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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:和歌:「みをせめだまの露としらずや」の意味教えてください。)

和歌「みをせめだまの露としらずや」の意味とは?

natu56の回答

  • natu56
  • ベストアンサー率48% (16/33)
回答No.3

ここに書かれている文のままでは、意味がよく通りません。既出の回答の方がおっしゃるように、聞きながら書き取った時などに書き間違えたのではないでしょうか。 須弥のみね たかきひくきの雲きえて 月の光や そらのつちくれ 念仏にも おのがこころひくくすは みをせめだまの露としらずや あともなき雲にあらそふこころこそ なかなか月のさわりとはなれ 「須弥山の峰にある高い雲も低い雲もきえて 月の光が出たよ、雲は空の土くれだったのだね 念仏を唱えていても、自分の心を低くするのは(そんな人は) 身を苦しめているだけだと全く知らないからであろうか もう跡形もないあの雲のように、むやみに自分をおとすように努めているのは かえって美しい月を見る障害となるのに」 ひとつかなり気になる発言があったので、失礼ながら付け加えます。 「>まず、仏の深遠な教えには無縁のものが発言していると、お考え下さい。 そんな事は、古文解釈に関係ありませんから、、。」 いいえ、大いに関係ありますよ。古文でも現代の文でも、書いた人や言った人がどのような立場でどのような思想を持っているかによって、読み取りの解釈は変わります。そんな風に関係ないと言い切るようでは、今後も正しく文を読み取れるようにはなれないと思います。 一遍上人がどんな人物であったか、国語便覧や日本史の参考書で見てみてください。

zatousan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >一遍上人がどんな人物であったか、国語便覧や日本史の参考書で見てみてください。 一遍上人については、一応「聖絵」などを通して読んでいるのですが、今回の和歌は正直言って分かりにくかったんです。 一遍上人が、観想念仏のように仏をイメージして念仏するは、妄執にとらわれていると考えている事は、様々な会話から理解していました。 この和歌もきっとそのような事を言っているんだろうな~、とは思いつつも、なんだか平仮名ばかりで、もともとの単語すら分からない始末、、、、。 なんとか、NO4さまのお陰で、一遍上人の哲学に矛盾しない、そして、もっともな訳が分かりました。 回答者様もお忙しい中、ご回答ありがとうございます。

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