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「有りて在る」

zatousanの回答

  • zatousan
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回答No.7

度々失礼します、No1です。 タイプミスがあったので、訂正しておきます。 タイプミス(1) >また、アベルなんかは、「はかない命」とかいう意味もあるですが、、、実際に兄カインに殺されてしまいますので、、、本当に「はかない命」になってしまいました。 アベルは、「息吹」という意味でその事から「はかない」という意味もあります。 タイプミス(2) >イスラエルでは聖書の朗読をラジオ放送しています。 >そのラジオ放送を録音したものを、ミレトスとかいう会社が日本で発売していますが イスラエルの国営放送で聖書の朗読をしています。 その放送を録音したものを、ミルトスという会社が朗読テープとして売っています。 また、他の方への質問ですが、 <「オウム」と「阿吽(あうん)」または「アーメン」は、本来は皆、似たような意味を持つと聞いたことがあります。> 「オン」は真言の前に付ける事が多いですし、アーメンの様に祈りの後に付けるのだとしたら、「そはか」の方が近いと思います。 <神の呼び名もマントラも通じるところがあるのでしょう。> 真言宗でも、僧侶の位によって与えられる真言があり、最高位の僧にしか与えられない真言も存在しますが、、、(現在では、空海全集という本に全て開示されているので、一般人でも知る事が可能ですが。) しかし、神の名を唱えるとしたら、真言よりも、念仏に近いものがあるかも知れませんね。 <しかし神の名を正しく発音できなければ、神と交わりは持てないのでしょうか?> 少なくとも、モーセは神の名を聞く前は知らなかったのだろうから、それはないと思います。 また、日本の真言宗の真言は元となるサンスクリット語から比べると多少訛っています。 空海自体もサンスクリット語をマスターした訳ではないので、現代の学者に文法間違いを指摘される事も、、、。 度々失礼しました

pokoperopo
質問者

お礼

少数派とはいえイスラエルにもキリスト教徒はいますね。アベルははかないという意味があったのですか。仄聞しただけなのですが「オウムは呼応する言葉で阿吽やアーメンも然り、音が似ていることからして共通性と普遍性を持つ」論者のやや強引な解釈かもしれません。名を知らなくとも、念ずれば通じるのでしょうか。興味は尽きません。わざわざ訂正いただきありがとうございました。

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