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墾田永年私財法を出した理由についてのことですが、

oirneの回答

  • oirne
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.1

開墾というのはとっても大変な作業なのです。 昔は現在のように田畑がたくさんある訳でもなく、田畑は森林等を開墾して作りました。 そして開墾された土地は全て政府のものでした。 しかし、人口が増えてくると既に開墾した地がいっぱいになります。 そこで新しく開墾をしなくては行けませんがそれはとっても大変で割に合わないものでした。 せっかく開墾してもそれが国のものになって毎年重税をかけられるとわかっていても開墾したくなるでしょうか? そんな状況だったので当時の政府は墾田永年私財法を出して開墾した土地の所有権を認めました。 こうすることによって政府の所有権のない土地が増えていきますが、 それでも税収は増えるので政府としてはまあいいかというところだったのでしょう。

degusann
質問者

お礼

なるほど、よく分かりました。ありがとうございます。

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