらないことが在るという意味になります。 自我意識が感じる圧迫感は、もう一つの意識からの『ある種』の信号という事になります。その信号をしっかりと受け取った時にはもう同じ信号が来なくなるという意味になります。パニック障害となってしまう場合には、又違う意味があります。 不安と言う信号を送りました。自我意識は受け取ろうとしません、そこで不安と言う信号を増幅して恐怖と言う信号に変えて送るようになります。是がパニック障害の裏側です。 人間の障害とは右脳の機能に任せて置くならば、何事も無く過ごせていたものが、人間が意識をしたことによって、無意識に任せられなくなってしまう事によります。その場合に『無意識の意識』が切り替わりを要求すると言う事です。その圧迫を自我意識は『違和感や罪悪感として』受け取ってしまいます。 悩みとは二つの意識の矛盾を自我意識が『心に圧迫として感じると言う事』です。機能の話しからするならば、論理的な解決方法が無い事でジレンマになってしまう事になります。機能の無いコンピュータに出来ない問題を解かせている状態となります。不可能と言う答えから心は堂々巡りをする事になります。 苦しみとは受け入れられなくて、堂々めぐりをしている事です。心の矛盾という事になります。もう一つの意識は『常に全てを受け入れている存在』と言う事です。 精神疾患も同じ事が原因です。自立神経失調症と言う事は自我意識がでしゃばってしまい、出来ないにもかかわらず、出来ると勘違いしてがんばっている事です。出来ない事を認めて自分の命そのものの意思に任せる事が正解となります。心を病むと言う事も同じです。もう一つの意識と仲たがいをしているために『任せられなくなった状態です』心に圧迫を受け続けています。 神経症も同じ原因です。無意識に切り替わる事を忘れてしまう事です。何時も心に圧迫を受けています。この圧迫が『一切皆苦』という事になります。この一切皆苦からの解放が宗教の目的となっています。 人間の苦しみからの解放とは何か?簡単の事です。全てを受け入れる事です。受け入れる事で『自我意識ともう一つの意識の』矛盾が解消できるからです。苦しみを受け入れる、症状を受け入れる、現実を受け入れる事は、もう一つの意識そのものを受け入れる事になります。 それは『神に会う』という事になります。しかも神と和解したと言う事になります。神とは右脳の意識という事になります。もう心は二度と矛盾をしなくなるということです。絶対の安心を獲得したと言う意味になります。全てを肯定してゆくと言う事は、もう苦しむための要素がなくなった云う意味になります。 「狂信的な崇拝」という事は、傍から見た場合と言う事かと思います。誰も信じて呉れる人がいないかもしれません。神や仏を信じられない人は『未だ救われた事が無い人』と言えるかも知れません。 救われた人しか神や仏には会うことが出来ません。この事を『神秘主義』と言う風に云うのかも知れません。 右脳と左脳の人格どうしに、ホットラインという回路が出来ます。是が悟りです。二つの心の分裂を人間は苦しみとして感じています。苦しみからの解放が宗教の目的になっています。
- debukuro
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debukuroです Yes
- mdh57
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私事で恐縮ですが、私は「法華経文底独一本門(無神論)」という信仰をしています。 これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。 前半は、外道(神論)や爾前教を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 最近、ヤフオクで面白いマンガを見つけて買いました。 「S価学会」という文字の部分を消して読むと、意外と面白く、ためになる本でした。 マンガなので15分程度で簡単に読めました。 ヤフオクで「みなもと太郎 仏法セミナー」って検索するとヒットすると思います。 10年かけてしっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。
- mmky
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宗教は、内にカルトを内在させないと、成立しえないのか? ですが、正しくは「宗教は、内にオカルチズムを内在させないと、成立しない。」でしょうね。宗教は目に見えないことや証明できないことを教えるものですから神秘思想(オカルチズム)を内包しないと成立しないものですね。まず宗教家は神秘思想(オカルチズム)を説きます、当然この思想は世の中の常識とは異なるものですから信ずるものはカルチストになりますね。だから新しい宗教はどれも最初のうちはカルト的ですね。新しい宗教家が説く神秘思想(オカルチズム)が常識化すればカルトとは呼ばれなくなるだけですね。 そういう意味で「宗教の発足時はどれもカルト的である。」といえますね。近代のクリスチャンであれば内村鑑三先生などカルチストそのものですよね。あれがほんとの宗教でしょうね。 まあ宗教は神秘思想(オカルチズム)を内包しているので信仰行動としてはカルト的とはいえますね。
- tanuki4u
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宗教を価値観の体系を定義する。 宗教A は 価値観の体系A を持ち 宗教B は 価値観の体系B を持つ 価値観Bによって、Aが説明される、価値観としてBにAが包含されるのであれば、宗教Aは宗教Bに包含されてしまう。 価値観Bによっては説明できな価値観が価値観の体系Aに存在するときに、宗教Aは宗教Bとは違う宗教になり、宗教Bの視点(価値観)からは宗教Aは「理解し難い行動をとる」団体、カルトとなります。 カルトの定義を、理解し難い行動をとる団体とするなら。 ある宗教から見えればすべての他の宗教はカルトであります。 価値観A と価値観Bとが それ以外の価値観Cによって包含されてしまえば、至上の価値観の体系である宗教は本来的には宗教じゃない。
お礼
なるほど・・・・ それも言えてる気がしますね。
- kigurumi
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カルトというのは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88 『「崇拝」、「礼拝」を意味するラテン語 Cultus から派生した言葉で、元来、「儀礼・祭祀」などの宗教的活動を意味していた。』 とありますが、 『現在では反社会的な宗教団体を指す言葉として使用されることが多い。』というように、別な意味、つまり理解しがたい思想集団に対して使われるようになっています。 確かジハードの時死んだ人は、死後11人だったかそれくらいの処女と性交できるってしていたと思います。 で、もともとは11杯のぶどう酒って書かれているんだそうです。 それが何故処女たちとエッチできるって変わったのかと考えたのですが、処女が性交をしたとき、処女膜が破れて出血するので、それをぶどう酒にたとえているのかもしれないですね。 「死んだあと処女たちとエッチできるのかぁ 肉体がないのにどうやって処女膜をやぶれるのだー」という突っ込みはやめときますか・・・ 童貞の人にとってみれば、初エッチを大勢の処女のおねーさんがたとできるってのなら、命が惜しくないのかもしれないですね。 イスラム教って一夫多妻ですが、お金持ちがたくさんの女性をゲットするので、一生童貞のままな男は多いらしいし。 戒律とかあって、結婚前に性交渉なんてタブーですし。 >仏教も、原始仏教から変わって、天国、地獄を語ります。 古代インドの影響を受けて輪廻とか涅槃・地獄とかいう概念を作り出した宗派もありますが、もともと仏陀の説いたものとは別物。 仏陀は人間の持っている知覚のみで十分だって言っているらしく、地獄などの妄想を起こせとは解いていないし。 >キリスト教は、正しい普通の宗教のように言われますが、「進化論」を認めていません。 まだ進化論が正しいかどうかわかってはいないです。 チンパンジーと人間とではかなり遺伝子に差があるらしいです。 ただし、今のチンパンジーと今の人間の遺伝子を比べてもしょうがないですよね。 もっと前から枝分かれしていると考えるのが妥当だと思います。 キリスト教は、人は死んでも肉体が復活して永遠に肉体を持ったまま生きることができるとしているのが、おもしろいですよね。 いまだかつてそんな人は一人もいないのですが。 奇蹟は「あなたに起こるかもしれない」って、いったいその確率ってどれくらい?と思ったりするのですが、なんせ超古代の御伽噺の、別バージョンがイエスであって、人間が作った物語の登場人物と同じようになるかというと、それは人間がピカチューになるようなもので、、、 かなりというか、、、絶対に無理ポ! ま そんな無理ポを真剣に願えが叶うとやるってのは、宇宙人がいると信じて「宇宙人さん きてください」とお空に向かって祈りを捧げる集団と似たようなもので、いわゆるカルチャーってやつじゃないかと。 それはそれで、娯楽なので 楽しそうだなぁって眺めていればいいのですが、終末がくるぞと朝っぱらから宣伝カーで「アナタハ カミヲ シンジスカ カミハイマス シンジルモノハー スクワレマス」とかわめき散らされると迷惑。 ネロはそんな狂信的な人達が社会不穏を起こし、世の中を見出し続けたために、取締りをしていたんだと思う。 ネロといえば悪人ってなってますが、実際はあの大混乱の時代において世の中を乱すキリスト教徒たちを取り締まり、平和に向けて舵をとったすごい敏腕の政治家だったらしいです。 で、娯楽は個人の自由ですが、他人に害を与えてしまうまでになると、カルトってなるわけです。 1970年代に経済破綻をしたバチカンは、結局資金を増やすために、間接的にですが、核兵器企業や麻薬組織、ポルノ関係の会社の株を買った。 信者から集めた金を、その企業が大きくなるように援助したってことです。 世の中に核兵器や麻薬やポルノがはびこることに貢献したってことです。 ヨハネ・パウロ2世は、裏金をポーランドのワレサに渡していたらしい。 信者の金を政治の裏金に使っていたわけです。 ダライ・ラマのCIAから多額の裏金をもらって活動していた。 こうなるとカルトといわれてもしょうがないのですが、いまだにありますから。
お礼
処女なんか、全然よくありませんよ! 痛がっているだけだし、それより経験豊富な・・・ いや、何でもありません。 しかし、色々詳しいですね・・・
- jinseiwalk
- ベストアンサー率23% (372/1603)
そうですね、キリスト教、仏教、イスラム教すべて反社会的ですからね。キリスト教国現代における先方といえばイギリスと米国ですが、自分たちこそ世界の警察との名目でイランイラクアフガニスタンなどのイスラム諸国に戦争しかけてますが、実態は警察ではなくイスラム憎しです。 またスリランカにおけるヒンズー教徒への差別、内戦も仏教の本義から外れていますし、日本における本願寺はと信長家康との戦いは仏もびっくりです。 これらはカルトでないとできないでしょうけど本人はそう思ってません。それは洗脳によるものと思われます。洗脳された人とは論争するのは避けないと一向に埒が明かないので洗脳されているかどうか見分けるのが宗教論議する時に最初にすべきことでしょう。 洗脳されたかどうかは、おかしいところがあれば聞こうという姿勢があるかどうかです。聞く耳持たない人は洗脳されています。
お礼
う~ん。 聞く耳を持たないから、宗教として成立するんではないか? 他の、宗教の教義に耳を傾けるようでは、信者ではない気がしますが・・・ どうなんでしょうか? それについて、他の方々の意見も聞きたいですね。
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お礼
なるほど、「神秘思想(オカルチズム)を内包しないと成立しない」ですか・・・ 確かに、そういう視点でみるとうなずける部分がある気がします。 参考になります。