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批判的に批評する方法

大学の課題で、一冊の本について、批評を初めて作成しています。 とりあえず指定の本を何回も読んで、内容は大体理解しました。 しかし、作業が進まず行き詰ってしまいました。 というのも、私は筆者の言っている事はもっともだ、 と思ってしまい、本を読んでああなるほど、と思うことはあっても、 これは違うんじゃないか?と思えなかったのです。 課題の批評は、気になった部分を取り上げて、 問題を提起して批判的に検討し、 結論をだす(最終的に肯定的であれ)という形式をとらねばなりません。 なのに、私は筆者への反論が一つも思いつきません。 その本が批判のしようが無い程すばらしいもの、というわけではなく、 ただ私の能力不足によるものなのですが、 これは本の内容を本当の意味で理解していないからなのでしょうか? もっと読み深めれば、反論ができるようになるのでしょうか? どなたかお答えしていただければ幸いです。

みんなの回答

  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.6

これまでに何冊くらいの本を読まれきましたか? 「批判的に批評する」ためには、ご自身に考え・思想があり、それについて、筆者と同等かそれを上回るだけの自信がないと、無理ですが、それだけの教養の背景を持たれるだけの「何か」をされてきましたか? 「能力不足」ではなく、おそらく経験不足なんだと思います。 批評するためには、  その本について知っている  世間について知り、その本の位置を知る。  ご自身の中に確たるモノを持っている。 の3つが必要だと思います。足りないところをどうにか補完してレポートを挙げるしかないのでは?

noname#86349
noname#86349
回答No.5

>これは本の内容を本当の意味で理解していないからなのでしょうか? >もっと読み深めれば、反論ができるようになるのでしょうか? 自己反省を含めてですが多分そうだと思います。 私自身同じような状態になることが多いのですが、やはり勉強不足なのだと思います。 批判というのは必ずしも反論を書く必要はないのだと思いますが、自分が支持する根拠を明示しなければならない。 何となくではまずいわけです。 自力で支持する根拠を考え出せれば苦労はいらないのでしょうけど、たいていの人はできない。 そうすると同じ問題を扱った先行研究や後続の研究をつきあわせて何かを見つけるという作業になっていくと思います。(批判対象を批判した研究があればラッキー!大きな助けになります。) 肯定するにせよ否定するにせよ、他の研究者で自分と同じ考えを持つ人がいるかもしれませんし、自分の考えになかった新たな視点を与えてくれるかも知れない。 例えば 先行研究AはA'と論じたが、批判対象BはB'と論じた。私は~という点でB’を支持する・・・。 とか 批判対象Bにたいし、最近では後続研究CによってC'という考えも提示されており~の点で私は・・・。 という具合に書けるかなと。 ですから研究史、その問題がどのように扱われてきたのかを知らないとなかなか批評ができないということになるのではないかと思います。 これができれば批判対象とその他の比較により、批判対象が何を達成し、何が不足しているのか(あるいは矛盾しているのか)、著者の示した資料に不都合がないかなど、色々見えてくるのかなと思います。 よく言われることですが先行研究の整理をおろそかにしない。(全く自分に言い聞かせるようだ!) そういうことだと思います。 参考になれば。(大学でのゼミを想定して書きました)

noname#220293
noname#220293
回答No.4

これはあくまでも例題ですので、つまり質問者のかたへの批判ではありませんので、念のため。 >とりあえず指定の本を何回も読んで、内容は大体理解しました。 何回も読んで。何回読んだのか。2回か、5回か、それとも……。 大体理解しました。大体とはどの程度をいうのか。  このように疑問を持ちながら読んでいくことではないでしょうか。重箱の隅をつっつくようなことをしないで、という意見もあるでしょう。しかし、私にとって(読み手にとって)何回読んだのかは重要なことになる場合があるのです。    もともと本は文字で書かれたものですから、この例のように、文字に忠実に理解していく方法もあります。読む手法として。  例えば何かの童話を読みます。ああ怖かったとか、あの場面は面白かったとか、そういう感想の他に、ここの文章表現はこれでうまく伝わるのだろうか、小さな子どもにこの言葉は理解できるだろうか、という読み方もできるはずです。  例えば 「死ぬことによってどんな義務が果たせるというのだろうか。」  という文を 「生きることによってどんな義務が果たせるというのだろうか。」  と置き換えて考えてみる。これは 『論理的思考(宇佐見寛著)』メヂカルフレンド社  の中のほんの一部です。この本をご紹介しておきます。大きな公立の図書館になら置いてあるかも知れません。

noname#122939
noname#122939
回答No.3

自分の浅知恵だけの見解だけでは、そこに提示されていることが正しいかどうかの疑問を抱くことすら出来ないことってありますね…。 直接の質問の回答ではないのですが、私の場合、読み込んでもわからない場合は 他人がこの本を読んでどう思ったのかという見解を利用させてもらっています。 自分とは違う考えを持った人の意見ですから、当然自分がしなかった物事の見方をしてその本を読んでいるはずです。 そこに生まれた自分と他人との物事の見方の差異をきっかけとして、そこに感じた疑問を問題とし、自分が検討したことを述べていきます。 ちょっと文章が上手くまとめられていないので、伝わっているか不安ですが 少しでも参考にしていただければ幸いです^^;

noname#160321
noname#160321
回答No.2

「自分の立場、視点」というものがまだ出来ていないのでしょう。 人間はそれぞれ異なった社会環境の中にいますから、同じ本を読んでもその論旨に違和感を感ずるところが必ずあるものです。 場合によっては小説に対してでも起きることがあります。 全く思い付かない場合、自分を誰かに模して(擬して)、その立場から考えてみるのはいかがでしょう。 議論の内容が分からないので例を挙げにくいですが、建築なら、注文主、地主、テナント、周囲の住民、他の建築の持ち主…など色々な立場がある訳で同じものを見てもそれぞれに受け取り方の差があって然るべきものです。 というのが私の考えです。^^ もう一度読んでみて下さいな。

noname#80702
noname#80702
回答No.1

「本当にそうなのか?」と疑うところから始めてはいかがでしょうか。 この質問を例にとると >とりあえず指定の本を何回も読んで、内容は大体理解しました。 自分で理解したと思っているだけで本当は理解していないのではないか。 または、批評するところが無いことを逆手にとって、 世の中には「絶対正しい」などということは無い。 にも拘らず批評するところが見つからないのは酷いトリックがあるのだろう。 とか。 その本の筆者の言っていることを幾つか質問に載せた方が回答し易いと思います。 (事実を述べている部分だけでは意味は無いです)

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