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激しい優しさ

mktoolllの回答

  • mktoolll
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回答No.5

どうも MK です。 >彼らは戦争を止めれなかった、人命、命の誇りを守れなかった、それが、さらなる優しさを、かれらにもたらすのではないかと思うのです。 どうでしょう? あながち、優しくないと、結論付けるには早いと思われましたか? うーん!!私的にはやはり「激しく優しくない」ですね。盾の皆さんが完全に孤立した独り者ならば、その行動は哲学的に何らかの意味を持つのかもしれません。しかし、彼らは「人間の盾」というコミュニティーを形成してしまっている。その時点で、彼らの行為は説得力を失ってしまっているように感じるのは私だけなのでしょうか。つまり、コミュニティーを盾にマスコミを利用して大衆心理を反戦の方向へ煽ろうという作戦が見え見えであったにもかかわらず。それが、失敗したことを認めずに戦火の中に残ろうとするのは、命をいたずらに弄んでいるような感じを受けるのです。私は彼らがとても不憫で可愛そうでなりません。米軍の攻撃を受けているイラク国民と同じくらい不幸に感じます。 彼らの行為は彼らの人生哲学から導かれた結果であることは私も承知しています。ですが、個人の哲学のために、親や兄弟、友人たちの気持ちをないがしろにしてしまってよいのでしょうか。彼らは戦争を止めるのが目的だったはずなんです。失敗したのだから帰国したらいいんです。誰も責めたりはしないのに・・。今となっては彼らの滞在意義がどこにあるのか私にはわからない。 「他人の為に命を差し出す」という行為は、差し出す相手がそれを認識して初めて成立すると思うのです。ブッシュジュニアが彼らを認識しているようには思えないです。「意味の無いところにこそ哲学がある」という言葉を聞いたことがありますが、だからといって命を捨てて良い訳が無いと思います。だから、今の彼らの行動は「激しく優しくない」と私は感じます。 アメリカ国民が100万人位イラクに旅行に行ってたらさすがに開戦しなかっただろうなとは思いますが・・・・。 今最前線ではアメリカの若者とイラクの若者がそれぞれの哲学と誇りをかけて戦っている。それはやはり命をかけて守りたいものがあるから戦うのだろう。彼らが背負っているものを考えると、「激しい優しさ」を感じずにはいられないのです。

noname#3511
質問者

お礼

ありがとうございます。 おお。説得力を感じます。 確かに、命を弄んでいるようにみることもできる。 親、兄弟たちの気持ちも汲んでいない。自分勝手に見える。 >今となっては彼らの滞在意義がどこにあるのか私にはわからない。   だけれども、彼らのuni的精神では、イラク国民も、米国民も、イラクソルジャーも、アメリカソルジャーも、あらゆる人が兄弟たちです。 兄弟が、戦災にあっている。助けに行くのは道理です。 >今最前線ではアメリカの若者とイラクの若者がそれぞれの哲学と誇りをかけて戦っている。それはやはり命をかけて守りたいものがあるから戦うのだろう。彼らが背負っているものを考えると、「激しい優しさ」を感じずにはいられないのです。   アメリカ、イラク、クルドの若者が、何故、哲学や誇りのために、命を失わなきゃならないのか? 私にはそれが理解できない。 自らの誇りにかけても、自らを生き抜く。 自らの哲学にかけても、自らを生き抜く。 これなら分かる。 だけれども、自らの誇りを守るために、哲学のために、地球の兄弟を殺すとは、道理にかなわない。 彼らの守りたいものは、家族や戦友でしょう。 そのために命を懸けているのだとおもうのです。国の政治は、彼らの戦う理由とは、あまり関係ないと。 彼らは命はかけるが、哲学や誇りを守るために、命をかけているとは私には思えません。目の前に、自分の命、仲間の命、近親者の命を狙う、ソルジャーがいる。それは敵だ。 彼らに見えるのは人間の兄弟ではなく、国家に取り込まれたソルジャーなのです。 だけれども、実際、彼らは、国家の戦略のために、死の危機に立たされるんです。クルドだって、本来は、民族の土地などなくても、地球上で共存できるはずです。難民ではなく、旅民です。そういうのもぜんぜんありです。 なんでこんなことになるのか。 一重に、利益の対立があるからです。あなたの益は、私の益という発想ができない。アメリカ国民内ですら、利益の対立があるのです。 情けない話ですが、現実です。 利益は、常に、個人のスケールで語られるのではなく、業種や、政党、大企業、金管理者などの、旗のもとに考えられます。 だけれども、人間は、人権という旗までたどり着いた。 アメリカは、イラク国民の人権を侵している。 フセインも、イラク国民の人権を侵している。 トルコ、イラク、周辺の中東国は、クルド人の人権を侵している。 人間の盾の人は、人権を守りたいと、思っていると思います。    ブッシュが、最前線で指揮をとらない。 彼が、ドラマの戦国武将みたいに、戦場の陣地に座っている必要があったなら、戦車に乗って敵に向かって斬り込む必要があったなら、彼は戦争しなかったと思います。自分の命が、そこにかけられる場合、彼は、戦争はできません。彼にはできそうにない。 彼は、国のことを考えるが、自分を含め、国民のことを考えない。彼は、国の代弁者であり、あくまでも、国家の、証言者なのです。大統領は、一アメリカ国民でありえない。 大統領は、席だからです。 >彼らが背負っているものを考えると、「激しい優しさ」を感じずにはいられないのです。   確かに。彼らの背負っている、仲間、近親者の命、自分の命を考えると、激しい優しさをもって、戦っているかもしれません。壮絶な、人の憂いです。 誰しも、死にそうになると、恥やみてくれ、哲学、そんなものはどうでもよくなるというのが、フツーの人です。 しかし、彼らの目に映るのは、命のある人間ではなく、敵ソルジャーではないのか?命のある人間像を、相手に見れば、撃てないからです。 お互い撃てなければいいのですが、そんな簡単な話は通用しない。 見方を、誤っている、分かってるけれど、それを正せないのです。 正せば、死ぬと、思っているからです。 見方を見直す、そんな余裕も、戦場には滅多にないでしょう。目の前に、敵がいるのだから。 だけれども、その貴重な余裕を持って、戦地に居る人、それが、人間の盾の人たちだと、私は思います。激しい優しさをもって、動じない。戦地では、きわめて重要な、貴重な存在だと思います。 それは、大人な行為だと思います。 その行為を、空回りと見るのか、大人な行為と見るのか、不器用な行為と見るのか、自分勝手な行為と見るのか、激しい優しさによる行為と見るのか、色々できそうですが、最も深い見方は何かというと、また話は別だろうと思います。彼らの行動に対し、最も深い見方、洞察を見つけるのが、この哲学の意味でもあるでしょう。