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激しい優しさ

mktoolllの回答

  • mktoolll
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回答No.7

>彼らの行動に対し、最も深い見方、洞察を見つけるのが、この哲学の意味でもあるでしょう。 そうですね同感です。 盾の皆さんが無事に帰ってこられるのを祈ろうと思います。 命ということに限れば、#6の方のご意見のように最終的には「カルネアデスの板」的な究極の選択が激しい優しさの最終形なのかもしれません。 盾の方々の行動を肯定することは出来ませんが、彼らの行動も、広大な宇宙の中では必然的に引き起こされた化学反応の一つなのかもしれません。 人はどこから来てどこへ行くのか。 盾の方々はその疑問に対する方向性を示そうとしている。しかし、人間とは示された方向性があるとそれを覆そうとする思考動物。何が正しくて正しくないかは誰にもわかることは無い。私たちの生活は、いわゆる学問哲学ではなくて我流哲学によってその生活の殆どを成り立たせている。となれば、盾の方々を認めねばならないのですが、彼らは自分の命ばかりか他人の命をも危険にさらしている点で、やはり合点が行かないな、無事を祈りつつもっと深く考察したいと思います。

noname#3511
質問者

お礼

うまく気が合いますね。同じではないという意味で。 >ルネアデスの板」 これを知りませんので、なんともいえませんが、。 >彼らの行動も、広大な宇宙の中では必然的に引き起こされた化学反応の一つなのかもしれません。   そこに在るもの。既に在るものが、生まれてくるという事も、この宇宙にはあるのかもしれません。優しさの形はどうあれ。 >彼らは自分の命ばかりか他人の命をも危険にさらしている点で、やはり合点が行かないな、無事を祈りつつもっと深く考察したいと思います。     他人の命どころか、あえて自分の命を危険にさらすことも、あなたと同様、よくないと思います。彼らは、自分を人質にしているのです。 しかし、こうも、私なら言います。 命は、誰のものでもなく、一つで在るようなものでもない。 あなた的には、宇宙の化学反応のひとつとしての、現象の一つでもあるという事が近いでしょうか。 また、こうも言えます。 確かに、あなたや私、多くの人々は我流哲学です。 しかし、哲学で、息をしているわけではないのです。 生活のほとんどを、その我流哲学で成り立たせているのかといえば、そういうわけでもない。 人の行動は、そういう意味では複雑です。既に起こっているのです。行動が。 行動の決定権というものが、どこかに処しているわけではないのです。 ですから、戦争や諸々の愚かも、改善の余地というものが、その事象の周囲のほとんどを占めていると、私には思えるのです。   優しさというものの本質が、行動のことなのか、行動を決定する、何処に在るというものでもない機構なのか、そういうことも、少し考えました。 行動と、行動を決定する機構の関係とは、同じだけれど、相似ではない。 しかし、合同でもなければ、一体でもない。分離もしていない。 みかんと、みかんの木のような関係かも、しれません。 みかんの木も、それだけで存在しているのではありません。 ここらへんの、今試みた思考、現代に流布している思考方法では、うまくみとめられないものだとも、少し思っています。未来には、みとめれるでしょう。 ありがとうございました。