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背理法と対偶証明の違いについて

B-jugglerの回答

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.13

こんにちは。こんばんはかな。 はい、正しいと判断すれば、そこで証明は終わりです。 私は正しいと判断しています。  #終わっているのですが・・。  #ちょっとした余裕がありますか おそらく重要なことは、「間違いを間違いとして認めないこと」はいけませんよね。 間違われてしまったことは、認めてくださいね。お願いしますよ。 前回の投稿にご回答いただいたことから引用いたします。 ~~~ ●(Aが真でかつ)の部分を私がどかしたとのことですが、ご希望通りに (Aが真でかつ)を入れて(A∧¬B)⇒¬Aとしましょう。 [(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A]≡¬A∨B∨¬A≡¬A∨B≡A⇒B となります。つまりA⇒Bを証明するときに、¬B⇒¬Aを仮定するのはダメと言う私の反論に対して、今度はA⇒Bを証明する前提にA⇒Bを仮定しているのです。これは同語反復と言う恥ずべき論法ですよ。 ~~~~ はぁ、なるほど。 そういう主張ですか。 形の上ではそうなりますね。 この論法の趣旨は、「背理法の前提」ですよね。 (A∧¬B)⇒¬A この式を成り立たせるための、反証Kiを捜すこと が大事なことではありませんか? (この式自体は恒真命題ではありませんよね) 論理命題を否定して、反証を捜すことが背理法ですよね。 これはOKですか? [(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A] これは成立しています。 が、申し訳ないですが、背理法を考えていくことに こうする意味がありません。 kabaokabaさんも書かれていますが、実際の証明過程と、 論理式の展開(転回でもいいかもね)が必ずしも等しくないです。 [(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 命題を一つ挙げてみます。これを入れてみてください。  #実際の証明と どう違うのかをやってみましょう。 命題(初等代数学的整数論 私の強いところです) 「1~30までの自然数を考える。 その中にある素数のうち、4で割って1余るものを考えると、 互いに素な2つの自然数の2乗和に等しい」 {n,a,b∈N,n≦30 1≦Pm≦30 m=4n+1} Pm⇒a^2+b^2 (aの2乗+bの2乗、a,bは互いに素) 互いに素と言うのは、「1以外に共通の約数を持たない」と言うことです(念のため)。 これを背理法で証明してみてください。 ここのでの私の主張。 実際の証明過程と、論理式の展開(転回でもいいかもね)が必ずしも等しくないです。 これが分かってもらえるかもしれません。 ちょっと最後に、もしかすると、No.10でCaperさんがあげてくださった、サイトをご覧いただけていませんか? 正しく載っていますが・・・。(背理法の根拠のところ)

skoyan
質問者

お礼

●前回の続きです・・・ 数学じゃないとすると、哲学のほうの論理かなと思ったものでして。 ・・・問題の解釈(この場合は証明についてになりますね)が アプローチの仕方が違うかもしれません。 ●「背理法」とは論理学の用語です。哲学と論理学で【論理】が違うのですか。理解不能です。 ・・・・はい、正しいと判断すれば、そこで証明は終わりです。 私は正しいと判断しています。 ・・・・「間違いを間違いとして認めないこと」はいけませんよね。 間違われてしまったことは、認めてくださいね。お願いしますよ。 ●正しいかどうかは、ご本人が思い込んだり、認めたりすることではありませんよ。誰が見ても正しいと説明できたり、証明したりすることです。  相手に認めさせるかどうかは、多数決でもないし権威でもありません。 前回の投稿にご回答いただいたことから引用いたします。 ~~~ ●(Aが真でかつ)の部分を・・・・ [(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A]≡¬A∨B∨¬A ・・・・ 形の上ではそうなりますね。 ●形の上と言うより、貴方も記号論理の式で、((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aが背理法の根拠式だと主張し、証明したつもりではありませんか。  それと同一の論法と手段で、上の通りにその誤りを示しているのですが・・・{(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bを認められませんか??!! kabaokabaさんも書かれて・・・・ ●彼はただの屁理屈並べて逃げ出す輩です。他人の言や、権威に依存するのは理論的な議論ではありませんよ。 [(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 ●意味不明な言葉ですね。貴方と同一レベルでの記号化と議論ですが・・・。 省略 ●曖昧な例題まで考えなくても、今議論している理屈の中でできませんか。 なぜ今までの記号化している、ご自分の理論の中で証明しないのですか。 、((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬A ←←この式の論拠は、例題など関係ありませんよ。例題に入ると、そこでまた曖昧な議論に発散します。 ●誰が書いているとか、権威者がどうでなくて、ご自分の頭で理解してる理屈を聞いています。この式が旧友との議論の中にも出てきて、その根拠を示せないままに終わっているのです。こんな式を書いている本は見たことがありませんし・・・。と言う事です。

skoyan
質問者

補足

[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 ・・・・ ●・・・との事でしたが、『証明にならないですよ』と言う意味゛どうもわかりませんが、どういうことでしょうか。数学やとか言ってたようですが、ご専門分野では、このようにな日本語が使われますか。 ●前の引用です・・・ -------------------------------------------------  ところで、背理法によって、仮に、 2) (A∧¬B)→¬A が証明されたとします。つまり、「 A が真であって、B の否定が真であるときに必ず A の否定が真となる 」ことが証明されたとします。   2) という合成命題は恒真命題ではありません。ですから、いまここで、2) という命題が常に真であることを証明したとします。   そこで、次の合成命題を考えます。 3) ((A∧¬B)→¬A)∧(恒真命題)   この 3) は 2) と同値になります。さらに、次の命題を考えます。 4) (A∧¬B)→A   この 4) は恒真命題です。さらに、次の命題を考えます。 5) ((A∧¬B)→¬A)∧((A∧¬B)→A)   この 5) は 2) と同値になります。同値となる根拠は 3) と 4) です。   ですから、2) が証明されれば、自動的に 5) も証明されることになるのだと、私は思います。 ・・・・・・・・・ 命題によって、¬(A∧¬B) すなわち A→B が証明されるという運びになるのではないかと、私は思います。 -------------------------------------------------------------- ●ここに出てくる、・・・ ●『¬(A∧¬B) すなわち A→B が証明される』と[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bとした、私の説では本質的な違いがありますか。 ●『2) (A∧¬B)→¬Aが証明されたとします。』と仮定するのが貴方の根拠とすれば、 [(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bの同値性から、・・・貴方も『同値』を使っていますから、・・・それはA⇒Bを仮定することと同じだと言う私になぜ異論が出るのですか。 ●貴方たちこそ根拠になる理由が分からないか、背理法の根拠式の間違いを信じたくない理由があって、妄信しているだけではありませんか。 ●何故ですか。

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