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学校は必要でしょうか
てきとうに定められた行政区画ごとに、たまたま4月から12月まで生まれたという共通点を持つだけの集団を、一日中強制収用される。「気をつけ」で背筋を伸ばし、「前へ習え」で手を前に出す。出された課題をこなし、周りと同じ行動を強要され、そこから外れれば「問題児」とされてしまう。社会生活を学ぶ場というより、そこからは社会生活は学べず、個性がつぶされる場、と見たほうが妥当だと思うのです。 教員は、人生のどの地点で社会生活を学んだのでしょう。大学までいったあと、教員採用試験(ペーパーテスト)で教員になっているだけ。教員とは、自分自身の子供時代における、学校生活の延長上の存在でしかない。 自分が思うに、社会の様々な温床は、人生初期、すなわち「学校」にあると思う。 教員に問題があるというか、教員を教員たらしめる、学校というシステムに諸悪の根源があると思うのです。学校というシステムは、一体いつの時代まで残るのでしょうか。教員の方々には誠に申し訳ないですが、より良い世界に、教員も学校も、必要ありません。いい大人が、これ以上、赤の他人の可能性を弄ばないでほしい。 この程度のことに、気づけない民衆ではないはずです。おそらく、大多数の意見に淘汰されると思っているから、黙っているだけでしょう? そうなのですよね? 皆さん、おかしいと思ってますよね?
- essence000
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- 教育問題
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質問者が選んだベストアンサー
まず学校という教育システム自体が一般化して200年程度の歴史を有しているにすぎません。もちろん西欧の子弟学校や日本の寺子屋は昔からありましたが、「義務化」して一定の学齢児童を同一に教育するシステムは、この程度の歴史です。 このような一定の集団を集めて教育するのは、産業革命の影響といえます。つまり近代化した産業が一定の教育水準を求め、それを効率よく国民に授受するために生まれたわけです。 これには産業側の要請→一定の教育水準を持つ多量の労働者の育成、という部分もありますが、産業革命以降どの国でも近代産業化していきましたので、新しい近代産業化の世界で生きる子供たちのことを考えれば、一種の福祉政策だった部分もあります。 現代社会はポスト産業革命時代といわれており、その萌芽があるものの、まだ具体的に新しい価値基準が創造されている状態ではありません。そのため、今、この瞬間に学校制度を廃止してしまうと自力で教育できる一部の家庭(金銭面だけでなく教養面でも)を除く大部分が、路頭に迷い日本の国力を削ぐ結果になります。 つまりessence000様の指摘は正しいものの、それをやめたときの害のほうが「まだ大きい」といえるのです。 それでも不登校児童の問題などにより、また画一化された教育では新しい富を創造できないという産業界の要請もあって、高卒認定試験・フリースクール、帰国子女に対する秋開講の大学課程など、画一的ではないルートが徐々に出来てきています。AO入試なども20年30年前の受験戦争世代には考えられないほど、自由な入試基準もあります。 残念なことにこのような新しい方法が画一的な学校教育よりもより効果的な学習方法であると評価されているわけではないので、取り込み方も一部・特例的な扱いとなっています。 今後、世界の産業構造が変化するにしたがって、徐々に今の画一的な学校教育も姿を消していくものだと思います。 しかしそれが意味するものは、親の考え方によって任意に選べる(または国が何らかの基準で強制的に配分する)という「義務教育以前の貴族の子弟教育と農民の寺子屋教育のような違いが出る恐れがある」ということであり、貧富の差や親の学齢の差はある程度解消できても、結果的に身分の固定化につながる恐れもあります。 今、まさに塾に行く子と行かない(行けない)子の学力差が問題になっていますので、義務教育を廃止するということは、リスクも付きまとうということでもあるといえます。 教員の資質については、学校教育(義務教育)のあり方とは別に、教職員過程に数年間の社会人経験をつけるとか、30歳でも40歳でも教職につくルートを用意するなどの方法で、プロパーの教員のだめな部分を回避することも出来ると思います。 まあ200年後には今の学校システムはなくなっていますよ。
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- heartmind
- ベストアンサー率14% (32/226)
学校は必要だと思いますよ。 世の中には、家庭での教育を重要視する人もいるかと思いますが、家庭の教育やしつけというのと、学校の教育というのはまた別だと思うのですね。 両親の愛というのは、子供にとっては少し有難迷惑なことも時にはある訳です。つきつめていくと自己愛につながっていきますからね。 公僕である教師の生徒に対するあまねく愛情というのを経験することで、社会に対する信頼感、敬意につながる訳ですからね。 特に児童教育というのはこれからの日本社会の倫理観において重要な役割を担うのではと思っています。
今の学校教育(特に児童教育)に多くの問題があることは、間違いないと思います。 しかし、現行ではこれが精一杯かもしれませんね。 変えたいのであれば、まずは政治からでしょう。 >出された課題をこなし、周りと同じ行動を強要され、そこから外れれば「問題児」とされてしまう。社会生活を学ぶ場というより、そこからは社会生活は学べず、個性がつぶされる場、と見たほうが妥当だと思うのです。 いえ、学校を出て社会人になり、企業に勤めたとしても、同じようなスキル(集団に合わせる)が必要ですから、これは「社会生活を身につけるため」の教育であるとも言えると思います。 個性は結構ですが、悲しい哉、現今の企業ではそれを必要としないことが多いので。 個性を活かして生きていかれれば最高ですが、残念ながら個性を活かせる国じゃないのですよ、この国は。 最善の策が無理であれば、次善の策を取るしかありません。 又、「個性」と「わがまま勝手」を混同している人もいると思います。 その場合には、ある程度押し付け教育にならざるを得ないかもしれませんね。
補足
「その場合には」?それを見極める能力が、すべての教員にあるという根拠は?「教育」と「調教」を混同している教員も、決して少なくない。 学校で優等生でも、社会では役に立たない人がいる、という話も聞くのですが。小学校から高校卒業までずっと教員たちに迎合してきて、大学になってから「さあ、自分で考えろ」と言われても、試行錯誤のリスクに耐えるのは手遅れなのでは?現に、FM東京が96年にとったデータでは、日本の大学生で「大学に入ってやりたいことがある」と答える割合は、男女ともども三割以下だとか。 個性は企業では必要ない、と仰るのは、失礼ながら、見当違いだと思わざるを得ません。azul-b様の仰られることというのは、アメリカなどの、既に十分に市民社会か進行化した社会で、行き過ぎた個人主義を抑制する場合に言えることだと思うのですが。 よもや、今の日本は個人主義が行き過ぎていると言われるのではないでしょうね。 押し付けるやり方では、自分で動機付けできない人間にならないでしょうか?そのような人間を企業が求めているとは思えません。
- 柊 うろん(@uronly)
- ベストアンサー率12% (113/891)
代案をお望みでしょうか? 質問外に応えてイイのかな? 算段のほうは得手の範外ですが 読み書きについてなら ええと「日本語」というか「自然言語」は無駄だらけなので 例えば広辞苑の内容を DSソフト取説並に短く教えれば 小学生あたりが覚えるとしても 長くて半月かかりません 無論「エスペラ」みたく既言語の延長では失敗確定ですが 「文法」「単語」「文字」を学ぶ手間を省ける表記手段~ まあ詳細は売れたネタなので書きませんが 可能ですよ☆
教育を受けない人間など猿にも劣る。
- potachie
- ベストアンサー率31% (1065/3387)
代案のない提案は単なる不満に過ぎません。 日本の歴史をひもとくと、最近では2回、幕末と戦後に日本は植民地化されたり、分割統治をされそうな機会がありました。 その2回とも、支配しようとする側がそれをあきらめたのが、どの社会階層でも文盲率の低かったことと、日本全体で同じ文字を読めたことです。 支配しようとしている国よりも大幅に良かったんです。 特に、戦後は、日本国民全体から抽出した1000人以上にテストを課して調べています。 たいがい、統治をしようとする側は、その国の文化度を上げることや、情報を知らされていない(無知な)国民を救うことを名目にしますが、それを言えなかったんですね。 さて、「学校」や「義務教育」の代わりに、貧しい人を含めた国民全体に読み書き算盤を教える良い方法は何でしょうか? 幕末には、一般庶民向けには学校は無かった訳ですが。
補足
質問内容に説明が足らなかったことを、お詫びいたします。 自分が「教員も学校も、必要ない」と発言したのは、教育機関がどんな形であっても必要でない、という意図ではございません。 自分が言いたいのは、人が学習する環境が閉鎖的である必要はないということです。つまり、勉強ができるのは学校だけではない。ところが今の学校は、勝手なカリキュラムがぎちぎちに組み込まれ、そのすべてに従うことを強制される。生徒は親や教員以外の人間と関わる機会を得られず、特定の人間に抱え込まれた状態になる。社会性を育む場?笑わせないでほしい。それを促す機会を奪っているのは、学校ではありませんか? 学校は勉強だけ教えていればいい。教育=公立校、という図式を成り立たせてしまうと、社会に対して環境的にも法的にも閉鎖的であるため、生徒が立場的に弱いことにつけこみ、教員たちが(あるいは、生徒達が)好き放題ができる環境が整ってしまい、越権行為が問題とされにくくなる。 既に言われていることですが、公立のチャータースクールや教員選択性、単位制を採用するなどして教育ルートを複雑化することで、教育を開放的にさせ、常に市民社会の目に晒されることでこれを抑止できるのでは. 確かにそれだと、能力のない教員は淘汰されますが、それはより良い教育現場の維持のためにはむしろ望まれることでは?能力のない人間が教育利権を握っていることのほうが、よほど問題である気がします。 これはpotachieさんに向けた言葉ではありませんが、 人を試してきた教職員達が、今度は試される番だと思いますよ。 不透明な教員採用試験などではなく、現場でな。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
>>、教員に問題があるというか、教員を教員たらしめる、学校というシステムに諸悪の根源があると思うのです。学校というシステムは、一体いつの時代まで残るのでしょうか。 これはその通り、私も同感です。 良い線行ってるのだけど厨二病の発想が足りない。 まだまだ稚拙さが足りてない。 もっと稚拙になって厨二病を進めた先に答えはあるよ。 稚拙に、厨二病になりきれてない貴方の心が、学校という場所で止めてしまっている。 社会に問題があるとすれば、貴方のように中途半端にさせてしまっている事かな。 稚拙になるどころかタイトルのような大人に背伸びしてる様に飾ってるようじゃあダメポ。 ここの人は寛容な人が多いからもう少し、 学校は必要なのくぁぁぁぁ?????くらい叫べばいいよ。 絶叫するようになると文章も変わってくるよ。 そして君も変わる。
- 柊 うろん(@uronly)
- ベストアンサー率12% (113/891)
現行の教え方なら「不要」です いくらか昔なら 「記憶力」「考速度」を伸ばす教育も有益ですが コンピュータの登場後は 学ぶメリット無いです それだけじゃ極めたとしても世界は動きません 「発想力」「論理力」は 限界の無い武器ですが コレは ええと 習って覚えるモノじゃないです 引用して得た「発想」「論理」は需要が無いので これについても 学校の必要は無いと思われます 「自分で考える」姿勢は最重要ですが習えません ですが極めれば中卒でも世界企業で通用します☆ オレの武器は「無駄に複雑な構造の簡略化」です それしか誇れませんが それだけなら負けません 皆が自分だけの才能を誇れてこそ健全な社会です 他のスキルについては 専門外で分かりませんが 学校で役立つのは 休み時間の雑談くらいかとッ 質問者さんが学生なら 多数派でいて欲しいです
- rikukoro2
- ベストアンサー率21% (1316/6196)
思わない。 質問者学校になじめてなく、社会の常識を知らないのかな? >皆さん、おかしいと思ってますよね? と言ってる時点で、『学校は必要ない』思ってる人が多数を占めていると勘違いしていますよね 質問内容から察するに学校というより『義務教育』の事を言っていると思うのだが・・・ 義務教育は必要かどうかのアンケートなんて、結構メジャーなものだし。検索すればスグに回答がでる。 それを知らないって事は単に世間知らず。
補足
なるほど言葉が足らなかったようで、失礼いたしました。 教育がどのような形であれ必要でない、という意図ではございません。 ここで必要ないと言っているのは、打算的な教育システムのことであって教育システムそのものではありません。 しかしながら、「義務教育は必要かどうか」の集計を目的とする質問をする馬鹿は存在するでしょうか?それこそ少し考えればわかることでは?
- asitahaner
- ベストアンサー率24% (18/75)
学校は必要でしょう。 質問者様の仰る事は、稚拙極まりないです。反社会を気取りたいのでしょうが、教育について説きたいのであるなら、もう少し教養を積んでから質問をされないと、背伸びして、反社会を気取っている社会に馴染めない子供にしか見えませんよ。
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補足
ご回答ご苦労様です。公平なご回答にとても考えさせられ、勉強になりました。自分自身の知識の無さを痛感する次第です。 このご回答が、自分の疑問に対する適切な回答であり、これ以上の回答を求めることはあまり意味が無いと判断しましたので、今回はこれで締め切りたいと思います。 200年後、でございますか・・・体感的にも、そのくらいは軽く掛かりそうです。 自分が生きている間は仕方ないとして、いつか、より秩序の整った文明が訪れるのでしょうか。まあ・・・そうであれば、今、自分ひとりが今の教育の欠点を叫んでも支離滅裂になりかねないかもしれないし、ひっかかる点は残りますが、自分は自分の目的へ向かおうと思います。 ただ、自分自身のためにも、これからも社会のことに関心を持ち、その中の問題点に自覚的でありたいと思う次第です。 優れた大学の講義はこのような感じなのでしょうか? 早く大学へ行きたいと思う次第です。 最後になりますが、質問内容を改めて読み返してみると、現在教職につく方や、また他の人々に、失礼があったのではないかと思います。 この場を借りまして、それに対する謝罪と、そしてご回答された方々へのお礼とさせていただきます。 この度は、誠にありがとうございました。