天理教と嫁姑
姑は、熱心な天理教信者です。
妊娠を機に退職してから、教会へ誘われるようになってきました。
これまで、姑孝行と思って、声をかけられればついて行き、様々なお話をしたり、聞いたりしてきました。
出産前は、これといって特徴もない世間話の延長のような話がほとんどでしたが、産後、少しずつ状況や話の内容が変わり、今は、教会に対して疑問を感じるようになってきました。
以下の内容について、ご意見いただければ幸いです。
(1)修養科について
3ヶ月奈良の天理市で教義について学ぶ「修養科」に行くよう、何度も誘われています。
3ヶ月もの間、主人と離れて過ごすことが子どもにとってどう影響するかが心配でたまりません。
もちろん、悪い事ばかりではないと思いますが、何故家族が離れ離れにならないといけないのか、どうしても納得できません。
(2)子育てについて
子育て論に関しても疑問が満載です。
年上の子と、年下の子が使いたいおもちゃが重なってしまった場合、天理教では、年下の子に我慢させる、と言われました。
私の感覚としては、年上の子が譲ってあげるものだと思っていたので、驚きました。
「年下の子が我慢する→年上(年長者)を立てる→社会で生きやすい関わり方を学ぶ」が理由のようです。
それでは、思いやりや労り、憧れといった気持ちは育たないのでは?と思います。
姑に素直に気持ちをぶつけたところ「世間で言われている子育て論と違って、天理教の考え方にはきちんと裏付けがある」と、返されました。
また、これは私の通っている教会に限ってかもしれませんが、お母さん同士のおしゃべりに花が咲きすぎて、子どもが野放しになっていることが多いのが気になります。
我が子(1歳半)は必ず泣かされます。
姑は「(泣かされる事も)家では経験できないもんね」と、あくまで前向きです。
私も、子どもは子ども同士で成長すると思っているので、大抵の事では仲裁しないように見守っていますが、何の理由もなく、大きな子にオモチャを投げつけられたり、押し倒されて頭をぶつけたりしたこともあるので、気が気ではありません。
理不尽に我が子を泣かせたお子さんの親御さんは、大体友達とのおしゃべりに夢中になっているか、みていても「だめよ~」の一言で終わります。
そういう方ばかりではないと思いますが、天理教の子育ての教えについても興味が失せてしまいました。
私の感覚が間違っているのか・・・、それとも通っている教会が良くないのか・・・(●´^`●)
お嫁に行った以上、姑の考えに沿って共感出来たらいいなと思っています。
また、この問題とは長い付き合いになりそうなので、今後どのようにしたら良いか、みなさんのアドバイスをお聞かせください。
お礼
そうですか。私は気付かなかったんですが、味が違うんですね。 素早い回答ありがとうございます。