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魂は存在するか!!

mesenfantsの回答

回答No.2

まるで「現象学的還元」を地でいっているような思考操作ですね。 すべてを懐疑する途上で「わたしはある」、懐疑するその「私の懐疑は存在する」と推理したのはデカルトですが、質問者さまの文脈に合わせると、「すべてを抜いて(還元して)」も「その操作をするということ事態は抜けない」(「私の存在は懐疑できない」に相当する)。 たとえば究極的に「~できない」が残るとういうのは分かりますが、そのことと「魂の存在を推理する」こととは論理的につながっていません。 「できない」というこの否定辞のほうこそ、魂の存在より不思議な人にとっては、「できない」とはいったい何なのよ、あるの、ないの、と瞬時も気の休まることはないでしょう。これがそのひとにとっての「魂である」といえばいえるのではないでしょうか。 さてこの「できない」を根拠にした、「わたしは自分の死を死ねない」というのは通俗哲学説だという私の考えをちょっと述べてお開きにします(これがパラドックスとしてまかり通っているのがおかしいと思う)(この文の構造自体もちょっとヘンですが)。 「私は私の死を死ねる」のは、この「できない」に囚われすぎた見解ではないでしょうか。むしろこの「できない」のなかに住むように努めるべきで、そうすると、しばらく練習すると、「死」のなかに「住む」ことはできるようになります。もちろん「悟り」でもなんでみありません、つねられれば「痛い」わけですが、それと「死そのものになる」ことは矛盾しません。 そういうときそんな「死」(「無」といったってたいて代わり映えしませんが)を「魂」というのも自由ですが、ただからっぽなだけですから、「魂」とはもう少し「現世的な?」次元の話になるのかもしれません。魂は「1+1=2」というような形をとるものかもしれません。 以上はただここ数年の本音をぶちまけてみただけです。

glockp90
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、練習の積み重ねによって 小さなできないから「大きなできない」まで苦しみも無く移動できるというわけですね。 あの世とこの世が繋がったような感じですかねw? あとここからは個人的な話ですが 自分全ての方に回答をつけるのは文章を理解したりするのに ものすごく時間がかかってなかなか難しいです。 回答つかなくても理由があるので許してください。

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