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超越論的弁証論 理想一般について

ghostbusterの回答

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回答No.4

わたしはここは質問に対して回答をする場であって、「自由」に自説を開陳する場であるとは考えていませんし、またそのような場を求めているわけではありません(現にそうしていらっしゃる方を批判するつもりは毛頭ありません。ただ、わたしはそうではない、と言っているだけです)。レポートの課題なら、漠然と与えられた設問に答えることも必要でしょうが、ここでの回答に際しては、質問される方の問題意識をできるだけ正確に理解することが必要だと考えていますし、そしてまた、その問題意識を整理し、鮮明にしていく助けになればと考えています。 そこで先回のように逆に質問をさせていただいたわけです。自由に書いてくださいと言われても、逆に困ってしまいます。 ただ、補足要求をしておいて、結局何も答えないというのは、お互い、気分の悪いものですから、このご質問も「超越論的弁証論」と表題にあるように、あくまでカントの『純粋理性批判』の「超越論的弁証論」における「理想」に限定して、回答します。 たとえばわたしたちがこういう場で、誰かの書いた文章を読むとする。断片的な文章であっても、やがてわたしたちはそれをまとめあげて、ひとつの組織だった書き手のイメージをいつのまにか自分の内に築いていきます。何度かそれを重ねるうちに、しだいに相手のが「どんな人か」をも理解できるようになります。そんなふうに、わたしたちはさまざまな要素を相互に関連づけ、統一するプロセスを、「こころのはたらき」としてもっています。そうしてカントはここに「判断」が働いているといいます。 木の幹の一部の拡大写真を見て、これは「木」だ、と判断するように、わたしたちのあらゆる知覚や思考や概念はこのように統合-判断を繰りかえしている。そうしてその裏には、こうした判断を下す「高等裁判官」が控えている、とカントは考えました。この高等裁判官が下す判断を「統覚による超越論的かつ先天的な統一」とカントは呼んだのです(まあほかにもいろんな呼び方をして、わたしたちの頭を混乱させるのですが)。 この統覚で重要なのは ・経験にさきだってあたえられること……だから先天的 ・経験に由来するものではないこと……だから超越論的 この点です。 ではこの統覚の超越論的で先天的な統一は、いったい何によってささえられているのでしょう? 経験とは関係ないのだとしたら。 カントはそれは「わたしが考える」ということだというのです。「考えているわたし」、すなわち自我は超越論的であり、知覚に先立ってあたえられたものである、と。 わたしたちはさまざまな場面で考えます。それらは経験的なコギトであると同時に、経験を超えたものとも関係をもっている、ともいうのです。 もう少し、「経験と経験を超えたもの」について説明します。 たとえばわたしたちは目の前でわんわんと吠えている毛むくじゃらの生き物を見て「犬がいる」と思います。その判断は、現在のわたしたちの感覚や、過去の経験の記憶からつくりだされたものであり、空間と時間の形式のなかで統合され、実体として構成されます。 犬が飼いたいな、とニール・テナントが歌う。「大きな犬じゃなくて、チワワがいい」という歌詞を聴きながら、わたしたちはそれぞれに、その歌に出てくる犬のイメージをふくらませていきます。その犬は現実にはいない犬ですが、やはりわたしたちは過去の経験の記憶をもとに、空間と時間の形式のなかで統合し、実体として構成していきます。 犬と遊ぶときのわたしたちは、世界に一匹しかいない具体的な犬と関係しながら、同時にその向こうに抽象的な犬とも関わっている。犬の歌を聴きながら、そこに歌われる実際にはどこにもいない「チワワ」と関係しながら、抽象的な犬とも関わっています。その抽象的な「犬」は経験のなかには存在しません。経験したことがないから、わたしたちはその抽象的な犬を知ることができません。けれども、逆に、わたしたちの個々の犬経験が依拠している「なにものか」なのです。 このような経験することができないにもかかわらず、なおかつあらゆる経験の底にあるものをカントは「物自体」と呼びます。 わたしたちの判断は、経験そのものにたいしてのみ、なりたつものです。わたしたちは、残念ながら経験の外にある世界を知ることはできません。カントはわたしたちの経験世界を「現象界」と呼びますが、「個々の犬」と「抽象的な犬」の関係にあたるように、現象界が依拠する「なにものか」の世界がある、現象界はこれを超えたものを前提としている、というのです。けれども、その世界がなんであるかは決して知ることができません。 この「物自体」の世界は、ほんとうに存在するのでしょうか。 存在するというどのような証拠があるのでしょうか。 カントによれば、そのような証拠はなにもない、といいます。それは、わたしたちが要請することができるだけです。 わたしたちは、個々ばらばらの固体からなる世界に生きています。けれども、わたしたちはそれを感性的な空間へと分析し、空間的に構成しなおします。個々の固体を一様性のもとに分類し、原因と結果という形式に帰着させていきます。それもみなすべて、わたしたちのこころのはたらきです。 わたしたちは、ここに法則を見いだします。法則ということは、すなわち、この経験が継続することを要請し、未来へと当てはめようとしていることにほかなりません。いちどきりの出来事を「経験」と認識するのも、それが継続することを要請しているからです。 ところで、ここに非常に興味深いことがあります。 わたしたちは、出来事を「経験」ととらえ、因果関係の形式に置くとする一方で、わたしたちは自分の行為は自分に責任がある、と考えていることです。 わたしたちは自分の行為をいつも因果律に従って説明します。こういう理由でこうしたんだ、このような動機があった、と、行為を因果律の下に置く。にもかかわらず、自分に責任があることを認めます。そうして、責任をともなうということは、「それをしない自由はあったのだが、あえて自分はそれをした」というふうに、「自由」を要請しているのです。 この「自由」は現象界に属するものではありません。 現象界ではあらゆる出来事が、先行する出来事を原因とする因果律の下に置かれているからです。もし自我に責任があるものであるなら、自我は「物自体」の世界になければならない、ということになります。 わたしたちは、自分が知ることのできない「物自体」の世界が、秩序を持った知的な世界であることを前提としています。わたしたちのひとつひとつの行為はそうした前提をともなっているのです。わたしたちの行為は、先行する出来事によって決定されているかに見えますが、もしそこで「自由」に行為することができるとするならば、「物自体」に属する自我が要請されているのです。 さて、長くなりましたが、いよいよ「理想」です。 わたしたちは「脚の長い男の子がわたしの理想」というふうに、おっそろしく粗雑にこの言葉を使ったりしますが(ちなみにわたしの理想は脚の長さとは関係ありません)、カントの「理想」は、逆に、おっそろしく立派なものです。なにしろ「理想とは理念によってのみ規定せられうる、いな、それどころか規定せられているようなものである」(B.596)というのですから。 超越論的弁証論では神の存在論的証明を批判します。そうして、神は「理念」としてある。そうして、その神の理念によって規定されているのが、この理想である、と。 この理想は、わたしたちの個々の経験が「物自体」を前提としているように、人間の理性が前提としているもの、理性にとっての前提として、わたしたちを行為へと導くもの、ということになります。 空想とは、質問者さんが#2の方の補足欄でおっしゃっておられるように、何ら行為をともなわないもの、その意味で > 現実世界へ働きかけることはなく ということ、カントに即していうなら、現象界とは関わり合いをもたない、どこまでもいく理性のみのはたらき、と言えるかと思います。 以上、長くなりましたが。

noname#87516
質問者

お礼

いや、ghostbusterさんの仰るとおりです。 どうも頭が悪いせいかとんだ勘違いをしていました。 どうぞご容赦ください。 ご回答はたいへん参考になりました。 ありがとうございました。

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