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意味論的転回とは
「意味論的転回」という本をチラッと読んでみると、内容てんこ盛りなんですが、何か説明書を読んでいるような印象です。 この気持ちの原因はなんでしょうか? 読まれたことある方は違和感はなかったですか? あと、意味論的転回とはどういう意味でしょうか?
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カントはご存知のように「コペルニクス的転回」によって、経験的認識が、外的世界の刺激を必要とするのに、それに反対して超越論的認識には外界の刺激を必要としない、自己触発があれば十分と言って、認識は私の表象にしたがう、といいましたが、これって間違いなのではないでしょうか? カントはデカルトと同じように、人間の内と外を分けて、認識は外にあるものを受容するのではなく、内にあるものを表象することだけで認識ができる、と言ったことになりますが、そもそも人間に「内なるもの」ってあるのでしょうか? フッサールは意識に関して、その本質は「志向性」にあると言っていますが、「志向性」とは、何ものかの意識で、意識内在というものはなく、意識は外に向かっているということです。 このフッサールの意識の考えはデカルトとカントの批判、つまり意識とか自我は人間の内部にある、ということへの批判として言われたことでした。 この考えを受けて、ハイデガーは実存の本質は「脱自・エクスターゼ」と言っていますが、「脱自」とは、おのれの外に出る、という意味。 だとするとカントのいう「コペルニクス的転回」は経験的認識よりも、超越論的認識の方が優位であり、先行する、ということを言ったものであり、人間の外よりも内が優位と言ったのと同じだとすれば、それではまるでフッサールやハイデガーがいうのとは逆になります。 そもそも人間の「内部」とか「内面」があるということが言われたのは、日本では明治維新以降であり、柄谷行人は「日本近代文学の起源」で、明治の言語改革によって、人為的に、制度的に作られたものと言っています。 つまり「内部」とか「内面」というのは、人間に生まれもってあるのではなく、それは「言説・ディススクール」だったということです。 たとえば近代文学では、文学を「内面の表現」という言い方をしますが、「表現」とはエクス・プレッションの訳で、「エクス」というのは、内部があって、それを外に押し出す、という意味ですから、あらかじめ「内面」があることを前提にしています。 しかし、その前提が戦後の70年代に消えました。 その結果、近代文学という制度が終わりました。 なぜ終わったのかといえば、19世紀に登場した「国民国家」が戦後終焉したからです。 言い代えると「内部」とか「内面」は戦争をする為に必要とされたからです。 戦争が終わって、それが必要ではなくなった、ということです。 さらに言えば、近代文学が必要でなくなった、ということです。 「内部」「内面」がなくなったとすれば、カントのいう「コペルニクス的転回」も、同時に終わったのではないでしょうか? つまりカントのいう超越論的認識の優位が終わって、経験的認識の優位に戻ったということ。 もう一度「コペルニクス的転回」を転回させる必要があるのではないか、ということです。 どう思いますか?
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お礼
回答ありがとございます。 >「おおかみ」は「おおいなるかみ」からきた言葉とか、究極のメタファーとは何かとか、そういえばそうかもしれないが、「何の意味がある」のという世界。 確かに、「おおかみ」と呼ぶ背後にある抽象的本質が示されてない(というかそこにあまり関心が無い?)まま説明だけは進むような感じですね。 ただ、こちらが既に本質を掴んだ状態で説明を読むとよく纏まってるなと感じます。「アレの応用ね!」という風に。 的確な回答をいただきスッキリしました。