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人に対する普通・普通じゃない(異常)という評価・区別に意義があるんでしょうか。

あの人は普通じゃない、普通だ、変だ、変わっている。 こういうことを言う人がいますが、こういう評価・区別それ自体には何か意義があるんでしょうか。 語るべきなのは具体的に何が起こるかだと思います。 変だからどうのというのはいじめっ子の感情論と変わらないと思うし、普通かどうかが良し悪しの事だと思っているのだとしたら本末転倒な気がします。 なので普通だとかははっきり言ってどうでも良い話だと思うんですが・・。 もしかしたら人は取り合えずそういうグループに分けたがるものなのかもしれませんが。倫理の先生が、人は自分が普通だと思って安心したがると言っていました。 実際のところどうなんでしょう。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.1

>>倫理の先生が、人は自分が普通だと思って安心したがると言っていました。実際のところどうなんでしょう。 普通とか常識とかは思考の上でとても大切なことなんですよ。 普通という思考は大体、論理だってものごとについて考えることが出来るという意味なのですね。みんながそうしているから普通とか、みんながやっていないから異常という見方は思考的な見方ではなく眼で観た観察的な見方なんですね。倫理の先生は動物的群れとしての行動について述べているのでしょうが、人間は羊やヤギではないですからね。 普通というのは、みんなが同じ行動をしたときの様を考察した時、容認できる程度のことですね。容認できなければ異常という見方ですね。 状況にもよりますが、例えば、風呂の中でもぐって息を止める。これは何のへんなとことが無いように思いますが、これが日本中で行われた場合はどうでしょう。お父さんはなにしているのと聞かれて風呂の中でもぐって息を止めてる、と、どこの家でも答えられたら異常ですよね。 イスラム教はそんな異常がありますね。宗教というだけで思考が止まると、異常が正常になり、あのような世界(全員が同じ時間に礼拝する)が広がるのですね。だから常識とか普通というのは大切な思考なんですよ。

noname#97419
質問者

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noname#97419
質問者

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そうですよね。正常とかそうじゃないとか。そういうので判断したり、異変に気づいたりということはありますよね。 上のほうで、現在の青少年に変化があるなら実態を明らかにすることが今後を考えることに役に立つという例が出ていますし。 私は何か観察的な見方について違和感を感じたんですね。

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回答No.16

おはようございます、kanotaさん。 【調査の分析結果】 http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth7/html/no3-1-1.html

noname#97419
質問者

お礼

こんばんはlittlekissさん。ありがとうございます。

noname#97419
質問者

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変化があるなら実態を明らかにし、変化の徴候や変化への志向について検討することが今後のありようを考える上で役に立つ。わけですね。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.15

 例えば 厳しく排斥されるべき などと言っている人間は、自分の無知無能さを自覚していないという点において、欺瞞と誤謬に満ちた人間であり、結果として厳しく排斥するべきと主張する人間と干渉し合うわけです。  おそらく、カウンセリングや、精神分析を受け、それを受け入れることで自分も現在その職種あるいはそういった認識に基づいた世界観と日常生活での態度振る舞いをすることにより、以前の自分のような人間からの エネルギー源を必要としている というタイプの人間なのでしょう  理性や理念でなく、その場の感情や人間関係の雰囲気、空気「のみ」で対処し、原罪の本当の意味を理解することなく無知を振りまき続けている人間は、たとえばイエスを排斥した(とされる話に代表される)ような人間に見られる、まさに自分が倣岸不遜な人間であるわけです。  邪や偽、虚などは自分の正しい振る舞いにおいてその 偽りを 明らかにし、自然消滅させるものであることも理解できない人間は、悟性を発達させることもなく、同時に感情も死んでしまったんでしょう  私の経験から言えば、精神異常者とかかわっているカウンセラーやそれに準ずるような人間は、やはり 精神異常者から強い影響を受け、似たような人間になってしまっている という感があります。  他者の精神をいじくりまわし、優越感、優越心に浸っているという点において、まさに因果応報であるわけです。

noname#97419
質問者

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ありがとうございます。

noname#89643
noname#89643
回答No.14

異常性のその最大の特徴は自分は異常かも知れないと疑い得ないところにある。 精神病理的にいえばそこに起こる現象に取り込まれてはいるが自意識の境界の破れ感は思考ベクトルを外に向け流出させていると自ら能動的にとらえることによって自意識の破れという異常性として自己認識し罪悪感となることを回避させている状態と推察できる。 仏教的見地より言えば 所謂悪魔との対話もしくは神との対話の中で取り込まれそこから抜け出せなくなった意識体であると言うことができる。 正道に入る前に起こる邪として厳しく排斥される。

noname#97419
質問者

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ありがとうございます。

noname#89612
noname#89612
回答No.13

精神分裂病の特徴に意識の読み取られ感というのがありますが ある宗教による分裂病の意識修正はその思考ベクトルの方向を変え 分裂病者のある考えは主からの意識の流出でありそれをさらにある特定の人間に流出させたという意識流出感となり取り込んでいくという精神構造にもっていくようですね。 その知による行為そのものが自然から乖離した原罪そのものであることを理解しないまま精神分裂病群というコミュニティーを形成する。 そこにカルト宗教の特徴が出始めると 神は3秒先を創造しているとか 半歩先を読んでいる といった奇跡を口走り始めたりする。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#97419
質問者

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すいません。ちょっと分かり難いです。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.12

 結局、今までの回答に見られるような自分の都合による相対評価しか当てはめられない 病的 な社会が問題なんでしょう、そういう人に限って 病的 と主張するのは興味深いところです。

noname#97419
質問者

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ありがとうございます。

  • pupurpu
  • ベストアンサー率15% (29/192)
回答No.11

人に対しての対応の問題でしょう。 現実には恋人と付き合ってて、精神不安定になる。なぜか? 問いでも、心がなかったり、それを見ない人、傲慢でわがままだったり、としっかり常識や人には心があり、自分の思いが相手にとって嫌な場合があっても、相手のことをなんとも思わないとか、心を創造できないとかがありますね。  恋愛の場合、「普通だ、変だ、」しっかり見極めて、別れたり付き合ったりしてるのが現実でしょう。 つまり、区別していく人のほうの利益にかかわる。ということでしょう。  あいつは変だからつきあわない。  普通じゃない人からはかかわりたくない。ということでしょう。  つまり、嫌な思いをさせられたくないし、それを避けるために 「判断」する。  通常は常識や人の心を基準にすると思いますが、 以前、大麻を吸ってる彼の恋愛相談では、みんな異常だ、警察いけと回答されてましたが、何が異常で何が正常がわからなくなってる時代ではありますね。  しかし、大麻をやってる彼といれば、不幸(逮捕があったり)になる場合がある。ということで、他人の影響が自分の幸不幸に関わるから、不幸から遠ざかるために、評価区別はみんなやってると思いますよ。 自分の利益のためでしょう。 結局人に評価されないと、選挙でも当選しませんし、応援もないでしょう。  つまりは、自分ひとりでいきてるわけじゃないし、 就職でもなんでも、相手がいて、相手が決めるという現実が変えようもなくあるので、誰が見ても評価される自分を作る、成長するということが大事ではないでしょうか。  人は区別しますし、評価します。人が信頼から選びます。  信じても裏切るやつは、見抜きます。当然ですが、だまされたくないから。  >>何か意義があるんでしょうか。  自分の幸不幸のため、しっかり見抜きます。恋愛なら嫌な人とは付き合いません。これが評価です。  あなたも人に選ばれなければ何もできないという現実を知ったほうがいいでしょう。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#97419
質問者

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そうですよね。正常とかそうじゃないとか。そういうので判断したり、異変に気づいたりということはありますよね。 人間性、人との信頼、対人関係の難しさ、相性、好き嫌い、言動 etc.

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.10

 善悪を相対的で、観じ方の問題 とするような論理思考能力と洞察力のない人間が多い現在の社会では、平均的でない人間は排除される傾向にあります。  観じ方の問題でないから 善悪 という表現があるのに...  父性と母性がそれぞれ何を象徴し、今現在は 戦争と戦後の政策 の影響によりどうなっているのか  それが理解するための鍵でしょう

noname#97419
質問者

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ありがとうございます。

回答No.9

回答なっていなかったらすいません。 普通、普通ではないの話は、善・悪、左・右と言うような、物事を判断する為の基準の一つで、それ自体の意義に関しては、場合や思考、観方感じ方の問題だと思います。 ようは、その物事に対して普通・異常の見方を重視していればそう言う答えが出るだろうし、別の見方をしていればそれなりの答えになるのではないでしょうか。 人や立場、その時の状況や感覚などの要素もあると思いますネ。

noname#97419
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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.8

自尊心、優位感などがからんでくると思います。 例えば古代ギリシャ人は、他民族をバルバロイと呼んでいた。 中国も万里の長城だったか、なんだったか忘れましたが、それより外に住む人々を蔑称で呼んでいた。 日本も蝦夷という蔑称を使い大和朝廷に服従しないものを差別した。 自分達とは違う特徴がある集団を蔑称することに異議があるのか。 自分達の集団の結束力を高めるという効果があると思います。 また、「○○のような行為だ」ということで、○○のような行為をするのをやめさせ、自分達がまっとうとする行為をするように、他者の行為の修正を促す役目もある。 そのマイノリティー行動をする人が、言われてマイナーとされる考え方、行動に改めたら、目的は成功したことになるわけです。 例えばある宗教。 ローマ帝国の皇帝は、宗教を使うことで、いろんな価値観を持ついろんな民族が住んでいる巨大な帝国を一つにまとめようとした。 キリスト教に入っている人がメジャーで、そうではない信者は生きずらいような法律を制定した。 すると、人々は多くの信者を持つキリスト教がまっとうな宗教で、それ以外の宗教をやっているのは悪い人だって認識になるわけです。 メジャーの仲間入りをすれば、迫害されないし、善いことをやっていると褒められる。 「大きなものには撒かれろ」は処世術。 つまり人が常識を作り出しているわけで、正しいから常識になったわけじゃあないわけです。 で、普通とするには、普通じゃない人が存在してくれないと困るわけです。 善なる神を存在させるためには、悪魔の存在が不可欠。 だから、キリスト教はたくさんの悪魔を作り出した。 沢山の悪魔を作り出すほどに、自分達の信仰する神がどんどんいい神さまになるって思ったわけです。 キリスト教が悪魔ってしたのは、侵略した土地で信仰されていた神なんです。 侵略先の人々を取り込むために、彼らが信仰している神は悪魔だとして改宗させた。 >語るべきなのは具体的に何が起こるかだと思います。 具体的にその大きな集団が優位性を持ち、幸福なに酔うためにされた人為的なもの。 その人為的なことで、どんな悲劇が生まれたか? ホロコースト。 優位性って考えは、逆とされる人々の存在を許せないまでになり、ポア思想的な考えになり、精神障害者、身体障害者、異宗教信者を殺害する政策が生まれ、実行された。 ゲルマン民族が一番優秀って考えがあったわけですが、結局それって、バルバロイと他の民族を呼んだりしていたのと同じ考え。 異なるものを集団から排除する。 その集団が「弱い」からです。 優秀だから優秀ではないものを排除していいって考えの奥にあるものは、異なるものの存在を受容できない弱さです。

noname#97419
質問者

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ありがとうございます。

noname#89707
noname#89707
回答No.7

大切なことは、その人がその人らしく在れていないということを、気づけるかと言うことだと確かに思います。 そのように、気づくことができたならば、事故や病気を未然に防ぐことができるからです。 人は、自分についても、よく気をつけていなければならないでしょう。 そして、他の人について気をつけてあげていなければならないのはもちろんで、言うまでもないことなのです。 気をつけることによって、人は安らかな人生をまっとうすることができるのだと確かに思います。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 違いを受け入れたいです。

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