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「有りて在る」

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.4

No.2です。 お気に召すかわかりませんが、参考までに。 ヘブライ文字は全部子音。 従い本来発音できません。 それに母音をつけることで、音声化し、文字が実体化するとしています。 しかし子音のみの文字に母音をつける際、注意しないと、別の意味になってしまう。 真言、マントラってありますよね。 言葉の力。 文字を実体化するため音にする。 オーム(創造の言葉)もマントラとされる。 確かカーリーの創造の言葉だったと思います。 で、ヘブライ文字は確か、、、22文字くらいだったと思います。 この文字でこの世のすべてを表せるとされる。 ギリシャ語のような抽象的でどこまでも問ううことが可能なものではなく、直接的で本質そのものを表すというこの世でも珍しい言語だそうです。 その書かれた聖なる文字を音声化するとき、間違えた母音をつけてしまうと、文字が実体化しない。 さてYHWH 全部子音。 これにどの母音をつければ、実体化するのか? わかりません。 ほんの一部の人しか知らないそうです。 7年に一度、大祭司が後継者に伝承していったらしく、他の人は知りようが無いし、知られてはならない。 だから、我が主という意味のエルを神を表す言葉として用いられたわけです。 ある哲学者はユダヤ教に関する小説を書いた。 その本の中に今回の質問に対する回答に関連があると思えるものを書きますね。 『ヨッド ヘー ヴァヴ ヘー。 ヴァブは、統合、創造、生命の起源の象徴。 だから神の名の中央に位置する。 聖なる二つのヘーの真ん中に鏡のうように。』 アリー:『神の姿を描いたり、つくったりして、決して見えざる神を見えるように変えることは、ユダヤ教には禁じられている』 ジェーン:「それならどうして見えるものから見えないものへと移るの?」 アリー:『神の名を発音することによって』 ジェーン:「ただそれだけ?」 アリー:『そうだよ。しかし、それこそが難しい。我々は彼の名の子音は知っている。ヨッド へー ヴァブ ヘーだ。だが我々は、それを発音するための母音を知らない。唯一、それを知る大祭司が至聖書で名を発音できるのだよ。 見えない存在を表徴するイメージを我々ユダヤ教とが持たないのは・・・・神と関係を結ぶにあたって、感性的そして感情的飛躍を警戒しているからだ。』 『へー:霊の長い息吹。世界へと開く窓。思考。魂を形成する言と行動。』 クムランシリーズの蘇る神殿。 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E2%80%95%E8%98%87%E3%82%8B%E7%A5%9E%E6%AE%BF-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%A2%E3%83%99%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%82%B9/dp/404791424X サスペンスものとして期待した人からすれば、期待はずれの小説でしょう。 最後のクライマックスはすごいですよ。 太陽の門より至聖所に入ったアリーは、そこでヘブライ文字を実体化させていく。 そして神の名前を今まさに唱え、神を呼び出そうとするところで終ります。 イマジネーションを必要としますのが、ヘブライ文化を知らない私でも、荘厳さを感じます。

pokoperopo
質問者

お礼

「オウム」と「阿吽(あうん)」または「アーメン」は、本来は皆、似たような意味を持つと聞いたことがあります。神の呼び名もマントラも通じるところがあるのでしょう。しかし神の名を正しく発音できなければ、神と交わりは持てないのでしょうか?ユダヤのレビ達の高慢さを感じます。私がヘブライ文化に通じれば違った感想を持つかもしれませんね。再度のご回答ありがとうございました。

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