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日本の寺社が失業者を救済する発想のない理由は?

世界的な不況のなかで失業者が溢れています。海外の教会では、路地で温かいスープを用意して配ったり、住まいの提供(といっても場所の提供くらいのもの)など積極的に支援しています。現世に対する関わり方では、海外のほうに分があるように見受けられます。彼らは彼らなりに敬虔(けいけん)であり、教会はモラル(道徳心)の向上に寄与している面があるように思います。 ひるがえって日本の寺社を眺めますと、境内があるばかりで、支援すらしようともしません。日本の神主や住職にはこういった発想はないのでしょうか? 布教活動ひとつをとっても、国境を越えようとしない、「ミッション」という気概も感じられません。戒律らしい戒律・教義らしい教義が存在し、それを実践しているのか疑問ですらあります。モラルの向上に寄与しているかといえば、そうは感じられません。 日本の寺社とでは、どうしてこのような違いが生じてしまうのでしょうか?

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.2

様々な理由があり一概に論ずることはできませんが、一番大きな理由は江戸時代の寺院諸法度にあると思います。 江戸幕府が開かれると、徳川政権は有名な武家諸法度や公家諸法度などを出しますが、宗教に対しては寺院諸法度というのを出しました。 これは乱暴にいえば「布教は一切許さない代わりに既得権益は保証する」というものです。各宗派は布教をして信者の数を増やすことは禁じられましたが、一方今までの信者は檀家として他の宗派に移ることも禁じたのです。そして、寺院というのは古今東西を問わず戸籍を管理する機関という役割があります。キリスト教であれ、仏教であれ、イスラム教であれ葬式はしますし、洗礼などもやります。当然、誰が生まれた誰が死んだというのも管理することになります。日本の寺院は通行手形つまりパスポートの発行機関でもあったので、ま、いってみれば日本のお寺は宗教施設からお役所になることで存続するようになったということです。 いやらしいことをいえば、キリスト教やイスラム教などでは弱者に施しをすることによって「信者を増やす」というメリットがあるので施しをするという側面もあります。全ては布教活動の一環なわけです。 一方、我が国ではそういうセーフティネットの役割が実は役所がやっている側面があります。江戸時代、大火や震災が起きると江戸幕府は江戸城にある備蓄米を開放して被災者を支援しています。この江戸幕府の被災者支援体制というのは現代の目から見てもびっくりするくらい迅速です。同じ時代にヨーロッパ各国ではそのような支援を政府が積極的に行うということはしなかったのですから、はっきりいって江戸幕府のほうがすんごい弱者思いです。また、昨今の派遣切り問題では各地方自治体が住所を持たない人に名義上の住所を与えて生活保護を受給できるようにしたりしています。

cej9rbwh
質問者

お礼

なるほど、役所化してしまったわけですね。人口確認のためと、対キリスト教政策として住民を檀家制度のなかへ囲い込み、まさに幕府の出張機関として一翼を担っていた、とは耳にした記憶があります。 >江戸幕府のほうがすんごい弱者思いです。 江戸幕府の統治機構はローコストであり、江戸の警備も少ない人数で間に合っていた時期が長く続いていました。大名の財源を圧迫させるためと称してはじめられた参勤交代も、定期的な財政投融資を行って景気刺激を行っていたという解釈も成り立つでしょう。江戸時代の統治機構を見直す動きは、国内より海外のほうが大きいかもしれません。なぜか、歴史の授業では習いませんが。 信長と本願寺の戦いを目にした家康は、本願寺を分割して(西本願寺と東本願寺)、牽制させたそうです。いわゆる「分割して統治せよ」を実現したわけです。その意味では、幕府の宗教管理はうまくいっていたと思います。 貴重なご意見、ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#83348
noname#83348
回答No.8

>日本の寺社とでは、どうしてこのような違いが生じてしまうのでしょうか? お寺は檀家のためにあるので不特定多数の人の為にあるのではありません。 神社はわかりません。 それに神道は下手に動くとロクな事を言われません。

cej9rbwh
質問者

お礼

檀家制度ですね。とはいっても、所属しているからといって信仰心が厚いというわけでもなさそうですが……。そういった垣根を越えることはできないものでしょうか?

  • abaronx
  • ベストアンサー率19% (17/88)
回答No.7

マザー・テレサが子供の頃、 学校から帰ってきて食事のテーブルに着くと 見知らぬ人が座っていた、というのがよくあったとか。 お母さんはテレサに「遠い親戚の人よ」といって 一緒に食事をしたらしいです。 子供の頃からそのような躾をごく自然にしている家庭が 多かった。 うーん、日本はどうなんでしょうね。 日本も昔(終戦前)は良かったと思いますが、 残念ながら今や、すべての道は金に通じる、 というのが現状でしょうね。 自殺率トップクラスなども頷けるような気がします。

cej9rbwh
質問者

お礼

躾は誰がするのか? と問われれば、家庭になるのでしょうが、現在は崩れてきていますね。学校が肩代わりして、企業が肩代わりして、役割が曖昧になってきているような気がします。

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.6

詳しいことは分かりませんが、 実際に目にしたことです。 去年の12月中旬、東西線行徳駅前で10人程の御住職と見られる年齢のお坊様達が不況の為に解雇される派遣労働者の為に募金活動をされていました。 私は、ドイツで長く暮らしていますが、教会関係者が路上で募金活動をしたり、スープを配るというのは一度も見たことがありません。 布教活動で有名なサイエントロジーとかユニバザーレス・レーベンとかは、良く社会問題になってます。

cej9rbwh
質問者

お礼

それは貴重な光景です。採り上げられてしかるべきだと思いますが、わたしはそういった光景を見たことがありません。日本にも活動していらっしゃる方はいるのですね。

noname#80357
noname#80357
回答No.5

海外の寺院はボランティアで神父をやっている人間が大きな割合を占めますが日本の仏教の神父様は大多数は職業、お金を得るためにやっているという違いがあります。 失業者救済なんて金にならないことをやらないでしょう。

cej9rbwh
質問者

お礼

わたしもそんな感じがしていました。既得権益を守るための方に、より力を入れているのではないかと。 ご回答ありがとうございました。

回答No.4

日本でも、昔から昼頃に食料を提供したりなど救済している教会は1つ以上はあると思いますよ。(ドキュメンタリー番組で見ただけですが) なので、お寺も探せばあるのではないかと思うのですが。 ですが、数は少ないでしょうし、私も実際に目にした事はありませんけどね・・・。 教会に関しては、モラルの向上には、寄与していると思います。 私の育った環境では、学校の敷地内に教会があったのですが。 まあいろいろと、納得の出来る、ためになるお話をしていただいたものです。 私の中に少しは生きていると思います。 こういう学校だと、宗教的な人と、そうでない一般の職員の人が混ざっているのですが。 宗教的な人のほうが基本的にやさしかったですね。 一言で言えば、「甘い」んですが、甘さの裏に、教えがあったわけで、むしろ私には色々な意味でプラスになったと思います。 友達や先生も、一般の学校と比べて(一般の学校と宗教的な学校の両方を経験しました)、ほんとにいい人ばかりだったと思います。 一見普通の先生なんですが、深い話をすると崇高だったりするわけで。 尊敬に値すると感じたのは、その学校の先生方だけですね。

cej9rbwh
質問者

お礼

>数は少ないでしょうし、私も実際に目にした事はありませんけどね・・・。 そもそもマスコミにそういう視点や発想がないから報道されないのでしょうか? >まあいろいろと、納得の出来る、ためになるお話をしていただいたものです。 貴重な体験をされたようですね。 そういった方は、とにかく話だけは聞いてくれるように感じます。話し方も上手であるばかりか、聞き手としても優れているように思いました。最近はなかなか見かけなくなった先生のタイプではないでしょうか?

回答No.3

日本人だからではないでしょうか? 近くに教会がありますが、救済的な活動はしているように思えません。 近くに神社もありますが、活動をしているようには見えません。 近くにお寺もありますが、これまた・・・・ ついでにどこぞの宗教団体もありますが、そのような・・・ パチンコ店の開店に並ぶ人はいますが、 教会を神社で救済を求めて並んでいる人は見た事がありません。 それとも私が気づかないだけで救済活動をどの宗教もしているかもしれませんね。 >海外の教会では、路地で温かいスープを用意して配ったり、住まいの提供(といっても場所の提供くらいのもの)など積極的に支援しています。 教会なら積極的に支援するものだとするならば、 日本にある教会でも積極的に支援しているはず。していないのはなぜ? わかりやすい違いは、基本となる人物(運営している人)が 日本人かそうでないかではないでしょうか?

cej9rbwh
質問者

お礼

外来の宗教が日本へ入ってくると換骨奪胎されてしまうような気がします。国内ではうまく機能しているように見えても、国外へもっていけば咎められそうな内容へと変質してしまっています。キリスト教の一派を掲げていても、中身はまるで違っていたりします。変容してしまうせいで、宗教に対する抵抗心というか、おかしな宗教に転んでしまう方が後を絶ちません。そもそも日本人の関心の度合いが、低いのかもしれませんが。 日本の寺社で救済的活動をしているなら、積極的にアピールしたほうがいいと思いますねえ。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.1

日本の仏教と海外のキリスト教では、教えに根本的な違いがありますから、そのギャップを埋めるのは難しいですね。 仏教の教えは、人を『苦』から救うこと。 『苦』からの解放というのは、単に生活苦を何とかするという意味ではなく、どちらかというと苦しむ心の救いがメイン。 ただ、教えを開いたお釈迦様が修行ばかりしていたので、そのお弟子さんたちも、修行に傾きがちになります。 キリスト教の教えは福音を伝えることにありますが、新約聖書をひもとえけばすぐにわかりますが、貧しきものに施しをせよとの教えがあちこちに散在します。 とはいえ、ボランティア活動に熱心になったのは、長いキリスト教の歴史の中でもつい最近のこと。 イギリス発祥の『救世軍』あたりから盛んになったかと思いますが、それ以前にもアッシジの聖者、聖フランチェスコの事例があるのではっきりとは知りません。 どちらにせよ、日本の仏教が内向きなのは事実かと思います。 葬式仏教なんて、いわれることもありますしね。 なお、神道については、また別の話になるので割愛します。 しかし、お釈迦様も苦にあえぐ衆生を救済するために、後半生は伝道の旅を続けてますし、日本国内でも行基や弘法大師のように貧民救済のために努力したお坊さんもいるのですから、やってやれないことはないと思いますが、そういう意味では檀家制度が確立した江戸時代を境にして、日本の仏教は大きく変質してしまったのかもしれません、

cej9rbwh
質問者

お礼

なんとなくですが、キリスト教には聖書があるので、内容は理解できます。一般人でも読めますからね。宗派の違いはあれど、聖書が接点となります。しかし、仏教というとよくわかりません。読めませんし、お経を聞いてもよく分かりません。説法は理解できるのですけど。閉鎖的になりがちというか、このあたりにも人々を遠ざけている原因があるのかもしれませんね。ご回答ありがとうございました。

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