事なかれ主義はなぜはびこる
「事あれ」主義と言うものがあるならば(実際少ないのでこういう言い方もないのでしょう)なぜ、「事なかれ主義」に圧倒されるのでしょうか?
よくある例では、自分にあまり好意的でない(様に思える)し、自分もあまり交換をもてないような人との人間関係について誰かに相談すると、よく「それは悪意じゃないんじゃないか」とか「お前の思い込みじゃないのか」とか、つまり「お前の考え方がおかしいし被害妄想だ」というようなことを言う人がよくおります。これは考えようによっては相談者にとって失礼なことです。またこの事なかれ主義で本当に相談者が「そうかたぶん自分の思いすごしだったな」などと納得することはめったになく、「なんだ、まじめに聞いてくれないのか」という不満不信感を抱くことも多いのではないでしょうか?
もしそうならば、実効性も礼儀にも失するこのような「事なかれ主義」はどうして「事あれ主義」を圧倒するのでしょうか?
ちなみに「事あれ主義」とは「そうか、あいつはとんでもないやつだから、お前の悪口をそこらじゅうでしているかもしれないぞ」とかいう類の、相談者の訴えを認めるだけでなくさらに追い討ちをかけるように拡大させる姿勢です。
お礼
臆病ですね。有難うございます。