- ベストアンサー
母から受けた虐待を絶対に許すことができません
私は幼いころから母親に虐待を受け育ちました。 なぜかよくわからないのですが、兄達には虐待をしたことはありません(男であり、力ではかなわないからだと思います) 殴る、蹴るはもちろん、死ねやいなくなれ、この世にいる価値ないなどの言葉での暴力や冬の寒い中表に出されたり、ロングヘアを切らされ、ショートヘア(戦時中の小学生がしていたようなおかっぱ)にさせられた(髪の毛を切らないでと嘆願しましたが、切らされました)もちろん普通にしていても無視したり、物投げられたりしてました。父親の悪口や働くことのできない年齢の私に対して金銭がないのはお前のせいなどの愚痴を聞かされ正直悲しくなりました。 その当時は虐待などは問題にされてない時代であり、子供にはそういうことを子供にあたることは悪いことではないという考え方をする人もいて、苦しいことも理解してくれる人もいませんでした。(なので以前相談したとき虐待かも・・と相談したのです) いまはカウンセリングに通い、少しずつは回復しているのかもしれないのですが、それでも許すことができないのです。 被害者の子供が悪いのであって、親は悪くないという人もおり(初めていったカウンセリングでそのようにいわれたことがあったため)、とても苦しくなることあります。 それと同様に虐待にあわれた方で許せた方はどのようにして許すことができたのでしょうか?教えてください。
- みんなの回答 (21)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
急に全面的に許そうと思わなくても良いんだよ。 今の貴方にとって許せない部分があるなら。 それも貴方の真実。直ぐに許そうとか、今のもやもやから楽になろうとか。そういう極端なスタンスは必要ない。 少しずつなんだよ。そしてそれ位大変な事だったんだよ。 貴方はさらっと虐待と書くけど、当事者の貴方のその苦痛や今にも影を落とすトラウマは簡単にわかりますよなんて言えない。 今の貴方が辛いのももっともなんだよね。 今のしんどいと思う自分がいる事。それもきちんと受けとめてあげる。 大切にしてあげる。 でもね、貴方はもうその虐待の渦中にはいない。 貴方をナビしてくれるカウンセラーの存在もある。 現在進行形では無いんだよ、その虐待は。 そして今という場所から、過去を冷静に受け止める時。 色々な事が見えてくる。虐待そのものを肯定する事は出来ない。 ただ何故愛する子供にそういう態度を取らざるを得なかったのか? そういう親が抱える心の闇。親が苦しんでいた悩み。 そういう存在もまた事実なんだよね。 もっと遡れば自分が子供の時の、自分の親との関係も影響している事もある。だから自分の子にも同じように振舞っても良いなんていう理由は無いんだけど。でも簡単に虐待に至ったわけじゃないと言う部分を貴方なりに少しずつ理解していく中で、ただ怒りや恨み、混乱混沌の中で苦しむだけの貴方からは成長していける。 その貴方の成長の中で、少しずつ許すと言うか、今を大切に生きていくための前向きな整理として受け止めていく事。 それが貴方にとっての大きく言えば許しへのプロセスなんだよね。 もしそれが時間が掛かるなら。それは時間を掛けて良い。 今すぐ貴方に何かを悟らせて、一つの方向を創れなんて誰も言ってない。少しずつで良いんだよ。 そして一番大事なのは、そういう辛い体験もあったけど、頑張って今に至っている現実。今なんだよ、大切なのは。 その今を大切にする為に過去の整理も同時進行でやっていく。 でも過去ばかりに捉われないで、貴方の眼前にある今を貴方なりに積み上げていく。前に進んでいく。それが過去をより過去として整理しやすくしていく大切な一歩なんだからね。 波があっても良いんだよ。貴方には貴方の受け止め方があるんだから。 焦らずに。でもこれからもカウンセリングも前向きに、貴方自身の人生も前向きに受け止めていく。そして現実に歩を進めていく。 それが貴方の真の回復に繋がっていくんだから☆
その他の回答 (20)
質問者さんは、現在何歳位なのでしょう。 さて、私も虐待を受けて育ちました。 私は長兄から・・家の事情で長兄夫婦に育てられました。 その間7年ほど・・つまり虐待も7年続いた訳です。 もっとも、中学2年になった時・・ふと気付くと今までよりも殴られる回数が減りました。 が、虐待がなくなった訳ではありませんでしたし、何より長年の虐待の影響で兄の顔を見るのも嫌・・ 側にいるだけで身体が震えるのでした。 まあ、私の虐待経験を書いても仕方ないのですが・・・ 話の都合上・・ 中学を卒業するのを待つように就職をしました。 就職の条件は先ず家から遠い所・・ 家には一寸やそっとでは帰れない所が第一でした。 家を出る・兄の元を離れれば全てがハッピーかと思っていました。 物理的には自分が想像した通りでしたが・・ 心の中はそうは行きませんでした。 もっとも、その様な事が分かるまでには30年の年月が過ぎていました。 家を出て30年以上が過ぎて、ある先生との出会いがあり、その先生の教えを受けようと思う事がありました。 その条件にカウンセリングを受けることがありました。 (まあ、お話ははしょってあります) で、カウンセリングを受け始めると、長兄からの虐待の事が出るわでるわ・・でした。 もう、これは1年や2年では解決しませんでした。 これまたはしょって言えば、虐待の事と向き合える様になるまで7年かかりました。 同じ仲間に体格の良い人、Aさんがいました。 その人の事がまぶしいと言うか、とても苦手でした。 ある日、Aさんが私に・・私(Aさん)を苦手でしょう・・と言われました。 私は何となく避けていたのでしたが、意識してでは無かったのです。 が、それから良くAさんとの関係を見てみると、Aさんが苦手と言うよりも、Aさんの体格が苦手の様でした。 それは、私が虐待を受け始めたのが小学3年の頃からで、長兄とは15才離れています。 つまり、体格は大人と子供・・ その頃の体格差・・虐待をされた事が体格差として感じていたのですね。 ですから、就職してからずっと、体格の良い人や声の大きい人は苦手というか、それらの中に長兄の面影を感じて、避けていた様でした。 つまり、人間関係が偏っていたのですね。 今思えば、どれだけ人間関係で損をしていたのか分かりませんね。 また、物事に立ち向かう事なく、妥協というのか、相手のなすがまま・・の様であったなあ・・と思いました。 その様な事がわかる様になったのは50才以後の事です。 私は長兄を一度も許そうなどと思った事はありませんでした。 ありませんでしたが、ある日、長兄の事が気にならなくなりました。 それがカウンセリングを始めて7年経った頃です。 また、その頃、「ゆるすということ」と言う本に出会いました。 最初は書かれている事が理解出来ないと言うのか、理解したくない様な事が書かれていました。 が、何か心惹かれるものがあったのでしょうね。 何度も何度も読み返しました。 もちろん、何年にもわたってです。 その中で印象に残った言葉があります。 それは、許すとは、虐待なりをした相手を許す事ではなく、囚われている自分を許す事・・とありました。 もちろん、最初は何を言っているのか・・良く分かりませんでした。 カウンセリングと平行して読み返しました。 許すとは、囚われを手放すこと・・と言っても良いと思います。 質問者さんが、今虐待を受けている最中なら、アドバイスも少し変わりますが、今現在虐待を受けていないのであるなら、虐待はもう質問者さんの頭の中にだけあるのです。 そう、記憶と言う事ですね・・ とは、言っても中々受け入れがたい事でしょう。 自分の中ではリアルですもんね。 思い返す度に、今虐待を受けている・・さらに思い返す毎に記憶が強化されるので、もっともっと辛い・・と思います。 書き出せば、虐待の事実を抜きにしても、心の変遷の様子だけでも本の数冊は書けるほどです。 それをわずかな文字数で表すのは至難の業・・ と言うか、意味不明になってしまうことでしょう。 話は飛びますが、許せない最大の原因は、許すと相手の行為がチャラ・・になってしまう・・相手は無罪放免かと思う所にある様です。 許した所で、相手の行為は無くなりはしません。 それは厳然として存在していました。 しかし、その事に対して、質問者さんも・あるいは私もいわゆる復讐はしません。 私の場合は長兄が加害者ですが、加害者を私が罰しはしないと言う事なのです。 それは、長兄の問題なのです。 この事について、今質問者さんと議論をするつもりはありません。 気にならなくなった暁には、ここに書いてある事が理解されると思います。 本当は時期尚早なのですが、文字数の関係でやむを得ず書いてみました。 今長兄の事は、可哀想な人と思っています。 それ以上でも以下でもありません。 また、私が気にならなくなってまもなく訪ねて行った事がありますが、会うことは出来ませんでした。 次に長兄の事を聞いたのは遠い所へ旅立った・・と、でした。 もう、話をすることも不可能となりました。 さて、 今の私の心境は、あの虐待があったからこそ、先生との出会いと、自分を見つめるきっかけが得られた・・と思います。 虐待も何もなく幸せに育ったなら・・それはそれで本当に幸せであった事でしょう。 が、その様に育ったなら、自分と向き合う・・ 自分を学ぶと言う事もなかった様に感じます。 そして何より、今私の心は平穏そのもの・・ 平穏さを感じられるのも、あの虐待があったから・・の様に思います。 質問者さんがお母さんを今許す必要はない・・様に思います。 が、自分の思いを手放す作業をして行って、思いを少しでも手放すことができはじめると・・ 気付いた時は、ああ、これが許す・・と言う事かも・・と思う事でしょう。 お母さんを恨むのも分かります・・ その恨みの気持ちを捨てるのが惜しい・・気持ちも・・ しかし、お母さんから受けた仕打ちのあれこれを思い出している間。 何が起こっているか・・です。 それは、質問者さんの人生なのに、お母さん・・本当はお母さんではなくお母さんから受けた仕打ちの記憶なのですが・・に人生を乗っ取られているのです。 ここは、中々理解しにくいかも知れません。 何を言っているの・・だろうと思います。 思いを手放した時・・世界はこれほど広く、そして希望に満ちて、なおかつ質問者さんを祝福してくれていることを感じる事でしょう。 その日が一日も早くくることを祈っています。
お礼
私は今でもまだ母親から危害を受けます。 20歳を超えているので、助けを受けるということは無理なのですが、証拠がわかりやすかった(髪の毛)ため支援する友人がいたことが救いになります。 絶対に許すことは今のところ無理だと思います。時間がかかるものと思い母親の存在が消えるくらいになれるだけになりたいです。
- rosavermelha
- ベストアンサー率33% (334/1006)
回答が多いので、重複している部分があったらごめんなさい。 悪いことをした人は、神様が見ています。 そして、必ず報いの罰を与えます。必ずです。 生きている間かもしれないし、死後かもしれませんが。 「神様」と言う言葉が宗教臭くて信じられないのなら、「お天道様」でもいいです。 世の通りとして、悪いことをした人は、そのままでは死ねないのが世の常なのです。 その後、お母さんの人生はどんな風だったでしょうか。 いつも幸せそうでしたでしょうか。 きっと、そうではなかったのではないでしょうか。 だからね、 あなたは憎まなくてもいいんです。 「幸せになんてなれない、見ている人がいるから」そう思って、あなたの中から、憎しみを、考えることを、その問題を放棄しましょう。 思いだせば思いだすほど、あなたの記憶はより鮮明になっていきます。 学生のころ、英単語の記憶ってしませんでしたか? たくさん思いだすことで、よく身に付いたでしょう? 嫌な記憶も同じなんです。 次に思いだすときは、白黒で思いだす努力をしてください。 その次は、白黒で、少し遠くに思いだしてください。 その次は、もっと遠くです。 その次は、もっともっと遠くです。ほら、なんだかぼんやりしてきたでしょう? そうやって、思いだしてしまうときには、意図的にイメージをぼやかして遠くに押しやると良いです。
- hibanatiru
- ベストアンサー率13% (33/249)
許さなくて良いと思います。 昔は、被害者に加害者を許させることで、心の平安に導くようなカウンセリングというか治療(?)が主流でした。 しかし、被害を受けた者に加害者を許せというのは、被害者に更なる負担を強いることになります。 最近は、被害者に許しを強いる方法でのカウンセリングは減って来ているようです。 カウンセリングの手法にも、時代によって流行り廃りがあるので、take1786さんが受けられたカウンセリングが、たまたま、take1786さんに合わなかっただけではないかと思います。 take1786さんが許せる日が来た時に許せば良いです。 無理に、許さなければならない・・・みたいな義務感は感じなくていいんじゃないでしょうか?
お礼
地域社会で虐待者を許しなさい、虐待は悪くないということが多くて、私自身「こんなつらいことされて・・」と思ってました。でも許せないことが悪いことでなく、現段階で許せなくても、いつか許せるようなというか忘れられればよいです。 ありがとうございます
- mizukiyuli
- ベストアンサー率34% (1106/3224)
許さないと自分が辛いというのはちょっと違うと思いますよ。 簡単に言うとそうなってしまうのですが…。 感覚的に言うと"忘れる"です。 どうでもいいじゃないですか親なんてー。 自分を憎んだDNAにちょっと共通点があるだけの他人にいつまでも囚われて人生棒に振るなんてアホらしいですよ! そんな事忘れてもっと人生を楽しみましょう! という感じです。 別に許そうと思わなくていいんですよ。 どうでもよくなってしまえばいいんです。 それが心理学的?に言うと「許した」になってしまうのかもしれません。 親だから、って思わずに何も期待せず、他人だと思いました。 そこから5年くらいしたらかわいそうな人だなって思えてきました。 そうしたらもうずいぶんどうでもよくなっていましたよ。 >親は悪くないという人もおり それほんとにカウンセリングですか? ちゃんとした先生なら患者を否定するような事は絶対言わないと思いますが…。 そんな病院やクリニックは二度と行かない方がいいですよ。
お礼
加害者専門カウンセリングにいってしまったようです。もうそこには死んでも行きません。 自分自身が非常に弱くまだされたことを忘れることができません。 人生たのしめるくらいになるようにしたいです ありがとうございます
- f5system
- ベストアンサー率8% (79/896)
最愛の我が子を虐待することは、 母親にとって、自分の身を抉り取るようなものなんですね。 つまり、それほど追い込まれていたと言うことになります。 もしもあなたが居なければ、そのはけ口がないから、 やけを起こして、自殺行為をしているでしょう。 いわば、あなたが命の恩人と言うことになります。 身を挺して母親を守ったのは実はあなたなんです。 今は立場が変わってあなたは子供さんのお立場ですが、 あなたが昔は母親のお立場なのかも知れません。 切っても切れない深い宿縁があるのです。
お礼
虐待は親の権利というくらいな人なので多分楽しんでやっていたのでしょう。母親は虐待自体がわるいものでなく、いいものだともいってまして・・・・・苦しむそぶりはないです。 命の恩人だなんて思えばという考え方もあるのですね。 ありがとうございます
- tentek
- ベストアンサー率31% (6/19)
私の母も暴力的で決して非を認めない人でした。 おかげ様でいい歳になった今も反抗期なまま、 私もある意味欠陥人間です。 「親」として見ることが出来ず、 「粗暴な他人なんだ」として距離を置くことで ある時期から親が小さく見えました。 今では母は反面教師だったと、精神面で鍛えられたと 前を向くようにしています。 これからのあなたの人生、 後ろを見てばかりでは勿体無いです。 無理して許す必要もありません。 前を見て、周りを見渡して、色々な幸せを集めて いつか過去の恨みが薄れると良いですね。
お礼
距離をおいて考える。 そんなこともあるのか!と回答してくださったかたからのご意見に感動しています。 許すのはまだ難しいですが、母親の存在が薄くなると良いですが・・・ ありがとうございます。
- usamr
- ベストアンサー率21% (110/521)
辛かったですね。 表には決して出ない闇の部分が沢山あるのだとおもいます。 親を許すか許さないかについては・・・ そういう親には免罪符などありませんから、許す必要などありません。 虐待という事実を忘れられないということは、とても辛いことですが それを逆手にとりプラス思考で考えてみてください。 不幸な境遇は時として、強靭な精神力という副産物をもたらすこともあるのです。 打たれ強い・逆境に強いということは、生きていく上でとても重要な要素です。 貴女が現在こうして存在なさっていることが、その証拠です。 苦しい気持ちを楽にするためには、親を他人と思うことです。 自分は、もっと人間的に素晴らしい親から生まれたのだ こうおもうことで、因縁は断ち切れるとおもいます。 親でなければ関わりあうこともありませんからね。 面倒であれば親子関係を抹消して戸籍の上でも完全に他人になればいいんです。 愛想を尽かして親と絶縁するなんて話も実際ありますから。 よほどお嫌でしたら、そういうこともお考えください。 憎い相手のことはもう頭におかないこと。 でも、されたことは絶対に忘れないこと。 それは自分が生きていく上で必要不可欠な貴重な実体験なのですから。 そして…自分が絶対に同じ轍を踏まないこと (ご自分が悪いわけではないのでこの表現は少し違うかもしれませんが) 私が相談者様の立場なら、上記を踏まえて生きていきます。 過去は過去…これからは未来あるのみ ご自分の人生を精一杯生きてください! 輝ける将来に希望をもって、前向きに歩を進めましょう! 応援しています!
お礼
いままで報道などでされたことを許さなければならないという意見もあるため、私もそうしなければならないとずっと思っていました。母がしたことを許せない、怒ってるって思うこと自体悪いと思い、どことなく感情を抑えていました。 体のt調子をわるくしたので、よくなったら、絶対に寮のある会社を選んで母親の思うままにはならない(外ヅラはよいので強硬なことはしないと思う)仕事について絶縁しようと思っています。すぐにはならないでしょうけど、ありがとうございます
- igreg
- ベストアンサー率16% (64/385)
許すという作業は、自分に不正を働いた他人を許すのではなく、自分の心を憎しみや苦しみのしがらみから解放し許す作業だと思います。もう苦しまなくてもいいよと自分に許可を与えるのです。自分に不正を働いた相手を本当に許す事ができたら、それは素晴らしい事ですが、それは目的ではなく、最後について来るおまけのようなものだと思います。頭で考えて自分に不正を働いた人を許す事は出来ません。もしも、あなたが将来、お母さんを許す事ができるとしたら、それは自然と心の中に芽生えて来るもののはずです。第一歩としては、幼い頃の自分が受けた虐待は、理不尽なもので、子供としての自分が悪かったから虐待を受けたわけではないと理解し、それでも辛い状況を子供ながらに許容して来た過去の幼い自分を慈愛をもって受け入れてあげる事だと思います。 悲しみや憎悪を心の中に持ち続けるには、そうと意識しなくても、莫大なエネルギーを必用とします。その苦しみが長く続けば、心身ともに憔悴してしまいます。でもこの負のエネルギーは別のものに変化させる事が出来ます。たとえば、真夜中に同じ事ばかりが頭の中をぐるぐる回ってどうしようもない時に、絵を描くとか、習字をするとか、文章を書いてみるとか… ボランティアをする人もいるし、祈る人もいるし、運動をする人もいると思います。要は、持て余しているエネルギーを別の方法で発散させてあげるのです。私は、何かの作業に打ち込んでいる間は、頭が考える事を停止して作業に熱中できます。 長い道のりだとは思いますが、あなたの文章を読んでいると、将来は明るいように思えます。ご自愛下さい。
お礼
私は弱い人間なんですね。ついつい考えてしまうことというか自分と対決するため虐待の本を読むのですが、母からされたことが鮮明に思い出されたり、記憶がなくなったりしてしまうんです。自分は悪くないという思考が今までありませんでした。(カウンセラーさんで会うまで) 運動したり、料理したりすることはあまり考えていなかったですが、無心になってなにかに打ち込むということはしたいです。
補足
ありがとうございます。いままで受け入れることができなかったですし、禁じられていたこともあり、そういうかんがえをもっていいんだとうれしくなりました。
- pwtqwtp
- ベストアンサー率45% (198/432)
こんばんは。 許そうと考えている質問者様をすごいと思いました。 私は親を許そうと考えたことは今まで一度たりともありません。 小さい頃から私も虐待を受け、今でも身体に傷が残っています。その傷を見る度に親への憎しみが増し、一緒に暮らしている時は常にいつ消そうか、どのようにして‥ など様々なことを考えていました。許すなどという考えや親の心情を理解するなどという考えなどは全くなかったですね。 何歩譲っても、殴ったり子供に刃物を突きつけたりなど到底理解し難い行動であり、私は一度たりとも親とも思ったこともありませんでした。 親にも何か悩みがあり、どのように育ったかも影響して虐待をする、、とは聞きますが、私の親は自分の思い通りにならないと気が済まない‥それだけの理由で虐待を繰り返していました。 成長過程でそのような考え方になったのだとしても、結果虐待に結び付くのは今でも共感は出来ないし理解しようとも許そうとも思いません。 一緒に暮らしていると、いつか私は親を消すかもしれないと思い、あんな親のせいで自分の手を汚すくらいなら‥と、絶縁しました。 今では、全く連絡も取らず、どこで何をしてるかも知りません。 親は、それでも子供を育てるために学校に通わせてご飯食べさせて、と衣食住を与えてくれてる‥と言われる方もいますが、それは子供を作った以上当然の責任であって、虐待とはまた別の話しなんですよね。親だから何してもいいって訳でもないし。衣食住に感謝はしても、それ以外は何一つ許せず尊敬出来ることなど無かった‥。 と、私の話しばかりですみません。 なので、質問者様の望む、許す方法の回答ではないのですが、自分の気持ちを抑えてまで許すのも無理が生じると思います。 何で虐待などしたのか‥理由も知れば納得して一歩近づけるかもしれませんが、私は理由を知って余計怒りが増しました。 絶対にこんな人間にはならないという教訓はできましたけどね。 私は、周りの友達に(重くならないように)境遇を話すこと、聞いてもらうことで少しずつ楽にはなっていってます。 あとは、絶縁したことで顔を合わせることもなくなり、傷を見れば嫌な過去は思い出しますが目の前に憎むべき対象がいないことで精神的にもかなり落ち着いています。 何年経ってもいまだ許す気持ちになれないのに、無理に許そうとしても、自分に負担がかかるだけなので、この先自分はアイツのようにはならないという、その気持ちで乗り切ろうと思っています。 子供がまだいないのでこの先の不安はありますが、周りの友人は、親に傷つけられる痛みを一番分かっているので、子供が出来てもきっと大丈夫!と言ってくれています。それも、私には救いになっています。 質問者様も、今の時点で心から許せる‥という心境でないなら、無理に許そうとせず、許せないなら許せないままで今はいいと思います。 この先、いろんな人と出会い、いろんな経験をして、その先でもし、今なら親のしたことを許せるかもしれない‥許せるほどの幸せを掴んだ!そう思った時に許せばいいと思います。 自分の気持ちに正直に、焦らずゆっくりで良いと思います。 まとまりなくてすみません。かなり割愛しましたが私自身のことを具体的に書くとかなり引くと思いまして、分かりづらかったらすみません。
お礼
本当は許すということ現段階では正直無理です。よく報道などに許さなければならないようなこと結構あるじゃないですか、気持ちも落ち着くってかかれていたりする・・・でも私現段階では無理です。正直怒りの方が多いし、虐待の話を聞くたびに思い出してしまったりします。 母は望んでいた男でないことで手をだしたり、虐待を繰り返してました。 回答者さまと同様感謝しなければならないことは頭でわかっているけど、心は受け入れることが今の段階では無理なんです。髪のことは友人にさらりと「本当はロングのままがよかった」とさらりと言えるような関係です。 私はまだ母と同じようなことをしてしまう可能性があるので、むずかしいですがそれを直してたのしいことしたいです。
補足
おなじ悩みを打ち明けられる人に出会えて本当にうれしいです。ありがとうございます
>虐待にあわれた方で許せた方はどのようにして許すことができたのでしょうか? 親よりも強くなったからですよ^^ 逃げずに利用することも覚えました。 今でも力関係だけです。 私が弱っていると攻撃してくる親ですから 甘えなんて以ての外ですね^^ 親に多くを求めないことは自分のためにもなります。 求めて拒絶されることは失恋に似ています。 その喪失感は失恋の比ではありませんけれど。 とりあえず今、生きている。 自分で勝ち取った人生を自分でどう生きるのか決めましょう。 いつまでも親に振り回されているのは馬鹿馬鹿しいですよね? 貴方の人生は貴方だけのものです。 私が自殺を考えたのは9歳の時でした。 母親の虐待、父親の無関心、兄弟からのイジメ。 だから? 私は今、とても幸せですよ。
お礼
私も同様に弱ったりするとやられます。ただ近所のおばさん連が母親が虐待をしていると噂話がでるとうってかわったかのうように人が変わり、そういうのを利用したりしたことあります。 許す許さないを考えるよりも、それを考えなくなれるように生きることが一番大事なのだと発想を変えてみるようにしてみようと思います。
- 1
- 2
お礼
ありがとうございます。一時期は死をも考えた時期もありました。死んだほうが楽なのかなって・・でも生きてないとしょうがないですよね。 父親ともうまくいってなかったみたいですし、金銭的にも辛い時期であったり、私が女であったことも祖母から責められたようです。苦しいとって相談する場を間違えのではカウンセラーさんにも言われました。 誰も味方はいないと落ち込んでばかりでしたが、ここで相談して決して一人ではないことがわかりうれしかったです。
補足
今までずっと許さなければならない、許さなければいけないとずっと回りからも言われ続け、そうしなければならないと思っていました。でも心のどこかではあんなことしてなんで!!と涙がでることもありました。許さなくてもよいのだとおもえるようになってすごく楽になりました。今までどことなく感情とか女性であることなどを殺してきた部分もありました。そんな自分を受け止めることから始めたいです。