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天誅
最近、ネット上で「天誅」という言葉を振りかざす者が見受けられます。 一神教において人を裁くのは神のみであり、庶民が勝手に天の意思をかたることはしません。神の逆鱗に触れますから。 日本人が僧侶や神官の許可なしに「天誅」という言葉を軽々しく使えてしまう文化的背景は何なのでしょうか?
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日本人が僧侶や神官の許可なしに「天誅」という言葉を軽々しく使えてしまう文化的背景は何なのでしょうか? ↓ 現代日本人で言えば、「幕末の志士が使って、その志士の勝ち組が明治政権を樹立したから」 つまり、天誅が正しかったと証明されたと思っている人がいるから。 一神教において人を裁くのは神のみであり、庶民が勝手に天の意思をかたることはしません。神の逆鱗に触れますから。 ↓ うーん、そうなると、アルカイダの行動は説明できない。
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- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC イスラムには原理的には、宗教者はいないんです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%95%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC アルカイダでは自称ってことで。 原理的には、庶民がムフティーを自薦して周りから承認されれば天誅できるわけです。アルカイダはそうしている。 アルカイダが神の逆鱗に触れているかどうかは知りません。
お礼
回答ありがとうございます。 >原理的には、庶民がムフティーを自薦して周りから承認されれば天誅できるわけです。 しかし、天誅承認までの秩序はあるのですよね。 アルカイダ支持の一般人がネットや日常生活で「天誅!」のような発言をしているのかどうかがポイントでしょうね。
- ENERGEAR
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たぶん、「みんな仲良く 和を大切に」という思想的背景の反動として ということではないかな。戦争もあったし... しかし、その 天誅 は 「自分が考えた結果として行うのではなく、天の意思であり、私は単なる代行者であり、私は責任を取らない。」という、卑怯な 精神を表していると言うことか。天の意思など誰にもわからないし、確認のしようがないからね。 神(天)の名の下に、とか 正義の名の元に とか言わずに、我が名において と言えないのだろう。半分以上は冗談のつもりなのか あるいは本人の中では正義は十分に行われていない という、思いがそのような言動として表される。現実社会がどうなのかは別として (こんなんでましたけど)
お礼
回答ありがとうございます。 >本人の中では正義は十分に行われていない という、思い その思いはあると感じます。 そして、倒幕や2.26事件の歴史を振り返れば、現状への不満が天皇と結びつくのは必然でしょうね。 よって、時代がかった表現になるということでしょうか。
- 000705
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天誅という言葉を辞書で引くと、その中に天に変わって悪人に罰を下すことというものがありました。 ですから、使っている人は自分の行為が天意に合ったものだと思っているのではないでしょうか。 厳密な意味で人が人を裁くということは、大それたことのようにも思えますが、 それを軽々しく使ってしまう人は、それほど深く物事を考えない人かもしれません><
お礼
回答ありがとうございます。 個人の資質の問題なのでしょうか。
- JoyWorld
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典型? 典型的答えってことね? そうわかるってことは日本人ってことか で、その答えで納得できない理由はなんなの? 別の答えがほしいんでしょ?
- JoyWorld
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無宗教だし、基本アミニズムで八百神の世界観だから あなた外人?
補足
典型だな。
お礼
回答ありがとうございます。 >天誅が正しかったと証明されたと思っている人がいるから。 納得しました。 天皇を奉り(同時に天皇は深く関わらない状態で)日本的革命をおこなってきた成功体験が強く影響しているでしょうね。 ただ、日本的革命は孤立した島国でしか通用しないでしょうね。 なぜなら、世界経済に組み込まれた状態で起こした日本的革命である2.26事件は失敗しているからです。 言い換えれば、革命後の政権の人材が素朴で復古的な性格では維持できないからでしょう。 >うーん、そうなると、アルカイダの行動は説明できない。 アルカイダも(正統ではないにしろ)聖職者と結びつきがあるのではないでしょうか。